第四十四話「終われない者」
第四十四話は、
“終われない者”の話です。
失ったものは、
時に人を止め続けます。
夜だった。
風はない。
音もない。
呼吸だけが、静かに残っている。
迅は、一人で座っていた。
崩れた建物。
割れた柱。
薄暗い灯り。
その中で。
動かない。
視線だけが、どこか遠くを見ていた。
「……来ると思ってた」
足音はない。
気配は最初からあった。
久遠が、静かに立っている。
迅は、そちらを見ない。
「見てたんだろ」
「……ああ」
久遠は否定しない。
迅の手には、小さな布切れがあった。
古い。
擦り切れている。
ずっと持っていたものだった。
久遠が、静かに目を向ける。
「まだ持っていたか」
迅が、小さく笑う。
「捨てられるわけねぇだろ」
「……あいつのだ」
その声だけ、少し低かった。
久遠は、何も言わない。
迅は、布を見つめたまま呟く。
「昔はさ」
「うるさかったんだよ」
小さく笑う。
「ほんと、馬鹿みたいに笑って」
「勝手に隣来て」
「勝手に怒って」
「勝手に手ぇ引っ張って」
「……なのに」
そこで、声が止まる。
「なんで、いなくなんだよ」
静かだった。
怒鳴らない。
泣かない。
その言葉だけで、十分だった。
久遠が、小さく目を閉じる。
「終われなかったか」
迅が笑う。
「終われるわけ、ないだろ」
その瞬間。
空気が、少しだけ重くなる。
久遠は、静かに迅を見る。
似ている。
終われなかった者。
残された者。
だから分かる。
「お前は、まだ人の側にいる」
迅の目が、わずかに動く。
「……どういう意味だ」
久遠は、静かに答えた。
「怒っている」
「苦しんでいる」
「失ったことを、
まだ痛みとして抱えている」
「それは、生きている側の感情だ」
迅は、何も言わない。
布を握る手だけが、少し強くなる。
「……あんたは違うのか」
その問い。
久遠は、少しだけ空を見る。
月は見えない。
「私は」
静かな声。
「とうに、終わっている」
風が吹く。
迅が、小さく舌打ちした。
「……そういう顔には見えねぇよ」
久遠は、何も答えない。
その場には、奇妙な静けさがあった。
似ているからこそ、分かってしまうもの。
終われない者同士の、沈黙だった。
第四十四話 終
終われないまま進むことも、
きっと生きるということです。




