アルクドルク伯爵
ネモとエリシャがワイバーンと対峙している頃、エリシャの父であるヴェン・アルクドルク伯爵は、議会所の一室で目の前に突きつけられた一つの逮捕状に困窮していた。
魔術による情報の伝達には二通りある。一つは共通の魔法陣二つを用いて音声だけをやり取りする方法と、同じく共通の魔法陣二つを用い、魔法陣の上に紙を置いてその上で伝えたい情報を書くことで、二点間で情報を共有する方法がある。ドラ司令官が用いたのは後者の方法だ。彼はロールスト連合国の中枢、ロールスト議会所へとエリシャとネモのことを報告した。
議会所にある司法機関で逮捕状がすぐに作成された。通常その日のうちに逮捕状が作成されることはまずないのだが、エリシャが第二盟主の娘であるので、それを種に第二盟主であるアルクドルク伯爵を強請ろうとする貴族たちが、賄賂を払い早めたのである。
とは言え、逮捕状が出来上がったのはその日も夕方に差し掛かる頃だった。それが丁度今だった。色々と切迫している現状を押して来てみれば、そこにあるのは娘の犯した罪の数々。アルクドルクの胃が激しく痛み、ふらつく足取りで必死に耐えていると、そこへある人物が現れた。第三盟主である。
ロールスト連合国は、小さな国々を取り纏める盟主が四人集まることで、一つの巨大な国を形成している。議会所はそれらの盟主以下の領主を含めた、多くの議員たちが毎日ここに集まり、相互協力、援助、開発、を議論するための場所だ。非常に多くの領主たちが毎日顔を突き合わせている。
盟主はその立場から仕事が多く、まともに話し合う機会など年に数回とれればいい方なのだ。それを、今日、このようなときに限って、第三盟主は第二盟主の下を訪れた。真面目な話のはずがない。
事実、アルクドルクを見る第三盟主の顔は愉悦に浸っており、ストレスで胃に穴が空きかねない彼を、嬉しそうに上から見下ろしている。
「……ご着席ください。今日はどのようなご用件で?」
アルクドルクは努めて平静を装いながら、室内にある一人用のソファを勧めた。第三盟主が座ったのを見て、自らも向かいのソファに着席する。
第三盟主は愉快そうな笑みを隠そうともせず、その憎たらしい笑顔のまま、目の前の机に置かれた葉巻を一本取ると火を着けた。一頻り葉巻を吹かし、それを灰皿へ押し付ける。甚だ勿体ない吸い方だが、それを注意できる余裕もアルクドルクにはなかった。
「今日は、憂き目に遭っている伯爵を気遣う積もりで来た限りですよ」
「……それにしては嬉しいそうですね」
「そうですか? ここへ来る前に嬉しいことがありましてね。未だそれが顔に出ていたのでしょう。申し訳ない」
嬉しいこと、というのは大方エリシャに逮捕状が出されたことだろう。苛立たしい人です、とアルクドルクは鼻息を荒くした。
「まあ、そうは言わずに、私の話を聞いてください。伯爵もどうです? この葉巻はとても香りがいいですよ?」
「それは私の葉巻です……それで? 話とは一体何です?」
「エリシャ様のことは大変残念に思います。私も裁判のときには口添えをしましょう……」
「……ありがとう御座います。第三盟主ともあろう方の口添えがあれば我が娘の刑も軽くなるでしょう。それにしても同胞殺しとは……ダンジョン攻略で何が起こったのですか?」
アルクドルクは机の上に置かれた禍々しい逮捕状を睨み付け、生唾を呑み込んだ。
エリシャがダンジョン攻略で何かしらの因縁を吹っ掛けられるのではないか、と危惧していたがまさかそれ以上のことが起ころうとは……彼の頭に、いっそ死んだ方が楽なのでは、という悪魔の囁きが聞こえた。それを頭を振ることで振り落とし、彼しゃんと第三盟主に対面する。
「私も詳しくは知らないのです。ですが、ドラ司令官の報告によると……」
第三盟主は後ろに控えていた使用人からある紙切れを受け取り、読み始める。
「伯爵のご令嬢……エリシャ様は小隊規模で偵察任務に出掛けた後、一人で帰還し、その際に鋼色のスライムを連れて帰ってきたとのこと」
「鋼色のスライム……精霊ですか?」
「恐らくはそうでしょう。その後……おお、何と酷い」
「どうしたのです? 早く読んでください」
「いえ、これは私の口からは言えません……ご自身で読まれた方がよいでしょう」
第三盟主は、ドラ司令官からの報告書を使用人を経由してアルクドルクに渡した。報告書には次のようなことが書かれていた。
……容疑者、つまりエリシャは駐留地へ帰還後一度自室へ戻り、そこで犯行の道具を整えたものと思われる。その後、着替えた容疑者はドラ、つまりは私の天幕まで偵察任務の虚偽の報告をしに来た。そして、前触れもなく、彼女の属性魔法である破壊魔法を、側にいた鋼色のスライムと共に展開し、私へ攻撃してきた。私は咄嗟に防護の術式で容疑者を縛り上げることに成功するも、応援に駆けつけた私の部下たちが鋼色のスライムに半分以上殺された。まさか、スライムにそのような攻撃力があると思わず、不覚をとった私は容疑者を逃がしてしまい、容疑者はスライムと共に逃亡させてしまった。しかし、容疑者らはオドロの森へ逃げ込んだことを確認しているので、追撃は可能……
アルクドルクはそこまで読んで、報告書を机に落とした。額に流れる汗は大粒になり、ハンカチで拭いても止まることを知らない。
彼はこれが第三盟主たちの仕掛けた陰謀であることを知っていた。しかし、それを否定する材料がない。エリシャを政治から離れたところに置いておこうとしたのが裏目に出た。
「こ、こんな……こんなことは私の娘には出来ない。エリシャは優しい娘だ。それこそ、精霊にまで優しい。ましてや人を傷付け殺すなど……陰謀だ。陰謀に違いない! 第三盟主! 貴様、私の娘に何をした!」
「私は何もしていませんよ。私は傷心の貴方を慰めようと気遣って来たというのに……それはあんまりではないですか?」
「……よくも、ぬけぬけと言えたものだ。私は知っているぞ! 貴様らが黒の一族を家畜同様に扱い、彼らを……一人のれっきとした人間である彼らを量産していることを知っているぞ!」
「はて、何のことでしょう? 今はそれよりもエリシャ様のことを心配なさっては? 彼女はオドロの森に入ったのでしょう? それも一人で……ふうむ、精霊一匹もですね」
アルクドルクは机を蹴りあげた。重量のある机は動かなかったが、上に乗っている葉巻の箱や、紅茶のカップ、ドラ司令官の報告書が一様に紅茶に濡れる。
「この外道どもが! エリシャを助けに行ったのであろうな!? 報告書には追跡できると書かれていたぞ!」
「いえいえ、追跡できる、と、追跡させる、は大きく違います。ドラ司令官は確かに追跡できると言っていますが、彼は部下を殺されたことに血が上り、正常な判断が出来なくなっているかもしれません。議会はこれを考慮し、無駄な死人を出さぬべく追跡はしていません」
「こん……の!」
アルクドルクが立ち上がろうとしたその時、彼の頭に激痛が走った。思わず机に手を突き、激痛が収まるまで頭を抱えることしか出来ない。
これは過度なストレスによるものだった。彼は日頃の重責に加え、諸領主たちの反発、盟主たちの嫌がらせが遂に堰を切って、彼を倒れさせた。
「これはいけません。彼を急いで医者の元へお願いします」
第三盟主がおどけるように手を上げ、後ろの使用人に命令を出した。後ろに控えていた使用人はアルクドルクを片手でひょいと肩に担ぎ上げ、部屋を出ていった。
残された第三盟主は濡れた葉巻を手に取り、香りを嗅ぐ。しかし、湿気っている上に紅茶の香りと混ざって酷く困惑する香りとなっていた。
「やはり、使用人は黒の一族に限りますねえ」




