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裁判を始めます

 裁判当日の朝は驚くほど晴れ渡っていた。初夏の青い木立が木漏れ日をあちこちに作り、植え込みの植木には小さな蕾が幾つもあった。

 心地好い朝日を受けて、裁判所前の鉄扉は鈍色に反射する。その前の通りでは、晴れやかな日を逃しまいと、小さな子供たちが歩き売りのパン屋の後を追いかけていった。

 何処からか蝶が舞い日和る姿が見受けられる。大方、植え込みの蕾が目当てなのだろうが、生憎と蕾は蕾、開花していない。物欲しそうに飛び回る蝶はパン屋に群がる子供たちに見えた。

 裁判所から見える大山はローネ山だ。ロールスト大陸に住むロール人たちは、ここが人種の起源だと教えられる。

 その時、一羽の鳥が天へ駆け抜けた。その鳥はツグ鳥と呼ばれる鳥だった。この鳥は何かが起こる前触れに鳴くと伝えられている。しかし、この鳥は連合国ではありふれた鳥であり、一匹が鳴いたとて、それは日常として片付けられるのであった。

 誰も気にも止めず足早に己が行くべき場所へ足を進めていく。ただ一人を除いて。

 その者は、ツグ鳥が鳴いたと足を止めたのだろうが、すぐに歩き出した。向かう場所は裁判所だった。

 同時に周りを見渡せば、ちらほらとその者と同じ方向に向かう人を見ることが出来る。はて、と思いながら行くと気が付けば、何事だろうと驚くほどの人数が裁判所に歩いていることだろう。

 これが非日常だと言えば確かにそうかもしれない。平日の朝から市民が一ヶ所に向かっているなどそうそうない。しかし、裁判は法治国家ならば毎日行われているものであり、さして驚くことでもない。それでもやはり、この事態は連合国でも稀に見る事態だったが……。

 果たして、無数の日常が交錯する中に起こり得る非日常は、何処に訪れるのだろうか。例えば、歩き売りのパン屋を追い掛ける子供に起こってもいいだろう。花を探す蝶でもいいはずだ。

 ではこんな非日常はどうであろう。

 誰もが日常だと思い込み、あって然るべきものぞ、と認識していたものが、実は違うものであったというのはどうであろうか? 非日常に気が付いた者はどれだけいるのだろうか。

 恐らく気が付いていたのは二人だけだ。非日常であった本人たちだけだ。彼らはまんまと世界を騙し抜き、日常に紛れ込んだ……。




 午前十時を告げる鐘が鳴った。

 裁判所前の広場には大勢の民衆が集まっていた。こんな平日の真っ昼間から何をしているんだ、経済が回らないぞ、と思うが、民衆にそれを気にするようすもない。

 というのもこれには理由があった。ロールスト連合国のあらゆるの新聞社が、一面を使って大々的に報じたからだ。

 ロールスト大陸に住むロール人は同族意識が強い。それは裏返して黒の一族の虐待へと繋がるのだが、兎に角、ロール人は同族が傷付いた、或いは殺されたとなった場合、その被害者と被害者の関係者をいたく同情する。

 故に裁判所前の広場にはエリシャ・アルクドルクを非難する声が多く上がっていた。いや、この言い方では少し齟齬がある。死刑を望む声が多く上がっていた。

 これは新聞社にも言えることだ。彼らは、エリシャを逮捕した始めの内こそ丁寧な物言いで彼女を非難していたが、彼女の犯した罪を重く見た国の議会所において、賛成多数で彼女の貴族から除名する決議が通ると、こぞって彼女を非難し始めた。

 法廷の一般に開かれた傍聴席では、大勢の民衆が首に縄をつけた人形を振り回している。首吊り人形という名の人形は裁判のときによく売り出される人形だ。民衆が死刑を望むときそれを振り回すことで意思表示をする。

 既に席に着いている裁判長を始めとした陪審員たちも準備を整えて、裁判長が一つ咳払いをした。裁判長の手元には拡声の魔法陣があるのかその声が大きく響く。

 法廷内の喧騒が引き潮が如く引いていき、振り回される人形も束の間の休息が与えられる。

 裁判長の号令で被告人が入廷した。両端を衛兵に固められ、頭に頭陀袋(ずだぶくろ)を被り、両手に枷を嵌めたエリシャ・アルクドルクは襤褸を纏っている。貴族だった、と言っても誰も信じないであろう。

 衛兵が頭陀袋を外す。すると、溜めた喧騒が爆発した。首吊り人形が投げ込まれ、林檎の食い端からはたまた何故か生きた鶏まで空を飛び交った。

 エリシャ・アルクドルクはその綺麗な髪の毛をバッサリと切り落としていた。垢にまみれた顔を持ち上げ、裁判長の後ろにある女神デュランの大きな像を見ている。

 裁判長や陪審員の面々は、罵声を、罵倒を止めることはしなかった。民衆の声は一種の呪詛となり、エリシャ・アルクドルクに降り注ぐ。しかし、彼女はそれをものともせず、凛と像を見据え、動くことはない。

 裁判長が被告席に立つ彼女を見下ろした。法律の書かれた分厚い法書で机を叩く。民衆が静かになったところで、裁判長が開廷を告げる。

 午前十時二十三分、裁判が始まった。


 一般的に十三という数字は忌避される傾向にある。それは断首台を上る階段が十三段であることに起因している。

 裁判所前の広場に建設された断首台の前には、裁判のときよりも多くの人々が集まった。貴族たちは断酒台が見えるところにわざわざ部屋を借り、友人たちを呼び寄せサロンを開いている。彼らは片手にオペラグラスを、片手にワインを持ち、ベランダから体を乗り出した。

 裁判から三日後の朝である。

 その日は首都のお店というお店が一時閉店し、当日に来た旅人などが目を白黒させて困惑していた。そして、あちこちから聞こえる第二盟主の娘が処刑される、という言葉から旅人は察することになる。今日は祝日でも、祭りでもなく、処刑日なのだ、と。

 午前九時の鐘が鳴るのと同時にラッパの音が鳴り響いた。集まった野次馬たちが一斉に歓声を上げる。遠くの方から馬車の走ってくる音が聞こえた。その方を見てみれば、三日前に見た鋼鉄の馬車が、野次馬の中を割ってくる。速度を落とした馬車を操り、御者が荒っぽい声で怒鳴りながら人々を退かす。やがて断首台の元へ到着した。

 断首台は一般人が立ち入らないように柵を設けてある。その裏手、つまりは階段のある側に馬車が止まる。中から純白の絹の服に着替えたエリシャ・アルクドルクが降りた。その顔は裁判の時とは違い、綺麗になっており、幾分か血色も良い。

 更にラッパの音が鳴り響いた。続いて背後に控えた楽隊の演奏が始まる。死刑囚は一段一段と十三階段を登り始めた。やがて、楽隊の演奏が終わるのと同時に階段を登り終えた。純白のドレスが風に棚引く。

 人々はおろか貴族たちもその姿には驚いた。ロールスト連合国では女性が、殊、処女が死刑になると、贖罪の一環として梅毒患者に犯される儀礼がある。それは処女の血液が梅毒を癒すと考えられていたからであり、貴族であろうとその儀礼は欠かされたことはなかった。しかし、馬車から降り立った死刑囚は純白のドレスを身に纏っている。つまり彼女は純潔のままだということであった。

 民衆の後ろ、借りた部屋のベランダからオペラグラスを構えていたコクーラン伯爵がそれを外し、隣に座って同じくオペラグラスを構えているヘイレン公爵を睨み付けた。

 ヘイレン公は口を固く引き結び、一心に死刑囚を見守っている。その瞳は熱く涙で濡れ、それを隠すためにオペラグラスを外せないように見えた。

 いよいよ死刑囚が断頭台に頭を乗せる。執行人が細かい位置を調整し、巨大な斧を両手に構えた。

 人々の合唱は高く登り、窓ガラスを揺らす。貴族たちも身を乗りだし、ワインを下に溢した。大音声に驚いたツグ鳥の群れが空へ飛び立った。人々が首吊り人形を振り回し始める。断首! 断首! という掛け声に合わせて処刑場はクライマックスを迎えた。

 とても長いラッパが吹かれた。

 それが終わるのと同時に斧が振り下ろされた。

 エリシャ・アルクドルクの首が首受け籠に落ちた。

 純白のドレスが真っ赤に染まり、とても人間一人分とは思えないほどの量の血液が飛び散る。

 こうして第二盟主ヴェン・アルクドルクの娘、エリシャ・アルクドルクは、国の歴史上最も残忍な猟奇殺人者として処刑された。

 燦々とした太陽が気持ちの良い初夏の午前であった。

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