第百十話「守る者たち」前編
守るということは、ときに大切なものを手放す決断でもあります。
その決断は、すぐに理解されるものではありません。
それでも信じて歩み続けた先で、人の想いは少しずつ繋がっていきます。
今回は、水無瀬家と村人たちの絆が試される物語です。
武装した者達が村に向かっていた。
その知らせは朝早く、水無瀬の村へ届いた。
「先生!」
村人が息を切らし診療所へ飛び込んでくる。
「他の町の兵です!」
「もうすぐ来ると……!」
診療所の空気が張りつめる。
水無瀬清隆は静かに立ち上がった。
「……来るか。」
その横で蓮も立ち上がる。
二人は診療所を出た
村の広場にはすでに多くの村人が集まっている
誰もが不安そうな顔をしていた。
清隆はゆっくりと彼らを見渡す
「……あの祠は、本来留めてはならない流れです」
「亡くなった者は還るべき場所へ還らなければならない。」
「流れを留め続ければ……。」
「亡くなった方は、この世へ留まり続けます。」
ざわめき
村人達が顔を見合わせる。
清隆は一歩前へ出た
「……だが、それだけではありません」
村人達の視線が集まる。
「還れなくなった者は、この世を彷徨い続けることになる。」
「本来なら流れに還り、また新しく生まれてくる機会を得るはずのものが、それを永遠に失う。」
「留めるということは、その人の未来そのものを奪うことでもあるのです。」
息を呑む音が広がる
「私はここ数日、皆さんの体調を診てきました。」
「眠れない者が増えている。」
「食事が喉を通らない者もいる。」
「理由もなく涙が出る者もいる。」
何人かがはっとしたように顔を上げる
「それは悲しみだけではない」
「“引かれている”のです。」
ざわめきが強くなる。
「本来還るべきものが留まると、その周囲の“生きている者”の力を奪い始める」
「会いたいという想いが強いほど、その影響は強くなる」
「……つまり」
清隆はゆっくりと言葉を区切った。
「あなた達が愛している人ほど、あなた達を削ってしまう。」
空気が凍りつく
誰も口を開かなかった
皆、自分の胸に手を当てる
夜ごと見る夢
朝起きても消えない疲労
思い当たる者ばかりだった。
一人の男が前へ出る
「先生!」
涙を流していた。
「頼みます!」
「もう一度だけ……。」
「もう一度だけ家内に会わせてください!」
静まり返る
清隆は男の肩へ静かに手を置いた。
「……気持ちは分かる」
「私も君から大切な人を奪いたい訳ではない」
「だが、君はもう会っているはずだ」
男が顔を上げる
「夜、夢の中で」
「呼ばれただろう?」
男の瞳が揺れる
「……どうして、それを」
「診ていれば分かる」
「君は日に日に痩せている。」
「目の下の隈も深い」
「眠れていないのに、夢だけは鮮明に覚えている。」
男の呼吸が乱れる
「……あれは、夢じゃない」
「君の奥さんは、君を呼んでいる」
「だがそれは、“一緒に行こう”という呼びかけだ」
男の顔から血の気が引く
「このまま続けば、君は遠くないうちに倒れる
」
「そして、同じ場所へ引き込まれる」
「それが、君の望みか?」
男は言葉を失う
震える唇
「……違う。」
「違う……」
「俺は……」
「生きて、あいつの分まで……」
言葉が途切れる
涙が溢れる
清隆は静かに頷いた。
「ならば、還してやらなければならない」
「君の奥さんを」
「本来の場所へ」
男は崩れるように膝をついた。
やがて、拳を握りしめる。
「……先生」
「すみませんでした。」
涙を拭きながら男は村人達を振り返る
「俺だけじゃない」
「みんなも……感じてるはずだ。」
「夜、呼ばれてるだろ?」
ざわめきが広がる
何人かが顔を伏せる
「このままじゃ、俺達も連れていかれる」
「それでいいのか?」
誰も答えない
「違うだろ」
「俺達は、生きてる。」
「生きて、守らなきゃいけないものがある。」
男は強く言い切った。
「先生の言う通りだ。」
「俺達は……。」
「先生を信じよう。」
その言葉に、一人、また一人とうなずく村人が現れる。
やがて、全員が顔を上げた
迷いは消えていた。
清隆は深く頭を下げた
「ありがとう」
その時
村の入口から足音が響く。
武装した兵達が姿を現した。
中央には一人の使者。
「水無瀬家当主。」
「祠を開放していただきたい。」
清隆が前へ出ようとした、その瞬間
村人達が一斉に動いた。
清隆の前へと立ち塞がる。
「先生は俺達が守る!」
誰かが叫ぶ
その声に続くように、村人達が並ぶ。
使者は眉をひそめた
「……どういうつもりですか?」
先ほどの男が一歩前へ出る
「俺達は決めた」
「祠は開けない」
「先生を信じる」
使者はため息をつく
「我々は領主様の命で来ています。」
「祠は領主様の管理下へ置かせていただきます。」
清隆は村人達の背中越しに静かに答えた。
「流れを止める訳にはいかない。」
「祠は開けられません。」
使者は首を振る
「残念です」
「これ以上は話し合いになりません。」
兵達が一歩前へ出る
だが、その前に立つのは村人達だった
誰一人として退かない。
その背中は、確かな意志で満ちていた。
しかし、誰も知らなかった。
この出来事は、水無瀬家だけでは終わらないことを。
九つの祠
そのすべてが、やがて狙われることを
そして、その欲望が積み重なり、
世界を揺るがす厄災へと繋がっていくことを。
第百十話前編 終
水無瀬が守ろうとしたのは、祠だけではありません。
亡くなった人も、生きている人も、本来あるべき「流れ」を守ろうとしていました。
そして、その想いは村人たちにも届きます。
しかし、この出来事はまだ始まりに過ぎません。
九つの祠を巡る物語は、ここからさらに大きく動き始めます。
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。




