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宿屋

 俺たちが地上に降り立った頃には、宵も深まり日を跨ぎそうな時刻になっていた。この時間では宿屋も受け付けてくれないだろう。しかし、このまま野宿というわけいも行くまい。外は凍えるほど寒く無くとも、淑女には堪える。

 街灯りから想定はしていたが、この時刻になっても人の往来が多い。その大半は酒場へと吸い込まれていった。見ればあちこちに酒場がある。

 清流があるのだろう。俺は酒を嗜む程度にしか飲まなかったため、細かい美醜を判定することはできない。ただ、一つ好きな酒はと言われれば、間違いなくラムを推す。俺はラムにならば殺されてもいい、とまで一時期思っていた。その時期は毎日のようにラムを一杯ちびちび、愛読書『モンテ・クリスト伯』と共に飲み耽り夜を明かしていた。あまりに好きすぎて、密造しようとし、友人に止められて目が覚めたが……。

 話を戻そう。

 この街は酒場街だった。右を見れば酒場、左を見れば酒場。眼前の酒場、後方の酒樽。俺は久々に酒が飲みたくなってきた。この街にラムがあるとは限らないが、そこそこの大きさの街だ、何かラムに似た酒があるかもしれない。

 ワイバーンの姿からスライムの姿に戻った俺は、エリシャの肩に乗ることにした。彼女に負担をかけないよう、必然的に最小限の大きさになる。ナノマシンと言えど、数が集まればそれなりの重さになるのだ。ましてやナノマシンは有機金属を使用しているので、比重は水よりも大きい。

 因みに溢れたナノマシンは、半分を町外れに待機させ、もう半分を鼠に変えて街の情報を集めさせている。お陰でこの街の名前が西コクラン第二都市という名前の街であること、ロールスト連合国の第三盟主が束ねる地域だということがわかった。


「何処に宿を取ろうかしら?」


「その前に酒を飲みたい」


「そんな余裕はないわよ」


「さっき拾った」


 俺は鼠に集めさせた銅貨三枚と銀貨一枚をエリシャに渡す。


「大体、魔族が酒を飲むなんて聞いたことないわ。異世界の魔族は変わっているのね」


 あくまでエリシャは反対のようだ。しかし、俺がここで折れるのも吝かではない。何故ならば、現在は逃亡中の身であり、人が多く集まるところに顔を出すことは、そのまま逮捕へ繋がる。けれども、四年振りの酒を楽しみたい気持ちも大きいのだ。俺は酒と安全の板挟みになり、悶々としていた。

 いやいや、酒と安全などどちらをとるのかは明白だろう、と思う人もいるかもしれないが、酒飲みからすれば酒と安全はイコールで結ばれてしまうのだ。恐ろしいことに。


『マスター……残念ですがこの体はアルコールを幾ら取ったところで酔うことはありません』


 何! それは初耳だぞ。機巧核め、説明を怠ったな!


『機械にアルコールなど誰が想定しましょう。それくらいは弁えているものだとばかり……』


 もういい、わかった。それ以上は言うな。

 俺は結局折れることにした。こうなれば仕方がない。しかし、この時間に宿屋は受け付けてくれるだろうか? まずないだろう。彼らも寝ているはずだ。いや待て、何もきちんとした宿に泊まることはないのではないか? 今は緊急時だ。四の五の言っていられる場合ではない。この際、少しばかり真っ当でない宿でもいいはずだ。


「エリシャ、この時間に宿は開いてないだろ? ああいう宿では駄目なのか?」


 俺は酒場の隣にあった桃色の看板の下がる宿屋を指した。


「んな!? ネ、ネモは異世界から来たから知らないのでしょうけど、あそこは娼館よ! 私が泊まれるわけないじゃない!」


「でも、選り好みしていられないだろう」


「で、でも……あそこはそういうことをする場所で……私は一人だし、もしかしたら出稼ぎの娘と勘違いされるわ」


「じゃあ俺が男になって入ればいい」


「…………!?」


 エリシャはすっとんきょうな声を出して後退った。あまりに可笑しな声だったので、周囲の視線を集めてしまう。赤い顔が更に赤くなり、全身真っ赤になった。


「し、仕方ないわよね。今は緊急時だし! 特に何もないし!」


 さっきから何を赤くなっているのであろうか。俺たちはあくまで宿を取るだけだ。それが娼館であれ何であれ変わらない。ただ、一夜の屋根を借りるだけだ。


「じゃあ一度何処かの路地裏に入ろう……あそこがいいな」


 俺は幾つかある路地の中から一番人通りの少ない路地を選ぶと、エリシャと入っていった。


「……本当に入るの? ねえ、あそこに本当に入るの?」


「うるさいなエリシャだな。仕方ないだろ。……うんうん、あの男にしよう」


 俺は前の通りを歩いていた、三十代の男の姿を模倣することにした。形を変える前に、ナノマシンを彼に送り込み、詳細な情報を得る。ふうむ、西部劇に出てきそうな男だな。まあ、ダンディーだしいいだろう。

 鼠に変身させたナノマシンを俺の周りに呼び戻し、人間になるためのナノマシンを確保する。ややをして程良く集まった。


「ほら、変身出来たぜ」


 俺は西部劇のガンマン宜しく、テンガロンハットと薄手の服を身に纏った。エリシャも諦めがついたようで、一言、うん、と言うと俺の手を引いて通りに出た。

 こうして俺は久し振りの人間の姿に戻った。本当の俺の姿ではないが、それは仕方ない。今は諦めよう。何年も歩いていなかったせいか、時々足がカクつき思うように進めない。しかし、通りを横断し、宿屋の前へ来る頃までには人間の頃の感覚を取り戻すことが出来た。

 宿屋の前には客引きの親父がいた。彼は俺たちを見止めると、下卑た笑みを浮かべながら近付いてきた。

 縮こまった背中を醜く震わせ、右目に掛けたモノクルを擦っているが、汚れた指では逆効果なのでは、と思ってしまう。


「今宵もこんな更けてしまいましたが、何処かに宿はお取りで?」


 客引きの親父は明らかに下心のある目でエリシャを見る。佳人である彼女に見とれるなとは言わないが、見惚れるな。俺は彼女を隠すような立ち位置に移動した。


「いや、取っていない」


「ほほう! ではいいところに来ましたな旦那。ここは一晩中開いています故、是非こちらの宿をお取りください。今なら何と一晩を銅貨八枚にしておきますよ」


「じゃあそれで頼む」


「ささ、こちらへ」


 俺たちは男に案内されるままに宿の中に足を踏み入れた。宿は思いの外清潔だった。俺はもっと寂れたモーテルのようなものを想像していたのだが、いい意味で期待を裏切られる。

 俺の後ろにいたエリシャが俺の服の裾を掴んだ。振り返ると、彼女はいよいよ顔を真っ赤にして俺の顔もまともに見れず、もごもごと口を動かしている。

 俺たちはある部屋の前で立ち止まった。男がその部屋の扉を開ける。扉の中は浴場だった。


「では、お部屋に案内させてもらう前にこちらで汗を流してくださいな」


 しかも混浴だった。脱衣所には何組もの娼婦と男がお互いのものを隠しもせずに堂々と服を脱いでいる。男は既に一物を立てており、娼婦がそれをつついて遊んでいるところもあった。

 それだけではない。ケモ耳や尻尾を生やした男女や、より兎や犬、猫に近い獣人の姿になっている男女もいる。俺が下男に聞いてみると、オプションで付けられるとのことだった。

 エリシャが遂に顔を押さえて踞った。


「是非体を綺麗にしてからお楽しみ下さい」

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