調査
エリシャが目を覚ました。キキョウのくれた水筒のお陰だ。あのままでは本格的に脱水症状が酷くなり、お陀仏していただろう。そもそも、この地域に暮らす人々は全員が水筒を持っているに違いない。そうでなければ、体力で劣るロール人は皆エリシャのようになる。
思い返してみれば、朝には開いていた店は昼になると閉まっていた。ここまでに見た食事処やその他の店も、昼だというのに店仕舞いをしていた。つまり、昼に店を開けていてもこの暑さでは誰も来ないのだ。だから店を仕舞うし、外には誰もいない。
朝食を取っているときも人影をあまり見なかったのはそのためだ。俺たちが出歩いていたのは、それを知らなかったからに他ならない。でなければ、このような炎天下の中を誰が歩こうか。
「気分はどう?」
「最悪よ。頭が割れそうだわ」
「なら俺の背中に乗るといい」
「そうするわ……ってキキョウは?」
「フィロが見つかったらしい」
「先に屋敷に行かせたの?」
エリシャが上体を起こした。服の濡れている箇所をペタペタと触り不愉快そうだ。
「これ、私の汗じゃないわよね?」
「汗だよ」
「…………!」
エリシャが脇を隠した。何を今更、と思わないでもなかったがが、まあ、これは嘘なので暫くは反応を見て楽しもう。
「大変だった。いくら拭いても汗が止まらなくて……キキョウのハンカチを一枚ダメにしてしまった」
「嘘!? そんなに?」
「汗だくで凄かったぞ。あまりにも凄いから服の中も拭いておいた」
エリシャは自分の服がはだけていることに気が付いた。顔を赤くしてそれを隠す。
「別に今更だろ。隠すようなことでもない」
「ここは外でしょ!」
「あのときも外と言えば外だぞ」
「屁理屈ばっかり! デリカシーってものがないんだから。それだとモテないわよ?」
「俺は人間じゃないから別に構わないけどね。エリシャとさえいればそれでいい」
「……! ――スライムのくせに! ――スライムのくせに!」
「生意気か?」
「もういい!」
エリシャは居住まいを正すと徐に立ち上がった。体力が回復していないのでその動きは遅い。怒った振りでもして何処かへ行こうとしたのだろうが、それもその動きでは形にはならない。俺が先に立ち上がり、彼女の手を取った。
「大丈夫か?」
「離して」
「嫌だね」
「…………」
「俺の背中に乗れ。それにこれを頭から被れ」
俺は自分の着ていた上着を一枚エリシャに着せ、頭にタオルを被せた。これはどちらもナノマシンで作ったものだ。熱を逃がし冷たい空気を隙間から取り込んだ、言わば簡易的なクーラーである。
エリシャは中々俺の背に乗らない。どうしたのかと見れば、胸元を押さえている。濡れた服を気にしているらしい。まあ、彼女も一丁前にもレディの端くれでもある。最近は吹っ切れて粗暴な振る舞いが多いとはいえ、その根っこには貴族の血が通っているのだ。
「因みに言うが、さっきの汗の下りは全て嘘だ。脇や胸が濡れているのも俺が水をかけたからだよ。早く体温を下げないと不味かったからね」
「なら早くそう言いなさいよ!」
エリシャは俺の背中に乱暴に乗った。手を俺の首に回し、顔を俺の肩に乗せ、鼻息荒く顎を押し付けた。俺は日陰を出ると、一先ず日中の日差しを凌げる場所を目指すことにした。
「何処に行くの? キキョウの屋敷には行かないの?」
「その前にやることが出来た」
「やることって?」
「キキョウを奪取する」
「何を言っているのか全くわからないわ。そんなことをすれば後々面倒なのは間違いないでしょう? だから、直接キキョウの主人と交渉して買い取ろうとしていたのに……」
「キキョウの主人は彼女を手放さないよ」
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「それはキキョウの名誉にかけて言えない。が、それは断言できる」
カラリと晴れた空には一筋の雲もない。天上には太陽だけがあった。そろそろ正午になる。どの建物の影も小さくなり、俺は益々道の端を通らなければならなくなった。
「…………。はあ、わかったわ。わけは聞かない。けど何をするの?奪取すると言っても簡単ではないわよ。黒の一族には皆焼き印が捺されているの」
「焼き印?」
「そうよ。焼き印には従順の魔術と恐怖の魔術、束縛の魔術がかけられているわ」
「従順と恐怖と束縛? へえ、それはまた嫌らしい魔術だな。付与属性か?」
「ええ、そうよ。奪取するならまずはその焼き印をどうにかしないと……」
「わかったぞ。無理矢理連れ出すと束縛の魔術が作動して大変なことになるんだな?」
眼前に一軒の宿屋が見えた。宿屋は旅人のことも考えているのか、昼でも開いている。俺たちはその宿屋の前に来た。重い鉄の扉を開けると、中からひんやりした空気が足元から上がってきた。
密閉された室内。高い天井。点る明かりは蝋燭ではなく、魔術を利用した明かりだ。土壁でありながらも、耐熱対策は施してあるようで、壁は室内よりも冷たい。天井からは巨大な氷柱がぶら下がり、そこの根元には巨大な魔法陣が描かれている。分析すると、創造属性の氷の魔術だった。然程広くないロビーと受付。台帳を捲るオーナーらしき人が俺たちを目に留めた。
「今日は一段とお暑いですね。お連れ様は無事ですか?」
部屋のようなひんやりとした声色だ。俺と同じくらいの身長かと思ったが、その実オーナーは足の高い椅子に腰掛けているだけだった。オーナーは椅子を降りると、とことことキキョウと同じような水筒を差し出した。
「お飲み下さい。薬を溶かし込んであります」
オーナーは椅子より少し高いくらいの身長だった。眼鏡をかけ短く刈り込んだ髪の毛の根元は、色素が抜け始めている。
エリシャが両手で水筒を受け取り、詮を抜くとかぷかぷと飲み始めた。俺は落ち着くのを待ち、彼女が水筒の詮を閉めると壁際の並んだ椅子に降ろした。
「この氷はオーナーの魔術で?」
「ええ、丸二年かかりました」
氷柱は透き通り、魔術の照明の光を吸収してその冷たさを隠している。
「溶けませんか?」
「はい、溶けないよう陣を組みましたので」
氷柱越しでは根元の魔法陣は良く見えない。だが、傍目からでも陣の複雑さは見てとれる。上から吹き下ろす風に、氷柱の冷気が溶け込んだ。
「この風も……?」
「はい」
「外の暑さが嘘のようです」
「今日はどうしますか?」
「一週間程宿を取るつもりです。部屋は一つで。幾らになりますか?」
「一泊銅貨八枚からですが、お客さんには特別七枚でご提供します」
オーナーが椅子によじ登りながら言った。席につくと羽ペンをインクに浸し、台帳の新しい頁に今日の日付と時間を書き込んだ。羽ペンと台帳を俺に渡す。
「お名前を」
俺は『ネモ』と書き込み、台帳をオーナーに返した。
「七泊ということで、銅貨四十九枚になります」
「前払いですか」
「はい。ここではそういう決まりとなっています」
俺は銅貨を四十九枚懐から出しオーナーの前に置いた。オーナーはそれを数え、足りていることを確認すると、カウンターの中へ締まった。
「部屋は地下二階二○五号室です。こちらの鍵をお持ちください。それと、何か不備がありましたらこちらまでお越しください」
「わかりました」
俺は待ちぼうけていたエリシャを再び背負い、受付横の階段を下っていった。
部屋にも氷柱があった。こちらはロビーのものとは違い、サイズが大分小さい。だがそれがあちこちにあるお陰で、ロビーと変わらないくらい涼しかった。ダブルベッドにエリシャを降ろし、俺はいつものスライムの姿に戻った。
「気分は治った?」
「ええ、ほとんど治ったわ。ただ、急に冷やしすぎて少しお腹が……」
「俺が湯タンポになってやろうか?」
「湯タンポ?」
「……体を温める道具だよ。容器にお湯をいれてベッドの中に置いて使う」
俺は体温を五十度位まで上げてエリシャの腹に取りついた。
「わあっ! 温かい! 何これ凄いわ」
エリシャは上下の服を脱ぎ、ワンピース型のランジェリーになるとベッドに飛び乗った。そして俺を腹に巻き、掛け布団を目深に被る。
「私一回昼寝を挟むわ」
「それが良さそうだね。俺も少し休もう」
すぐにエリシャは寝息を立て始めた。先程の熱中症が相当堪えたようだ。
さて、エリシャも寝てしまったことだ。キキョウを奪取するための計画を練ろう――機巧核!
『お久しぶりです。マスター』
久しぶりだな。ということで早速計画を練るぞ。
『お任せを』
任せた。
『す、全てですか?』
冗談だよ。
よし、仕切り直して計画を練るぞ。




