第百七話「広がる願い」
いつもお読みいただきありがとうございます。
願いは人から人へ伝わります。
優しさも。
祈りも。
そして――執着も。
第百七話
「広がる願い」
よろしくお願いいたします。
祠の噂は広がっていく。
「本当に会えたらしい!」
「夢じゃないらしいぞ!」
「亡くなった人に会えるんだって!」
村の至る所で囁かれ始めた。
最初は半信半疑だった者達も 実際に体験した人の話を聞くうちに
少しずつ祠へ足を向けるようになっていた。
誰もが口を揃えて言う
『あの祠に行けば願いが叶う』と
森の奥にひっそりと佇む古い祠
古くから水無瀬家が見守ってきた祠。
最近は、その周囲に淡く光る結晶が現れるようになっていた。
月明かりを受けたそれは美しく、どこか生き物のようにも見える。
近づくと微かな囁きにも似た気配が耳の奥を撫でる。
聞き取れるはずもないのに
なぜか懐かしい誰かを思い出してしまう。
そして目を離した瞬間だけ、結晶の位置が僅かに変わっているような錯覚を覚える者もいた。
『誰も確かめられない』
だが森を訪れた者達は皆、同じような違和感を胸に抱いて帰っていた。
「先生!」
診療所の戸が勢いよく開いて
男が飛び込んできた。
目には涙 だが顔は笑っている。
「聞いてください!」
水無瀬は顔を上げた。
「主人に会えたんです!」
女は泣きながら笑う。
「昨日、夢に出てきてくれて……」
「元気だったんです」
「ちゃんと笑っていたんです」
水無瀬は静かに話を聞く。
「そうか」
女は何度も頷いた。
「だから頑張ろうと思うんです」
「主人に心配かけないように」
その顔は以前より明るかった。
水無瀬は微笑む。
「それは良かった」
女は深々と頭を下げて帰っていった。
水無瀬は小さく息を吐いた。
「最近多いですね」
薬草を仕分けながら妻が言う。
「ああ」
最近、診療所には毎日のように人が訪れてくる。
「母に会えた」
「息子に会えた」
「妻に会えた」
誰もが嬉しそうだった。
泣いていた者が笑う
塞ぎ込んでいた者が前を向く
本来なら喜ぶべきことなのだろう。
だが――
水無瀬の表情は晴れなかった。
確かに笑顔は増えている
それなのに村には妙な静けさがあった。
人々は以前より頻繁に祠へ通うようになり
話題の中心も祠のことばかりになっていた。
まるで皆が同じ夢を見ているようだった。
いや、
同じ何かに夢を見せられているような…
そんな説明のつかない感覚があった。
⸻
『人は弱い』
そう語られることがある。
だが私はそうは思わない。
人は忘れない
忘れられない
大切だったからだ
愛していたからだ
だから会いたいと思う。
『もう一度だけでも』
その気持ちを誰が責められるだろうか?
だからこそ恐ろしい
その願いはあまりにも純粋で
あまりにも抗い難い。
⸻
夕方
水無瀬は祠へ向かっていた。
風が吹く
木々が揺れる
静かな場所だった。
「……増えている」
足元には結晶が散らばっていた。
昨日より多い
明らかに
不自然なほどに
祠の周囲を埋める結晶は、もはや石ころの数ではなかった。
根を張るように地面から突き出し、淡い光を脈打たせている。
夕闇の中でそれらは呼吸しているように見えた。
よく見ると脈動は揃っていない。
無数の鼓動が重なり合うように、ばらばらの間隔で明滅している。
まるで一つ一つに別の意思が宿っているかのようだった。
水無瀬はしゃがみ込んで
結晶を拾い上げた。
微かな想いが残っている。
温もり
記憶
感情
まだ流れていない
まだ還っていない
それどころか
結晶の奥には幾重もの想いが絡み合い、澱のように沈んでいた。
眉が寄る、
本来ならあり得ない。
流れは留まらない。
留まってはいけない。
全ては巡り
還るべきものだからだ。
だがこの場所では
何かが留まり続けている。
それだけではない
結晶のさらに奥
想いの層の向こう側に、何か別の気配があった。
覗き込めば覗き込むほど遠ざかる
形も正体も掴めない。
『何かが確かにそこにいる』
そんな不快な感覚。
祠の奥から吹く風は冷たくはない、
それなのに背筋だけが粟立った。
誰もいないはずの祠の暗がりから、こちらを見返されているような気がした。
⸻
その時、
「先生!」
声がした方に振り向く。
最近妻を亡くした若い男性だった。
男は嬉しそうに話す。
「今日も会えました」
胸元には結晶
「昨日より長く話せたんです」
水無瀬は黙って男の観察をする。
男は続けた。
「また明日も来ます」
その目は祠を見ていた。
まるで何かに引き寄せられるように。
水無瀬の胸がざわついた。
男の顔色は悪い
痩せてもいる
眠れていないのだろう
それでも本人は気付いていない?
いや…
気付いていても構わないのかもしれない。
会えるのだから。
男は無意識に胸元の結晶を撫でていた。
愛おしむように
縋るように
その仕草は亡き妻を想うものにも見えたが、同時に結晶そのものへ向けられているようにも見えた。
結晶は夕闇の中で微かに光った。
まるで撫でられたことに応えるように。
「先生?」
男が首を傾げる。
水無瀬は静かに笑った。
「身体は休めなさい」
「はい」
男は笑顔で答え、
そして祠の方を振り返った。
その笑顔は幸福そのものに見えた。
しかし、その視線は祠だけを見つめていた。
その姿を見送りながら。
水無瀬は拳を握る。
⸻
夜の診療所で
妻が薬草を刻んでいる。
「あなた?」
水無瀬は黙っていた。
「どうしたの?」
しばらくして
ようやく口を開く。
「結晶が増えている」
妻の手が止まる。
「そんなに増えているの?」
「ああ」
「増えているだけじゃない」
妻は夫を見る。
水無瀬は静かに言った。
「人も変わり始めている」
沈黙が落ちる…
妻も気付いていた。
最近訪れる村人達の様子に。
少しずつ、本当に少しずつ
何かが変わり始めていることに。
「皆、幸せそうなのに」
妻はぽつりと呟く。
「ああ」
だがその幸福はどこか歪に見える。
祠へ行けない日には落ち着かず
夢で会えなかった日は酷く沈み込む。
そして翌日にはまた祠へ向かう
まるで失うことを恐れるように
まるで与えられる幸福に縛られるように。
⸻
あの日
初めて異変に気付いた者がいた。
水無瀬の守り人。
『命と流れを見守り続けた医師の家系』
村の者達は先生と呼んだ。
だからこそ見えてしまった。
還るべきものが
還れなくなり始めていることを。
祠の周囲に積み重なる結晶
そこへ吸い寄せられる人々
願いは叶っている
誰もが救われている。
それなのに…
何かが確実に削られていた。
結晶は増え続ける。
まるで何かを蓄える器のように
まるで何かが目覚めるための苗床のように。
まだ、誰も知らなかった…
それが始まりに過ぎなかったことを。
幸福の裏側で、ずっと息を潜めていた何かが、今まさに目を開こうとしていることを。
その夜、森の奥。
誰にも聞こえないはずの場所で
ひび割れるような微かな音が響いた。
結晶の光が一斉に脈打つ。
まるで何かに応えるように
まるで何かを迎えるように
まだ誰も気付かない。
だが確実に、取り返しのつかない何かが
動き始めていた。
第百七話 終
第百七話でした。
会いたい。
その願いは決して間違いではありません。
誰かを大切に想ったからこそ、人は忘れられず、もう一度だけと願うのでしょう。
だからこそ恐ろしい。
純粋な願いほど、人の心を強く動かしてしまうのです。
次回もよろしくお願いいたします。




