作戦遂行中!
「最近話題のネモ・アルク・モンテローネ伯爵というのはあそこにいるお人か?」
晩餐会を遠巻きに眺める貴族たちの一団があった。彼らは回りから少しばかり浮いており、その周辺の空気だけ数度違うような――低いような錯覚を覚えさせられた。端から見ると楽しんでいないのだろうか、と勘違いされてもおかしくない。
であるからして、他の貴族たちは彼らを敬遠するように振る舞っており、目には見えないがそこには明確な壁が存在した。とはいえ、それに誰もが気が付いているわけではなく、若い貴族たち――つまり、成人していない貴族の子息たちはこの境界が見えないらしく、その境界に平気で侵入していくのだった。
その良し悪しを判別するのは存外に難しい。晩餐会を楽しむ大人たちは眉をひそめるが、晩餐会を主催したスタートルビー夫妻は寧ろ喜んだ。
何故子息たちは一団に近付くのだろうか?
一団を観察していれば気が付くのだが、一団に寄っていく子息たちは、総じて十代後半の少女たちであった。そして、一団の中心には艶やかな赤髪を撫で付けたきらびやかな男がいた。
ああ、成る程そういうわけか、と人々は気が付くだろう。また少女たちを、思春期の熱に魘された夢だ、と冷笑するだろう。
少女たちの親からすれば一団を敬遠する理由は分かりやすい。甘いマスクの二枚目に盲目的に寄っていく姿など、貴族にあるまじき行為だからだ。しかし、少女特有の情熱的な行動力を止められる親は誰もいなかった。
「ええ、そうですわ。どうかされたのですか、サルバルス様?」
取り巻きの少女たちが口々に答える。
サルバルスとはこの一団の中心にいる二枚目の男の事だ。本名をサルバルス・ブラックといい、先代第一盟主の右腕を務めたドルバルス・ブラック子爵の一人息子である。来年成人を迎える。
サルバルスは遠目にモンテローネ伯爵を確認すると、その目線を幾ばくかなぞっていき、彼の娘であるエリシャ・アルク・モンテローネの元で留めた。
「いや――子は親に似ると言うが、強ちそれも正しいとは言えないのだな」
「……?」「どういうことですの?」
「ほら、あそこにいる伯爵とその娘のエリシャ嬢を見てごらん」
次々に、少女たちは二人を見比べ感想を言い合った。その感想は概ね似ていないということで一致する。遠目からなので詳しくは見えないが、目元や口元が似ていないのだ。
「母親似ということなんだろうな」
「とても綺麗な人だったんでしょうね」「確かもう亡くなっているって聞いたわ」「まあ、お可哀想に」
目元にハンカチを持っていく少女たち。よく見れば泣いていないのは明白なのだが、これも己の慈悲深さをサルバルスにアピールする一貫なのだ。
「旅をするのがお好きなお人なんだろう?」
「ええ、そう聞きましたわ」「今は連合国に観光旅行だと」「とても博識とも聞きましたわ」「お医者様顔負けですってね」
サルバルスは頷いた。
伯爵の噂はかねがね聞いている。容姿も人格も品格もやんごとなき人であると、様々な人から聞いていた。こうして、彼女らに聞き直したのは新しい噂はないかと気になったからだ。取り巻きの少女たちを見てみれば、何人か伯爵に熱い眼差しを向けている。ううむ、とサルバルスは唸った。
サルバルスは伯爵が怖かった。自身の容姿、人格、品格に自信を持っていただけに、それを軽く凌駕する伯爵に取り巻きの少女たちを取られはしないか、と怯えていた。
しかし、サルバルスも誇り高き貴族だ。負けてばかりでは名が廃る。そこで彼はこう考えた。伯爵とは勝負にならない。基礎となるスペックが違う。精々勝っているのは爵位くらいだ。だが、エリシャ嬢とだったら? 彼女を口説き落とせれば、一つ勝ったことにならないだろうか?
伯爵の大事な一人娘をサルバルスが奪えば、伯爵を一つ負かしたことと同じだと考えたのだ。
「エリシャ嬢もきっと素晴らしい人に違いない。何せ伯爵の一人娘だ」
「まあ、エリシャ嬢が気になるのですか?」「私たちがいるのにですか?」「もうっ……! 欲張りな人なんだから」
「そういう訳じゃないさ。エリシャ嬢は伯爵について一緒に旅をしているわけだろう? だったら彼女も博識なのかと思ったまでだよ」
即断即決。
サルバルスは早かった。取り巻きの少女たちを置いてけぼりに勇みよく歩を進めた。途中、給仕から飲み物を二つもらい、他の子息たちと雑談に花を咲かすエリシャ嬢の前に来た。
「こんばんわ、エリシャ嬢。喉は渇きませんか?」
と、少女なら誰もが蕩ける甘い声と笑顔でグラスを差し出した。エリシャ嬢は突然の申し出に驚きつつも、確かに喉は渇いていたので会釈をして受け取る。このとき、他の子息たちは、ある者は悔しそうに顔をしかめ、ある者は口に手をあて驚き、その場をサルバルスに譲った。その中にはジョウダンやエマもいた。
サルバルスは彼らを一瞥し、一歩前へ出ると改めて自己紹介をする。
「僕の名はサルバルス、サルバルス・ブラックだ。モンテローネ嬢には一度挨拶をしたかったんだ」
「私に……ですか?」
「ええ、今や社交界中が伯爵と嬢の話題で持ちきりだからね。有名人に挨拶するのは当然だろう?」
「有名なのは全部父のお陰です。私は何もしていませんわ」
「いや、そんなことはないさ。僕はモンテローネ嬢が伯爵にも劣らない素晴らしい人だということを知っている」
「まあ! 冗談がお上手ですこと」
「冗談じゃないさ。確かに今は父上の方が有名だけど、もう少ししたらモンテローネ嬢の方が有名になる。絶対にだ」
サルバルスは念押ししてそこを強調した。そこに明瞭な根拠はない。だが、彼は知っている。親が有名な貴族であるほど、自身の承認欲求が強いことを。
実際これは功を奏したようで、嬢の顔が若干赤くなった。
「サルバルス様はどうしてそう思うのですか? 私は父について回る子犬。愛でられこそすれ、期待されることはありませんわ」
「僕はモンテローネ嬢のことを――」
「――エリシャで構いませんわ」
「……。エリシャ嬢のことを遠目から見ていたんだが、君は必ず人と話すとき、男女問わずきちんとした姿勢で聞くだろう? それに、誰かの飲み物が無くなる前に気を利かせることも出来る。貴族でこれが自然と出来る人は中々いない」
特に前者がね、と付け加える。
「そ、そんなことありません。私は当たり前のことをしているまでで……」
「その当たり前のことが出来る人間は意外と少ない。君はきっといいお嫁さんになる」
「……まあ! 恥ずかしいわ。お嫁さんだなんて――私そんなこと考えたこともないのよ?」
エリシャは顔を手であおった。先程まで白磁のような美しさだった彼女の肌は、今や年頃の少女が持つ色香に染められ、ほんのりと上気している。
サルバルスは心の内でほくそ笑んだ。彼にとって少女を落とすことは児戯に等しい。持ち前の美声と顔を使えば、どんなに気高い女性も落とすことが出来た。
「……サルバルス様……少し、風に当たりに行きませんか?」
「ええ、喜んで」
「その前に――カエデ、新しい飲み物をを二つ持ってきてくれる? これと同じものでいいわ」
「かしこまりました」
カエデと呼ばれた黒の一族の付き人は深々と会釈をすると、人混みに紛れていった。サルバルスはそれを見送り、流石だね、とエリシャを賛辞した。
サルバルスは黒の一族のことが嫌いであった。有り体に言えば、差別していた。それはジョウダンやエマたちの言うような理由からではなく、特に理由もなく差別していた。魔術の使えない劣等種族だとか、力しかない蛮族などと蔑んでいた。
そして、サルバルスは土曜会というロール人至上主義を掲げる秘密結社に入団しているのだった。その結社は徹底的に黒の一族を忌み嫌い、奴隷として飼うことすら許さず即刻絶滅させよ、という主義の危険な思想を持っている。
サルバルスたち一団の周辺が冷え込んでいたのはここに起因する。貴族たちは通常、黒の一族を持つことが一種のステータスだと考えているので、こうような晩餐会では豪奢に着飾って側に控えさせる。そもそも、黒の一族を忌み嫌うサルバルスにとっては苦痛でしかない。
「先に移動しようか」
「待たなくていいので?」
「後ででいいんじゃないかな。それに、あれがいると雰囲気が壊れるしね。ははは」
「……雰囲気――ですか」
「どうかしたのかい?」
一瞬、エリシャの顔が曇ったように見えた。しかし、それはサルバルスには理解できなかった。ただ、彼はエリシャの機微に気が付き、少し慌てて、
「ほら、人に見られながら話すのは恥ずかしいだろ?」
と付け加えた。
「……尤もですわ」
ふう、とサルバルスは胸を撫で下ろす。だが、彼はエリシャの欠点を一つ見つけた。男女問わず、気配りの出来る彼女は、それこそ種族も問わず気配りの出来る女性であった。
これはいただけない。ロール人至上主義を掲げる秘密結社土曜会に属するサルバルスにとって、これは非常に大きなマイナス点だ。
普段ならここでサルバルスは適当な文句をつけて別れていただろう。実際他の女性を落とすときはそうしたこともある。しかし、今回は事情が違った。伯爵に勝つために口説き落とすのであり、自分のために口説くのではないのだ。
サルバルスの頭に一つの妙案が浮かんだ。
――きっとこの性格は伯爵の影響が強いに違いない。これを上書きして、僕の思想を植え付けることが出来れば、尚更伯爵に勝ったことにならないか? エリシャの愛情は伯爵に向いていないことを彼が知ったら、どんな顔をするだろうか?
サルバルスはエリシャに微笑んだ。




