第四盟主との昼食
議会が終了した後、第四盟主であるカプト・スタートルビー大公と幾人かの取り巻きの貴族たちは、彼の屋敷にて今話題の貴族であるネモ・アルク・モンテローネ伯爵が来るのを待っていた。
約束の時間までにはまだ少し時間があるが、彼らの様子はいたって真面目である。いつもならば着替えてしまう議会用の服装を身に付け、各々上等なお茶を嗜んでいた。中でもカプト大公は、愛用している片眼鏡をこれでもかと磨きあげ、服に皺がつかないよう椅子に座ろうともしなかった。カプト大公の客間は何とも言い様のない威厳に包まれていた。
どうしてネモ伯爵を待つのにこれほど気を張っているのかというと、それはネモ伯爵がカプト大公の命の恩人だからであった。正式に例を述べようと言うわけである。正確に言うと、ネモ伯爵が救ったのはスタートルビー夫人の命なのであるが、そこに大きな違いはないのでわざわざ言及する必要はない。
それは今朝の出来事であった。スタートルビー夫人は毎朝馬車でローネリアの市街を散策するのを日課としており、一等地から出て議会所へ続く大通りを眺めることを楽しみにしていた。熟練の御者に二頭馬車を引かせ、ローネリアでも名高いパン屋から漂う焼きたてのパンの香りや、水に濡れた花の匂いを鼻腔一杯に吸い込んでは馬車を止めさせ、朝市で色々なものを買って帰るのだ。
しかし、今朝はそうならなかった。大通りに出て暫くすると、突然二頭の馬が御者の言うことを聞かなくなり、御者を振り落として全速力で走り出した。馬車から響き渡る悲鳴で大通りは騒然となったという。
そして、そこに現れたのがモンテローネ伯爵であった。たまたま辺りを散歩していた彼は、付き人の黒の一族に命令すると、その黒の一族は誰も近付けない馬車に持ち前の身体能力を駆使して飛び乗り、あっという間に馬を宥めてしまったのだ。
溢れる歓声に伯爵は驕ることなく急いで馬車の扉を開け、震える夫人を介抱した。貴族という生き物はこのような噂にとても耳聡い生き物であり、伯爵の英雄的行動はその日の昼までにはほとんどの貴族の耳に入っていた。故に今話題の貴族なのである。
カプト大公がこの事件を知ったのは直後のことであった。このときすぐに礼をしようとしたのだが、議会が控えているので、簡単な礼をしてその後、つまり現在改めて正式な礼をしようとしているのである。
取り巻きの貴族たちとこうして客間でそわそわしているのにはこうした理由があった。
時刻が午後一時を告げた。十三回の鐘の音が鳴り終わるのと同時に、執事が客間へやって来て来客を告げる。カプト大公が一層居住まいを正し、入ってくるよう許可を出した。
暫くして、ネモ・アルク・モンテローネ伯爵が現れた。一同の呼吸が一瞬止まった。来賓席でも彼の姿は確認していたのだが、男貴族から見ても思わず唸るほどの男であった。上背を六尺以上、礼服の上からでもわかるくらい発達した筋肉でありながら、北国特有の色の白さ。それに対比するように真っ赤な髪の毛と瞳が、己の存在をこれでもかと主張し、横を通りすぎれば男女問わずに振り向いてしまうほどの美貌は、ある種の妖艶さを持っている。不思議と威圧感がないのは背中に緩く結わえられた髪の毛によるものか。
カプト大公を含めた貴族たちは、ううむ、と何かに対して納得してしまった。
「今朝のこと、私の手では満足に介抱できずに申し訳ございません、盟主様。本来ならば、あのようなときには気付け薬をお飲みになるのがいいのですが、生憎持ち合わせておりませんでした」
「何を言うものか。君は私の、ひいては妻の命の恩人だ。本当にありがとう」
カプト大公が差し出した手をモンテローネ伯爵がしっかりと握った。伯爵の細められた目に大公は思わず、涙が溢れそうになった。それを片眼鏡を拭く振りをして誤魔化すと、大公は貴族たちを促して伯爵を隣のダイニングルームへ案内した。上座に大公、その隣に伯爵が座り、後にその他の貴族たちが続いた。
「その後、夫人の容態はどうされましたか?」
「うむ、今は少しばかり熱を出して寝込んでおる。だが、たいした熱ではないから心配にはあずからんよ」
「精神的ショックが大きいのかもしれません。もしかしたら今後、馬車に乗ることを怖がるようになる可能性があります。これをお使いください」
そう言うと、伯爵は琥珀色の液体の入った小瓶を取り出した。
「これは何かの薬か?」
「はい、私が各地を旅して集めた材料を元に作った薬です。トラウマとなるような出来事に直面した際に毎回一滴服用していただくと、瓶がなくなる頃には克服できているでしょう」
「おお、なんと礼を言えばいいか。事故の介抱だけでなく、その後のケアまで……だが、どうしてそこまでしてくれるのだ?」
大公の目に一瞬懐疑的な色が映る。これは他の貴族たちも思っていたことであった。通りすがりに助けたことは大いに感謝はする。しかし、隣国の貴族である伯爵にそこまでの義理があるのだろうか。もしかしたら第四盟主に取り入って暗躍しようとしているのではないか、と勘繰ってしまうのである。
伯爵はそのような視線に臆することなく、寧ろ胸を張って答えた。
「私は以前、旅で知り合った人を病気で亡くしまして――それ以来、私と関わりのあった人物が困っているのならば、出来る限り助けようと心に誓ったのです。お陰さまで今ではちょっとした医者レベルにまで薬学を修得致しました」
すると、周りの貴族たちから、
「成る程そのような理由があったのですね」「不躾な勘繰りをしてしまい申し訳ない」「素晴らしいお方だ」
というような声が上がった。大公もこれに納得し、頻りに頷くと伯爵から渡された小瓶を強く握りしめ、大切そうに懐へしまった。
気を取り直した大公が手を叩いた。直後、ダイニングの扉がノックされ、四人の給仕がお盆を持って現れた。次々に料理が運ばれ、長いダイニングテーブルは素晴らしく豪華な料理で埋め尽くされる。皿の裏には魔法陣が彫り込まれており、しっかりと保温されていた。
貴族たちがいい香りに食指をそそられ、各々ナプキンを首や膝に掛けたりしている中、伯爵は自分の前に料理が運ばれてくる度に給仕に礼を言っていた。始めのうちこそ誰も気がつかなかったが、それが何度も繰り返されると、大公を先頭にその他の貴族たちもその手を止めて不思議そうに伯爵を眺めた。やがてすべての料理が運び終わり、ほんのりと顔の赤い給仕たちが退出すると、一斉に伯爵へ質問をした。
「どうして伯爵は給仕に礼を言うのです?」「相手は平民ですよ? 我々が頭を下げると図に乗りかねませんか?」「その通りだ。どうして下々に頭を下げる?」「僕、分かっちゃいました!」
すると、一番下座に座っていた若い貴族が嬉しそうに声を上げた。大公が煩わしそうに彼に目を向け、言ってみろと顎で促す。
「きっと伯爵は旅の途中で礼の大切さを学んだのではないでしょうか? 先程の素晴らしいお心構えから察するにそう思いました。どうでしょうか?」
「その通りですよ。長く旅をしていると様々な人と巡り会います。それこそ上は王様、下は奴隷まで知り合いがいますから、会う度に態度を変えるのが面倒になりまして……誰とお会いしてもいいように誰にでも礼を言うように心掛けているのです」
「ううむ、成る程。普段、民と関わり合いのない我々にはない斬新な知見であるな」
「しかし、民から見下されることはないのですか? 中には貴族を毛嫌いする不届き者もいますし……」
「そういうときには民が味方になってくれます」
「と言いますと?」
「誰かが私を中傷しても、それまで私に助けられた人々が、それは違うと守ってくれるのです」
「ほほう、善意だけで動いているのだと思っていたのだが、中々打算的なのだな」
「やはり根は貴族ですから」
伯爵が、真っ白な歯を覗かせて笑った。それに釣られるように周りの貴族たちも笑い出す。笑い声が一段落すると、大公がワイングラスを掲げた。中に並々注がれた赤ワインが飛び跳ね、溢れるかと思いきやそれはなく、ぽちゃんと音を立てて皆の視線を集めた。
「では、モンテローネ伯爵に乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
昼食が始まった。




