微笑む小さな蛇
昼食も進み、料理も半分が空になる頃、一番下座に座っている若い貴族がこんなことをモンテローネ伯爵に聞いた。
「暴走するスタートルビー夫人の馬車を黒の一族の奴隷が止めたと聞きましたが、焼き印の捺された状態でよく止められましたね。余程素晴らしい奴隷なのでしょう。一度見てみたものです」
と、感慨深そうに言った。フッと伯爵が微笑むと、照れ臭そうに彼が料理に目を戻す。
「それは私も気になっておったのだ。何せ二頭馬車だ。相当力がいるだろう。妻に聞いたところ、十歳くらいの女子だということであるが、本当か?」
「ええ、本当ですよ」
「そのような幼子がどうやって……」
「彼女は五歳の頃から馬の世話をしており、一瞬見ただけで馬の機微が分かるのです。これは道すがら競売にかけられていたので、私が保護しました。確かこの国法律では十歳未満の人身売買は禁じられていますよね?」
「何と……! まったくその通りだ。何とけしからん奴等め。黒の一族の管理を一任する第四盟主の名に賭けてこんなことをする悪党を捕まえましょう!」
「ええ、実に頼もしい限りです。大公がいればこのような悲惨な犯罪がなくなるのも近いですね。私もそれに手を貸しましょう」
「ところで本日、彼女はここへは連れてきているので?」
「ええ、馬車に待機させています」
「では、ここへ連れてきてくれないだろうか。私も伯爵の心構えを同じにする同志だからな。彼女の話をよく聞いて、何か褒美もとらせたい」
「それはいい考えですね盟主様。私たちも労いの言葉をかけましょう」
「わかりました」
大公が側に控えている執事に命ずると、執事は素早くダイニングを後にした。テーブルでは、貴族たちが、
「施しをあげましょう」「昼食の残りは如何ですか?」「丁度いいですね。我々だけでは食べきれるとも思えませんし」「私は助けられた本人であるから何か形に残るものをあげよう」「では、ハンカチはどうですか?」「うむ、それがいい」
などと、上っ面だけの労いの言葉を決め合っている。それを視界の隅に捉えながら、モンテローネ伯爵はダイニングの間取りを熱心に見ていた。クィン王国は北国であるので、このような壁の薄い造りになっているのが不思議なのだろう。ガラス一枚の窓や、屋根付きテラスも熱心に見ている。照明も気になると見え、吊り下げられたシャンデリアに頷いていた。
それを見た大公は、ふふん、と鼻を高くした。今まで第四盟主としての威厳が皆無だったので、ここぞとばかりに咳払いをした。
「伯爵はこの屋敷の間取りが気になるのかね?」
「ええ、少し」
「では、あとで案内しよう。私の自慢の屋敷だ。いや、ダイニングは先に話しておこうか」
「お願いします」
えへんと咳払いをして大公は大きな腹を膨らませて話始めた。他の貴族たちは示し合わせたかのように、またかという顔をしている。しかし、大公は気にせず話を続けた。
「おほん……気付いたと思うが、このダイニングは他の部屋と部屋の造りが少々異なる。そこの柱を見て欲しい――そうだ、それだ。上下から中央に向かって少し膨らんでいるだろう? これはエンタシスと言って第二次ダンジョン出現時に現れた構造物の柱と同じ造りなのだよ。中々綺麗だろう」
「ええ、とても」
「伯爵を博識な人物と思って言わせてもらうが、窓枠も見て欲しい。何か気付くことはないか?」
「やはりですか。窓枠だけじゃあありません。調度品も全部ヴィクトリア様式のものですね?」
「ほほう! わかるか! わかるのか! いやあ、これがわかる人間は中々いなくてなあ! まったくもって伯爵の見識の深さには驚かされる!」
「それほどでもありませんよ。これも旅の途中で得た知識ですので」
「ううむ、やはり私も伯爵のように本格的な旅をしてみるべきか……」
「素晴らしいお考えだと思います。ですが、最初は無理せず一週間など、期限を決めてからの方がいいと思います」
「私のこの体ではそれでもきついかもしれん」
大公は大太鼓のような腹を擦った。他の貴族たちも然り気無く自身の腹の様子を探っている。若い貴族は問題なさそうだが、中年貴族になると少し支障になりそうだ。
伯爵を除く全員がそうしていると、ドアがノックされた。執事が伯爵の黒の一族を伴って戻ってきた。慌てた大公が若干上擦った声で入室を促す。
入ってきたのは最早服に着られているとでも言うべきほどの幼女であった。貴族を前にしても物怖じせず、ピンと背筋を伸ばして立っている。その目線の先は伯爵を向いていた。誰かが呻き首を捻った。立派な佇まいだと誉めようとした。伯爵が両肘をテーブルに立てて手を組んだ。大公だけが頬の肉を痙攣させて、わなわなと物言えぬ者と化している。
「どうしました大公?」
「何かおありで? 大公?」
「…………」
他の貴族たちが聞いても答えない。だが、彼の目は眼前の幼女を一点に凝視し、ぶつぶつと何かを呟いている。
そのとき、伯爵が口を開いた。
「どうです? 可愛らしいでしょう? 彼女が大公の奥さまの馬車を止めたのです」
「おお……! カエデではないか!? どうしてここにいるのだ!? お前は確かあのとき――それに両腕はどうしたのだ!」
突然、堰を切ったかのように大公が捲し立てた。これに貴族たちは驚いて二の句が次げなかった。お互いに顔を見合わせて、どうしたらいいのかアイコンタクトを取り合っている。唯一の例外はモンテローネ伯爵であった。彼は手を組んだまま不敵に笑い、大公の一挙手一投足を舐めるように観察している。
「伯爵!」
「はい」
「これはどういうことだ!?」
「どういうことと申されても私には何のことだか……」
「しらばっくれるでない! この奴隷は……! …………小奴は!」
元々は私の奴隷だぞ、と告げられない理由を伯爵は知っている。このロールスト連合国において、十歳未満の黒の一族の売買は禁止されており、犯せば貴族といえども重い罰が下る。カエデの年齢は十歳。大公は伯爵を睨むことしか出来なかった。
であるからして、伯爵は先に動いた。
「大公は気分が優れない様子ですのでまた後日伺うことにしましょう。そのときは皆さんと楽しい談話をしましょうか」
さっと席を立ち上がると、伯爵は大公の執事にコートを持ってくるように命令を出す。横目で大公のことを気にしつつも、執事は迅速に伯爵のコートを持ってきた。良くできた執事である。うむ、と伯爵が頷くと執事は恭しく一礼した。
「帰りましょう」
テーブルの前に立つカエデに伯爵が言った。カエデはそれを待っていたかのように、
「はい!」
と返事をすると、ピッタリと伯爵の横についてダイニングを後にした。
残された貴族たちは若い者を除いて、皆複雑な面持ちであった。というのも、十歳未満の人身売買は法律で禁止されていても、それが遵守されているとはほど遠く、それ専用の秘密のコミュニティがあるのだった。そして、それに名を連ねているのは中年以上の貴族が大半を占めており、殊、第四盟主以下その派閥の貴族たちは、役職柄黒の一族と距離が近いのを利用して水面下で人身売買をしていた。
それ故の面持ちなのだ。
「後日、彼とは直々に話さなくてはならないことが出来たな……」
大公は低く呟いた。




