カエデとの出会い
話を少し前に戻す。議会の始まる一月半前、俺がカエデと初めて出会った場所、貧民窟を訪れたときの話だ。以前にも説明したと思うが、貧民窟ほど悪事を働くに快適な場所はない。悪事が凝り固まって出来たのがこの貧民窟だと言ってもいい。
言い過ぎだと思うか? 意見は貧民窟の実態を見てから言った方がいい。あそこに暮らす輩はどいつもこいつも下劣で品の欠片もなく、善意というものをこれでもかと嫌う悪魔みたいな連中だからな。実際、貧民窟何てお涙頂戴を誘う下手な嘘に過ぎない。
本物の貧民窟はこの世の地獄と見紛うほどの凄惨さである。場所こそ貧民窟の東側にあるが、そこでは梅毒に罹患し、鼻の削げ落ちた男女や、重傷を負い働けなくなった奴隷がごまんと踞る救いのない世界なのだ。医者などいるはずもなく、死体すら処理されない。当然伝染病や腐臭が蔓延している。そこへは大悪党ですら近づかない上、脅し文句に東に落とすぞなんて言葉があるくらいだ。
まあ、とにかく、貧民窟あれやこれは置いておき、本題に移ろう。
変装した俺は貧民窟の西側へ足を運んだ。予め用意した五十枚の贋金貨を懐に入れ、適当な広さの倉庫を買おうとしたんだ。一階建ての地下室付きの倉庫だ。正直なところ、広さはどうでもよかった。後々事務所にするつもりだからある程度の広さが欲しいだけなのだ。肝心の金貨は地下に隠すからね。
暫く物色して、丁度いい場所を見つけ、贋金貨三枚で買い取った。
これから暫く顔を出すであろうこの場所に馴れるため、俺は一帯の散策をしようと思い立った。今から思えば、この思い立ちがなければカエデとは出会うことはなかった。そう考えると、馬鹿に出来ない偶然だ。
俺は暫く歩いていた。すると、西側の一番人通りの激しい広場で、何やら騒がしい声が聞こえてきた。魚市場かと思ったが、予想は外れた。敢えて考えなかったのかもしれない。近付いてみると全容が見えた。
そこでは白昼堂々と人身売買が行われていたのだ。薄いぼろ切れを身に纏った人々が死んだ目をして足枷を引きずっている。中央の壇上で裸に剥かれ、薄汚れた目をした奴らに次々に競り落とされていった。
この国で一般的に奴隷になるのは、犯罪を犯した者や、金に踊らされた者位である。故に、こうした奴隷市が開かれるのは一月に三度から四度くらいの頻度であり、一度に売られる人数も十から二十の間であった。俺が遭遇した奴隷市も例に漏れず、十八の奴隷が競りにかけられていた。
既に十五人が競り落とされており、残る奴隷は三人になっていた。その中にカエデはいた。フード付き外套を脱いで裸になったとき、汚れきった黒髪が背に流れ落ちた。
俺は、三人の中でも飛び切り小さい背丈でフード付きの外套を着ている彼女を不思議に思っていた。黒の一族は奴隷としても特殊な立ち位置にあり、国が直接専売していることを知っていたので、まさかこのような場所にいるとは思っていなかったからだ。
言うまでもないが、これは犯罪である。奴隷売買がではない。黒の一族の売買がである。上記の通り黒の一族は左肩に焼き印を捺されて徹底的に管理されている。このようなところで競りにかけられようなら、即座に判明し憲兵がすっ飛んでくるだろう。
だが、それがない。ということは何かしら種がある。案の定、左肩には焼き印が捺されていなかった。成る程、そういうわけか。俺は納得し、視線を腕に沿わせていくと、途轍もない衝撃に頭をガツンと殴られた。
彼女の両腕は歪に歪んでいた。骨折を治療されずに放っておかれたのだろうか? 恐らく添え木すらなかったに違いない。そうでなければ、あれほどまでに曲がるものか。
彼女が黒の一族だと気が付いたときから沸き上がっていた怒りが、沸点に近づいた。一瞬だけここにいる奴等を全員皆殺しにしてやろうかとも考えた。けれども、それはやめた。もう少し様子を見よう。そして、彼女はどんな手を使っても絶対に助けよう。エリシャならそう言う。
やがて、競りが始まった。
「金貨一枚と半」
「金貨二枚」
「二枚と三分」
俺はてっきり凄まじい勢いで競り落とされるものだと思い、贋金をその場で造る勢いでいたのだが、それはなかった。
ぽつぽつと声が聞こえるのみで、価格が暴騰することはない。やはり、原因は彼女の腕であった。競りに参加しているクズ共の顔を見ればどいつもこいつも常軌を逸した顔をしていた。豚面に脂たっぷりのふてぶてしい図体。いたぶることを趣味とする精神異常者たちだ。
今競りに参加しているのは俺を含めて四人。金額が金貨五枚を越えると俺と豚面野郎だけになった。見ているだけで不快な連中である。俺は一気に値段を吊り上げた。
「金貨十枚」
ざわり、と空気の流れが変わった。元々反吐が出るような空気なので不快なことには違いなかったが……。
一斉に視線が俺に集まった。と言っても、聞きなれない声に戸惑った者がほとんどだろう。値段を吊り上げたことに驚いたのは、競りに参加している豚共だけだ。
ここ貧民窟は広いようで狭い不思議な空間である。ここの新入りの名はあっという間に広まる。今回それが広まる間もなく、本人が名乗りをあげた形になるので驚かれるのは不思議ではなかった。
「ええと、他にいませんか? ただいま金貨十枚です。金貨十枚より上を出す人はいませんか?」
結論を言えばいなかった。皆、両腕の使えない黒の一族など要らないようだった。こうして俺は一人の黒の一族を救い出すことに成功した。
壇の裏手に回り、金貨十枚を奴隷商人に渡す。代わりに枷の鍵を受け取った。奴隷商は中々いい暮らしをしていると見え、血色のいい顔をしている。指には宝石の嵌め込まれた指輪を幾つも着け、撫で付けられた髪を七三分けにしていた。オカマだった。
「あんた名前は?」
「モネだ」
「見かけない顔だけど新入り?」
「今日初めて来たから、まあ、そうなるな」
「ふふ、だとしたら大変よお。ここの連中は新人にはとことん厳しいから。普通は誰かの下についてそれから名を売るのが常識なのをいきなりすっ飛ばしたんだもの」
あらあら、と奴隷商が口に手を当てた。
「なにか不味いのか?」
「そりゃあもう。あんたはとことんついていないわ。悪いことは言わないから今からでも返金しない?」
「断る。大体何が不味いんだ?」
「それすらわかってないのね……。あんたと競り合っていた大男がいたでしょう?」
「ああ、あの豚面野郎か」
「……凄い言い草ね。その男はゲスって言ってギャング『黒死鳥』の団長よ。奴等は強盗、殺人、誘拐、何でもやるの。ゲスは黒の一族をいたぶるのが大好きなのよ。いつもは彼が買うのだけれど、今回はあんたが買ったから……だから運が悪いって言ってるのよ。ねえ、本当に返金しない?」
「断るって言ってるだろ。しつこいな」
俺は面倒になってきた。だが、この奴隷商は少なからず俺のことを心配しているのか、まだ諦めていないようだ。この先もきっと返金を促すだろう。何故だかわからないけどね。
「威勢がいいのは良いけれど、読み間違えちゃダメよ。多分もう遅いだろうけれど一応言っておくわ」
「そうかい。忠告ありがとう。肝に銘じておくぜ」
「もう! 真面目に聞いてないんだから! 明日川に浮いても知らないんだからね!」
「いいから早く連れてこいよ。俺は帰りたいんだ」
「わかったわ。きっと走馬灯で私の忠告が聞こえるわよ」
「そりゃ恐ろしい」
「もう! でも、あんたも物好きね。こんな子に金貨十枚も出すなんて。この子に何をさせるの?」
「何って? 何だ?」
「ええ? 両腕が折れてる子なんて何の役にも立たないじゃない。それともあれかしら? そういうものに興奮する人?」
「馬鹿を言うな。俺にそんな趣味はない」
「じゃあ、何に使うのよ?」
「こいつは焼き印が捺されていないんだろ? だったら使い道くらい沢山ある」
「確かにそうね。それに、この子はもう私の子じゃないから聞くのも野暮だったわ。しつれーい☆ ちょっと待っててね。今連れてくるわん」
そういうと、奴隷商は彼女を連れてきた。ぼろ切れに両腕を仕舞い込み、虚ろな表情で俺の手にある鍵を凝視している。今、俺のことを襲えば逃げられるとでも考えているのだろうか。でもそれは無理だ。彼女の首の裏から微かな魔力が漏れている。これは体力を奪う魔法陣だ。奴隷商が彫り込んだのだろうか。
俺は彼女の前に膝を付いた。奴隷商が口に手を当て、他に見ている人がいないか探しているのを無視する。
「俺が新しいお前の主人だ。よろしくな」
「……僕はカエデ…………黒の一族です……」




