第一部 尼子秘帳 七
次の日。
黒鷹精久郎は、瑞竹寺の裏の竹藪の中にある念仏堂で目を覚ました。
昨日のうちに、念仏堂は、きれいに掃除がされていた。
それで、昨晩から、ここへ移ったのである。
寅三ツ刻である。
水を被って身体を清める。
一時の間、居合いなどの鍛錬を行う。
それから玄米の食事をする。
食事の後、端座して大刀を抜いた。
刀身の太い実戦向きの刀であった。
銘はない。
打粉をかける。
拭い紙で拭う。
刀身を見る。
この数日で二人も斬ったのである。
研ぎに出した方がよいであろう。
油を塗る。
人の気配を感じた。
もちろん、小刀は左脇に置いてある。
「黒鷹さん、私です」
円仁和尚が入ってきた。
「お客ですよ」
円仁和尚は、部屋の中を見回して、独り言をいった。
「客を通す部屋じゃない。
わざわざ、こんな所へ移って、どういうつもりなのか、まったく、もう」
円仁和尚と入れ違いに、同心の芥川行蔵が入ってきた。
芥川行蔵は、部屋の中を見回して、円仁和尚に答えるかのように言った。
「ここは竹藪の中。
矢は通りませんねえ」
黒鷹精久郎は、手入れをしていた刀を鞘に収めると、左脇に置いた。
芥川行蔵は、黒鷹精久郎に対座すると言った。
「また人を斬りましたね」
「尋常な試合だ」
「分かっています。
でも、こう、次から次へと死人が出ては、かなわない。
侍が人を斬る時代は、もう終わったんですよ」
「それを言いに来たのか?」
「それもありますが……尼子秘帳の事が、少し、分かりましたので……」
黒鷹精久郎は、黙ったままである。
だが、興味を示したような目になった。
芥川行蔵が話を始めた。
「昔々……、侍が人を斬っていた時代ですな。
武者修行で諸国を回っていた塚原卜伝は、岩見の国で尼子晴久のもとに逗留した。
この尼子晴久、戦国の武将として有能だったが、それだけではない。
剣術にも非凡の才があったようですね。
麒麟児。
塚原卜伝に手ほどきを受け、どんどんと上達した。
とうとう、塚原卜伝が免許皆伝を認めるまでになった。
その証として塚原卜伝が与えたのが尼子秘帳」
芥川行蔵が、話を止めて、黒鷹精久郎を見た。
黒鷹精久郎は、黙ったままである。
芥川行蔵が、続けて話した。
「まぁ、ここまでは、よくある、剣術の免許皆伝の話ですが。
尼子秘帳は、それだけではないようです。
塚原卜伝は、諸国を回っていましたが、それは、剣術の修行だけではなかったようですね。
諸国の自然、風土、産業なども調べていたようです。
一国の将としての視点ですな。
尼子秘帳には、そういった諸国の事が記されていたそうです。
他国を切り盗り、いつかは京の都に旗を立てようという野望を持つ戦国大名なら、のどから手が出るでしょうな。
ただ、なぜそれを尼子晴久に渡したのか?
そこのところがよく分からないのですが。
ともかく、尼子秘帳は、免許皆伝を認めるだけのものではない、大変な価値があるようです」
黒鷹精久郎が、言った。
「元亀、天正の時代ならともかく、今では何の価値もなかろう」
「ほとんどはそうでしょうね。
でも、その巻物に金山や銀山の場所が記されているとしたら、どうですか」
黒鷹精久郎は、納得したような顔つきになった。
芥川行蔵が続けた。
「金や銀が出ることは分かっているが、山が険しすぎて掘ることが出来ない、そんな場所も書いてあるんじゃないですか。
あの頃は無理だったろうが、今ならば、掘れるかもしれない。
今、どの大名も台所が苦しい。
未開発の金山や銀山を記した巻物があれば、のどから手が出る」
黒鷹精久郎が、聞いた。
「その話、どこで調べた?」
「私は同心ですから、公儀の書院でいくらでも調べられますよ。
ほこりにまみれて苦労しましたがね」
「他に知っている者は?」
「さ、そこですよ。
実は、これを調べるのに、蔵を五つ探しました。
それで、ようやく、探し当てた古文書の最後の方に、ほんの数行、書いてあっただけ。
誰も知らないでしょうね。
あなただって、免許皆伝の巻物としか知らなかったのでしょう」
「尼子の関係者なら、その辺の事情を知っていたろう。
それが、代々伝わっていたかもしれない」
「そうなのです。
秘伝として代々伝わっていた。
ところが、御家の台所が、もうどうしようもなくなって、とうとう動き出した。
そんな所かもしれないですね。
尼子は滅亡しているから、広島四十二万石、萩三十六万石、あたりに伝わっているのでしょうか。
ところで、台所が苦しいのは御公儀も同じ。
尼子秘帳を持っていることが分かったら、御公儀の名で召し上げますか」
芥川行蔵は、立ち上がって、言った。
「どうです、探してくれませんか?」
「探すのは同心の役目だろう」
「盗人や人殺しを捜すのに、忙しくて。
まかせますよ」
「あれは私のものだ」
「頑固ですねぇ」
芥川行蔵が出て行った。
黒鷹精久郎は大刀を見た。
研ぎに出さなければならない。
今日中に、研ぎに出した方がいいだろう。
黒鷹精久郎は、腰を上げた。




