或る夜の述懐
私はキキョウです。名字はありません。奴隷なのだから当然です。ですが、どうにもその奴隷という身分が揺らいでいる昨今です。というのも、ここ最近の私は目まぐるしく変化する環境に追い付けずにいるからです。
原因は唐突に現れた、二人の人間なのか魔族なのかよくわからない人たちのせいです。
出会いは不思議なものでした。私がフィロ様の捜索をしていると――フィロ様は放浪癖があるのです――海岸の食堂のテラス席にフィロ様そっくりの人が女性とご飯を食べていたのです。そっくりと言っているのですから、その人はフィロ様ではありません。ですが、その時の私は知る由もありません。フィロ様だと思い込んで、その手を引っ張ったのです。
その人が私の人生を狂わせた張本人、ネモ様でした。
私はてっきりフィロ様かと思っていましたから、中々動かないネモ様を少し強い口調で諭しました。しかし、それでも動きません。当たり前です。動くはずがありません。その人はフィロ様ではなく、ネモ様なのですから。
後に、どうしてフィロ様の姿をしていたのかをネモ様に聞いてみたところ、偶然とのことでした。アルクホールの街で目に付いたから姿を借りたのだそうです。はじめの内は信じられませんでした。
ああ、失礼。ネモ様について説明が足りていませんでしたね。ネモ様は私の奴隷としての人生を狂わせた張本人です。人前では人間の姿なのですが、その正体は金属のような光沢のあるスライムの元人間の現魔族なのです。スライムの魔族とは聞いたことがないかも知れませんが、本当の話です。
ネモ様は何らかの魔術か魔法により、人間からその姿に変えられたのだそうです。その話を詳しく聞こうとすると、あからさまに話を逸らすので続きは聞けていません。
ネモ様は余程優秀な魔術師だったのだと私は推測しています。何故かというと、ネモ様の使う魔法――スライムの魔族ですから魔法が使えるのです――はどれも逸品であり、ネモ様以上の魔法、魔術の使い手を見たことがないからです――私のさもしい人生では説得力に欠けるかもしれませんが――。エリシャ様に聞いた話によると、ワイバーンを食べたとのことですが……。
あのワイバーンですよ! 国の正規軍が本腰を上げて対処するような化け物をたった一人で……それも食べたなんて――私でなければ信じないでしょう。いえ、恥ずかしながら申し上げますが、少し前の私なら信じなかったでしょう。
ええと……大分話が逸れましたね。話を戻しましょう。
このように間違えてネモ様の手を引いたのがすべての元凶です。人生が決められた轍をなぞる馬車ならば、さながらネモ様とエリシャ様は狂った馭者でしょう。私を乗せた馬車を、道すら見えない荒れ地へ引っ張る狂人に他なりません。
私はそれに憧れました。同時に恐くもありました。轍をなぞるだけならば、先の障害も避けて通れます。しかし、荒れ地を進むのならば、立ちはだかる障害を打ち倒さなくてはなりません。私にそれが出来るのか不安だったのです。
ネモ様とエリシャ様ならば、問題はないでしょう。ですが、私はそうはいきません。奴隷の烙印を捺され、人間性を奪われ、牙を抜かれた黒の一族の私は、臆病な犬畜生です。夜な夜な鞭に怯え、ご機嫌取りのために風向きを見る風見鶏です。
……はあ、正直に言うと私はお二人に嫉妬していました。私の境遇を知って助けに来る豪胆さに嫉妬していたのです。これが籠中の鳥夢を見る、ということかしら。
……それも些事なのでしょう、あの二方にとっては。
人生が狂わされたあの日、私は奴隷の烙印を消してもらいました。それ以来新たに捺されることはありませんでした。私はてっきり新しい烙印を捺されるものと身構えていましたから、あれほど驚いたのは人生で二番目です。一度目は言うまでもありませんね。
私は思わず、寝首を掻かれるかもしれませんよ、と言ってしまいました。すると、ネモ様はやれるものならやってみなと言い、エリシャ様は、おいでよ抱き枕にしちゃうから、と言うのです。この人たちには敵わないなと私は思いました。
そうそう、ネモ様が仰っていたのですが、これからすることはダンジョンと黒の一族の調査を並列して行うとのこと。私もそれを手伝えるのでしょうか。微力を尽くしてお助けしたいです。
でも……ダンジョンの調査は国の下で行われていますから、伝手はあるのでしょうか――まあ、心配するのも野暮というものですか。お二方をして困難な状況など作る方が難しいでしょうし。
……それなりに話せたでしょうか。もうそろそろエリシャ様に抱き枕にされる時間なので、切り上げないといけません。また時間があればこのように近況を吐露しようと思います。では、またいつか……。
『キキョウちゃーん!』
ああ、急がなければいけません。エリシャ様は私を抱き枕にして眠らないと寝付きが悪いのです。うう、ネモ様の役目を奪ってしまい心苦しいですが、こればかりはエリシャ様に直接言えないのです。
今度こそ、では、また。




