カエデとの出会い その2
俺は右手を差し出した。何事もまずは挨拶から。コミュニケーションは対人関係においてとても重要なものだ。そう思い、握手をしようとしたのだが、カエデは俺の手を握らなかった。
いやいや、忘れていたわけではない。カエデは両腕にハンデを抱えており、満足に動かすことすら出来ないことは、きちんと頭に留めてある。
俺とカエデには明確な主従関係が存在する。今の握手は、その境界線を少しでも曖昧にしようとした俺なりの親睦の印だ。俺としては握り返すかどうかはどうでもよく、カエデに俺という人間がどのような人柄かを知ってもらおうとした、ただそれだけのことなのだ。
効果はきちんとあったようで、カエデは激しく狼狽えた。何度もぼろ切れから腕を出そうとし、すぐに引っ込めた。今はこれでいい。彼女の頑張りは俺に届いた。両腕の怪我を見せたくないのなら見せなくていい。その誠意だけで十分だ。握手はその怪我が治ってからでいい。
「握手はまた今度だな。じゃあ、俺について聞きたいことはあるか? カエデ」
「…………!」
カエデはふるふると首を横に振った。
おっと、これは悪手なのか。奴隷として生まれた彼女にこのような聞き方をしてはいけないみたいだ。キキョウは出会いが特殊だっただけに会話で困ることはなかったが、寧ろこれが正常な奴隷の反応なのだろう。
俺は奴隷商を見た。彼? 彼女? はカエデよりも俺の方に関心があるらしく、両手を組んで俺を観察していた。
「あんたはさっきから何してるんだ?」
「あなた実は育ちがいいでしょ?」
「どうしてそう思う?」
確かに、俺はこの世界よりも数百倍はいい環境で育ったが、この短時間でそれを見抜けるのか? いや、単純に人を見る目があるのか?
「だって、物腰とか話し方がきちんとカエデちゃんのことを理解した話し方なんですもの。私、こう見えて人を見る目はあってよ」
「人を売り捌くだけに?」
「あらやだ。この子達は人じゃあないわよ。奴隷よ奴隷。人なんて売るわけないじゃない」
「カエデは人じゃないのか?」
「こんな野蛮な生き物人じゃないわ」
「……そんなものか」
「ええ、そんなものよ」
俺はカエデを見た。彼女は俯いていた。項垂れた頭は酷く小さく見えた。
俺はこの様なところにいるのはもう真っ平ご免なのでここを出ることにした。
「俺はもう行くが、最後に一ついいか?」
「なあに?」
「もし、あんたが奴隷になったらあんたは人でなくなるのか?」
奴隷商は目をぱちくりさせた。まるで、このことを考えたこともなかったかのような反応である。いや、事実考えたこともなかったのだろう。俺は自分の優位性を片時も疑ったことのないこの奴隷商が可哀想に思えてきた。
「……そんなことあるわけないじゃない。私が奴隷だなんて冗談でも笑えないわよ」
「その観念が引っくり返らないといいな」
「ないわそんなこと。今のロール人はとっても強いのよ。魔術が使えるんだから。そこの奴隷と違ってね」
そのような軽口を言えるのも今のうちだろう。暫くすればそうも言っていられなくなる。
俺とカエデは壇の裏から出た。すると、まるで俺のことを待っていたかのような汚ならしい人だかりが出来ていた。どいつも、意地悪くカエデの両腕を馬鹿にするために腕を前に突き出して似てもいない物真似をしていた。成る程、カエデを見物しに来たのか。いやらしい連中め。
カエデを見ればすっかり萎縮してしまい、誰に頼るともなく身を縮めている。しかし、俺にはボロの中で両腕をぎゅっと握りしめているのがわかった。
「おい見ろ。前足の餓鬼が出てきたぞ」「でへえへ、顔だけは可愛いのによお。腕が犬の前足みたいじゃあいただけねえな」「おい新人。お前、俺にこの餓鬼を売ってくれよ、頼むよ。俺は馬鹿な犬を犯すのが大好きなんだ」「夜道には気を付けろよぉ~。後ろからグサッていかれないようになぁ」「ぶち犯して殺してやりてえぜ」
本当に反吐が出る連中だ。ここに住む奴等を形容するならば、虫すら寄らぬドブ底から出てきた”不快”そのものが服を着て歩いているようなものだ、という言葉がぴったりである。奴隷商はここの連中も人間だというのだろうか。
「悔しいか?」
カエデにだけ聞こえるように囁く。彼女は黙って頷いた。
「だったら前だけを見ろ。ここのゴミどもの顔なんて見るな」
再びカエデは頷いた。
そのとき、野次馬の一人がカエデに近付いたかと思うと、彼女のボロを思い切り引き裂いた。カエデは何が起きたのか分からずただ呆然となり、折れた両腕が晒されたことに気が付くのに遅れてしまった。
「こりゃあ本当に犬みたいだ! 両腕が完全にイカれた方へ行っちまってる!」
そいつはボロの切れ端を高く掲げ、俺に見せつけた。
ここで、俺は怒髪天を衝いた。切り裂いた奴の元までナノロボットの脚力をフルで活かして、瞬間移動とも言うべき速度で近付くと、そいつの足を蹴り飛ばし転がす。転げたところに俺はそいつの汚い頭を地面が陥没するくらいまで踏み抜いた。無論そいつは死んだ。
それまで高まる一方だった野次が一斉に止んだ。ぽつぽつと死んだ、とか殺した、とかいうような言葉が聞こえる。俺はカエデのところまで行くと彼女をグイと引き寄せ、着ている外套の中へ隠した。
「……ご主人様」
「お前を笑う奴を全員殺そうと思うが、いいか?」
「えっ? ダ、ダメ……です!」
「じゃあ、直接手を出してきたら殺すってことでいいな? ――くはは」
「どうして笑うの……ですか?」
「主人である俺に意見したなと思っただけだ」
「あっ! ごめんなさい!」
「いい! 気にするな!」
俺は野次馬連中を睨み付けた。貧民窟の連中なだけあり殺気には敏感らしく、何人かはナイフや片手銃を構えている。一触即発の状況とはこのことだ。
やや、こうして睨み合っていただろうか、沈黙の時間が続いた。ナノマシンで周囲を確認してみれば、奴隷商の主人も顔を出している。彼は言わんこっちゃない、と首を横に振り溜め息を吐いていた。
この隙を利用しない手はない。俺は素早く術式の書かれた札を足元へ配置し、ナノマシンをカエデの腕に送り込んだ。更に、微粒子レベルのロボットたちを連中の隙間を縫うように張り巡らせた。
「少し痛いかもしれないけど我慢しろ。俺がその腕を治してやる」
外套の中でカエデは不思議そうな顔をした。俺の言ったことが理解できなかったわけではあるまい。だとしたなら……。
「でも……お前の腕は治らないって言われ……ました」
「くはは、一度お前は常識を捨てろ。俺に拾われたということはそういうことだ」
俺はカエデの返事も待たずに、奴等に怒鳴り付けた。
「ドブ底の沈殿物諸君! これ以上のカエデへの中傷は、俺への中傷と捉える! もし、一言でも一指でも触れてみろ、骨も残さず焼き殺してやるからな。自殺志願者だけ前に出ろ」
「新入りぃ! てめえよくもやりやがったな!」「殺せぇ!」「殺れるもんならやってみろ!」「『黒鳥』が黙っちゃいねえぞ!」「前足の餓鬼を出せぇ!」「あいつは八つ裂きだぁ!」
「「「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」
じりじりと野次馬たちがその輪を狭めながらにじり寄ってきた。すべての手に何らかの武器が握られており、臨戦態勢となっている。
戦いの合図は一発の銃声だった。
「やっちまええぇ!」
誰かが持つ片手銃の発砲と共に連中が俺たちへ殺到する――かに見えた。だが、弾丸も刃も俺たちに届くことはなかった。放たれた弾丸は狙い過たず俺の頭を捉えていたが、俺は足元へ仕掛けておいた術式を発動し、弾丸を破壊。殺到した連中もナノロボットを介して発現させた破壊魔法により、地面へと消えていった。
一瞬で着いた勝負に、助かった者、端から見ていたものは瞠目した。二十人を越える野次馬たちが何処に消えたのかを必死に探している姿は滑稽であった。ああ、愉快愉悦、気持ちが良い。ここのクズどもに一泡吹かせてやったぞ。
「殺した……んですか?」
「いや、穴に落としただけだ。もしかしたら足の骨くらい折ってるかもしれないが、そんなこと俺は知らん」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。カエデ、腕は痛むか?」
「少しだけ。でも大丈夫……です」
「見せてみろ」
カエデの腕は熱を持っていた。これはナノマシンで外科治療をするときに現れる反応だ。凄まじい速度でナノマシンが骨や細胞を壊し、それを食べてナノマシンを増殖させ、代わりにナノマシンが配置される。そのときに患部が発熱するのだ。通常、この治療は麻酔を使うのだが、今はそれがないため、腕の神経に干渉して痛みを和らげている。少々手荒だが、もう少しの辛抱だ。
『湾曲した両腕の修復が完了しました。マスター』
――よくやった。
俺はカエデを外套から外に出した。彼女は何が起こったのか分からず呆けた顔をしている。腕をとんとんと叩いてあげた。すると、カエデは自身の変容に気が付いたのかみょうちくりんな声を上げた。
「うなああぁ! 僕の腕が――! 腕が治ってる――! うなああ!」
ボロが破れているのも構わず両手を挙げて跳びはね回り、それを雲から垣間見えた太陽に翳したり、自身を抱き締めたり、持ち前の身体能力を活かして逆立ちして歩いたりしている。
「ご主人様ありがとう!」
最後は俺に飛び付いてきた。腰回りでくるくるまとわりつき、ぴょんこぴょんこと跳ねていた。俺はカエデを抱き上げ肩へ乗せる。
「よく聞け有象無象ども! カエデの腕はこの通り完治した。これ以上前足とは言わせない。一言でも言ってみろ、さっき俺が殺した糞野郎みたく地面にキスさせてやるからな! 俺の名はモネ! 今日がデビューの新人だ! 俺の名をようく覚えておけ!」
恥ずかしがるカエデを無視し、俺は彼女を肩に担ぎながら活動拠点となる倉庫へ向かった。
貧民窟の吐きそうになる臭いとは裏腹に俺の心は清々しかった。




