第一部 尼子秘帳 六
次の日、黒鷹精久郎は、寝起きする場所を阿弥陀堂に移した。
瑞竹寺の裏手の竹藪の中に、使われていない阿弥陀堂があったのである。
円仁和尚が、首を傾げた。
「わざわざ、あんな所に移るんですか」
「さよう」
「剣術使いの方のお心は、分かりませんのう」
長年使われていない堂なので、ある程度の修理と掃除が必要であった。
寺に出入りする大工に修理と掃除を頼む。
黒鷹精久郎は、塚原道場の周辺を歩き、塚原道場四天王について聞いた。
塚原道場の蔵の中の会話で、四天王が、大山、東上、西野、後藤の四人であることは分かっている。
大山新八郎、これは黒鷹精久郎が倒した。
東上晋太郎は、塚原道場の蔵の中で話を交わした侍である。
塚原千秋と、将来を約束しているらしい。
しかし、父親の塚原駿郎が不慮の死を遂げたので、祝言をあげるのは、かなり先になるであろう。
西野金四郎は、如才ない侍らしい。
四天王の一人と称されるくらいだから、剣術は強い。
だが、強者の殺気はないのである。
道場仲間や周囲の人間たちとも、快活に付き合う侍のようであった。
それに対し、後藤大助は逆。
強者の殺気をふりまいているようである。
うっかり近寄れば斬られてしまう。
太平の世を戦国時代と間違えている侍。
こういった評判であった。
ついでに、算士吾郎のことも聞いたが、これは、だれも知らなかった。
また、どこかで聞いてみよう。
先ずは、尼子秘帳のことを解決しなければならない。
黒鷹精久郎は塚原道場へ行った。
武者窓から、稽古を見る。
町中の評判だけでは、判断を誤る。
自分自身の目で確かめなければならない。
とくに、剣の技量は、そうである。
広い道場内を見渡したところ、東上晋太郎の姿はない。
巌のような大男が、門人たちに稽古をつけている。
剣術の腕が、抜きん出ていることは、すぐに分かった。
黒鷹精久郎は、やはり武者窓から見ていた町人に聞いた。
「あれは、誰だ?」
「四天王のお一人、後藤大助様でございます」
「西野金四郎というのは?」
「ええと……今日は……お見えではないようですね」
昼になり、道場から、門人が、三々五々、出てきた。
後藤大助が出てきた。
他の門人から離れて、独りで歩いている。
黒鷹精久郎が近づいた。
後藤大助が、黒鷹精久郎に気がついた。
後藤大助は、黒鷹精久郎の目を見て、そのまま歩き続けた。
黒鷹精久郎は、少し遅れて、後を歩く。
神田川に出て右へ曲がる。
そのまま神田川沿いに歩く。
水道橋を渡る。
木戸番屋を通り過ぎて、土手に上った。
後藤大助が、黒鷹精久郎と向き合って、言った。
「ここならいいだろう」
「聞きたいことがあるだけなのだが」
「試合を所望する」
後藤大助は、鯉口を切って、言った。
「塚原道場四天王の一人、大山新八郎を倒すとは大したものだ。
その腕前、この手で確かめてみたい」
「分かった。望まれた試合を断るつもりはない。
だがその前に……」
「聞きたいことがあるのだな?」
黒鷹精久郎は、黙ったまま、頷いた。
「あの試合のことを誰かに話したか、ということか?」
黒鷹精久郎は、頷いた。
「余計なことは喋らない。貴公もそうだろう」
黒鷹精久郎は、微かに笑って、頷いた。
「誰かに話したとすれば、西野金四郎か東上晋太郎のどちらかだ。
西野金四郎、これは調子者で軽い所があるから、軽い口で話したかもしれない。
剣の腕も、技量はよいのだが、やはり、軽い。
それと、東上晋太郎も、今は少し浮ついているから、話したかもしれん。
近々、千秋殿と祝言を上げることになっている。
剣の腕は、まあ、道場の主になるだけの技量はある。
しかし、それ以上ではない。
そんな所だ。
聞くのなら、西野や東上に聞いてくれ。
余計なことを喋り過ぎたようだ。
先生の仇討ちをするのだな?」
黒鷹精久郎は、黙っている。
「尼子秘帳か?」
黒鷹精久郎は、頷いた。
「免許皆伝の巻物が大切か?」
「私のものだ」
「そうか……。巻物よりも実際の技量だと思うが。
ともかく、聞くなら西野や東上に聞いてくれ。
それより、試合だ」
「道場の剣術と実戦は違うぞ」
「試してみる」
後藤大助が刀を抜いた。
中段に構える。
黒鷹精久郎も、刀を抜いて、中段に構えた。
双方の切っ先が三尺ほどの間合いである。
後藤大助は、刀を小刻みに動かした。
後藤大助の刀が、黒鷹精久郎のそれに当たった。
その瞬間、後藤大助は、刀を上段に動かした。
踏み込む。
上段から斬り落とすつもりであった。
だが、黒鷹精久郎の動きは、はるかに速かった。
後藤大助が刀を上段に動かしたとき、黒鷹精久郎は大きく踏み込んだ。
横に腹を斬る。
後藤大助が倒れた。
黒鷹精久郎は、刀身を、拭い、鞘に収めた。
木戸番屋へ行く。
番太郎が試合を見ていたことを、知っていたのだ。
黒鷹精久郎は、番太郎に言った。
「おい」
「へ、へい」
「ご苦労だが、奉行所へ届けてくれ。
黒鷹精久郎が、塚原道場四天王の一人、後藤大助と試合をした、とな」
「へい、かしこまりました」




