魔法の使い方
東雲に朝焼けが映り、淡い橙色になる。薄く昇るそれはどこまでも高くあり、果てに消えていった。
窓を斜交いに朝鳥が囀ずり、張られた窓ガラスにぴいんと響いた。俺はむくりと窓の縁に乗っかった。
朝が来た。
向かいの汚ならしい酒場には、明かりの消えた静けさと夜更けの酒臭さが残っている。道を汚すのは宵の吐瀉物、それと溢れた酒だ。それを烏に似た黒い鳥が啄み、どうにも騒がしい。
俺は仄暗い酒場の窓を見ていた。特に何かがあるというわけではなかった。何とは無しに見ていたくなった。望遠機能で細部まで確認してから視線を外す。
昨日一晩を通して考えていたことが、湧き出す泉が如く溢れ落ちる。俺はそれを掬い上げてひっそりと胸の内にしまった。
心の内を固めよう。一世一代の大博打だ。半か長か。表か裏か。その答えは機巧核ですら見通すことはできない。
良し、行こう。俺は心を決めた。
「俺はエリシャ・アルクドルクを殺す」
『マスターは耐えられるのですか?』
耐えられるかどうかはわからない。俺はエリシャの命をこの手で救った以上、見守る義務があると考えている。しかし、それはあくまでおれ自身のけじめであり、エリシャ本人からしてみれば何ら意味のある行為ではない。
そのけじめを破ってまでエリシャを殺す意味があるのかどうか……。勝手な自己満足と言える。それとも、俺が助けた命なのだから俺が終わらそうとそれは俺の自由、とでも言おうか。
それでもエリシャは俺の決断を最初は反対しても、最後には受け入れてくれそうな気がする。彼女に殺す、と眼前で叫んでもいいよ、と答えてくれる気がする。
俺はそう言われるのがどうしても怖かった。
『私が言いたいのは、マスターの心は耐えられるのですか? ということです』
耐えられるに決まっているだろう。その為に覚悟したんだ。
『マスターに、エリシャ様の死に行く顔をもう一度見ることが出来るのですか?』
俺は言葉に詰まった。本当に声を出しているわけではないが、俺の思考は一瞬フリーズした。
トラウマがフラッシュバックする。エリシャの頭から流れる血に、ぶち抜かれた腹部。閉じることのない瞼と唇。それらを鮮明に記録した機巧核が俺を試していた。
俺はそれを振り払い、窓の縁から床に降りた。そして、エリシャの寝ているベッドに潜り込んで、彼女の隣に寝た。
ベッドの中は暖かい。一人で寝るには広いダブルサイズを包み込む掛け布団にくるまれ、エリシャが寝返りを打った。
俺はそれに潰され、なるべくエリシャを起こさないようにゆっくりと延び広がっていく。
「……冷た!?」
エリシャが跳ね起きた。そういえば体温を人肌に暖めておくのを忘れていた。
「……何かと思えば、ネモね?」
「うん」
「でも、こうしてみるとひんやりしていて気持ちいいかも」
彼女は延びた俺を抱き寄せ、抱き枕の要領で抱き付いた。予想外の行動に俺は身を捩らせた。
「どうしたの? 私は重い?」
「いや、ちょっとね……」
「変なの。もう少しこうしていていい?」
俺は答えなかった。エリシャも無言で俺には抱き付いていた。もし俺が人間だったならば、こんなことは出来まい。俺がナノマシンだからこその行動だ
ややをして、エリシャのお腹が鳴った。
「やだ。お腹が鳴っちゃったわ」
掛け布団を跳ね上げ勢いよくエリシャが起き上がった。俺は下敷きのままである。
「私、こういう宿には泊まったことないけれど、朝食は出るのかしら?」
「で、出ないんじゃないかな、こういう場所は」
「そうよねえ。出ないわよねえ。はあー、お腹減ったわ。今思えば私たち昨日は何も食べていないじゃない。道理で気分も悪い訳だわ」
エリシャはベッドから降り、浴室へ入っていった。
起き抜けのベッドにはエリシャの匂いが沈んでいる。俺は、その中でもう少しぬくぬくとしていることにした。特別寝心地がいいわけではないが、何故か悪くもなかった。
エリシャが帰ってくるまでの間、暇な俺は空中に飛ばしたナノマシンたちと同期させる。そして、朝から開いている料理屋を探した。
料理屋はすぐに見つかった。俺たちが泊まっている宿の隣にあった。向かいの酒場は夕方からの営業に対し、隣の料理屋は朝からの営業と、上手く棲み分けているようだった。
そういえば、昨日確認した俺の属性魔法は、一体どのようなことが出来るのだろうか? 破壊属性とは何とも抽象的で、曖昧模糊としている。破壊と言うのだから、俺の想像しているような破壊でいいのだろうか? 例えば、古いビルを発破するときのような破壊。例えば、手に持った可愛らしい人形を引き千切る……そういう破壊。或いは巨大な岩を砕く……そういう破壊。
何れも破壊である。一見不便そうではある。ビルを発破する機会などまずないだろうし、人形を引き千切る機会もないだろう。俺はヒステリーを起こすタイプじゃあない。ましてや岩を破壊するなどは話にもならない。
やはり、使用の限定される属性なようだ。
『いえ、マスター。使い方によっては傷の手当ても出来るかもしれません』
傷の手当て? 破壊属性だぞ、傷口を広げてしまわないか?
『傷口そのものではなく、傷口周囲を細胞レベルで破壊して、傷跡を目立たなくさせたり、治すことも早められそうです』
もし、それが可能ならば攻撃手段としても優秀だな。指定した部位を破壊出来るのなら、対人戦闘だけでなく、対機械戦でも役に立ちそうだ。
だが、一番はエリシャに聞いてみることだろう。彼女は俺の魔術の大先輩に当たる。俺と機巧核が思い付かない使用方法があるかしれない。
そこへ、丁度エリシャが朝のお風呂を終えて上がってきた。服装は昨日の服を着込み、髪の毛も緩く後ろで束ねている。ほんのりと赤らんだ頬に手を当て、さっぱりした様子だ。
「エリシャ。破壊属性ってどんな魔法が使えるんだ?」
「そうね。ネモは魔族だから、魔法陣なんてものは使わなくてもいいものね。でも、基本は魔術と一緒よ。対象物を破壊する純粋なものもあれば、解錠したり木材や金属を切ったり出来るわ。高等なものになると、傷の治療や部分的な破壊とかかしら。まあ、私は超高等魔術が使えるから、もっと複雑なことも出来るのよ」
「例えば?」
「破壊を巻き戻すことが出来るわ」
「破壊を巻き戻す?」
「破壊属性っていうのはね、勘違いされがちなんだけど、何も破壊することだけではないの。破壊属性は破壊の前後を司っているの。だから、破壊をした後に破壊をする前に戻すことも可能なのよ」
つまり、傷の再生もお手の物というわけか。それだけではないな。破壊の前後を操れる属性など、滅茶苦茶に強力な属性ではないか。
「こんな風にね」
と、エリシャはベッド俺の被っていた掛け布団を宙に放り投げると、何処から出したのか手に持った魔法陣の札を使って、バラバラにした。それだけでは終わらない。中の羽毛を撒き散らしながら落ちていく掛け布団が、その動きを止めた。そして、時間が巻き戻るが如く元通りの掛け布団になると、俺の上に落ちてきた。
何処に魔法陣の札を持っていた、と聞くよりも目の前で起こった超常現象に唖然としていた。
初めて見る魔術らしい魔術だ。昨日の鎖や照明の魔術なんか目ではない。俺は改めて異世界に来たのだということを実感した。




