第十一話 華麗なる救出劇
予期せず響いたその悲鳴に、サティラスは体を硬直させ、逆にコリンは体を動かせるようになった。
とはいえ、だからと言って体が動かないサティラスではないし、だからと言って体を動かせるコリンでもない。
端的に言うと、動いたのはサティラスが先であった。
「ロウィーナ……!?」
悲鳴の主を瞬時に判断し、サティラスは態度を一変させて走り始めた。コリンのことなど歯牙にもかけない様子でそのわきを通り過ぎる。すり抜けざまに睨まれたような気もしたが、とにもかくにも窮地からは脱出した。
が、もちろん、そんな状況で安堵などできるわけがない。
『ああもう、何がどうなってんだよ!』
わけの分からなさで頭がこんがらがりそうになりながら、コリンはくるりと体の向きを百八十度変えて走り始めた。もちろん、サティラスを追うためである。というか、悲鳴の主であろうロウィーナの様子を見に行くためだ。
確か、噴水に行くようにサティラスは指示していたはずだ。さっきの悲鳴がロウィーナの物なら、きっと噴水で何かあったのだろう。
自分が罵倒していなければ彼女が噴水に行くことはなかったのだし、罪悪感が少しはあるのだ、ならば追うべきである。
半ば自分の矜持に言い聞かせるようにしてコリンは走った。少年の足では青年の足にかなうはずもなかったが、最終的には噴水に到着した。
さて、そこには。
「う、うう……」
なぜか口に猿轡をかまされ、ごつい男の手にとらわれているロウィーナがいた。
思わず息をのむ。
少女は目をぎゅっと瞑りながら、ボロボロと涙をこぼしていた。そのしずくが男の腕に落ちるたび、不届き者はいやらしげに笑う。はっきり言って非常に気色の悪い光景だ。
ウンディーネの涙には治癒効果や疲労回復の効果があると分かってやっているのだろう。気持ち悪いどころの話ではなくなってきたような気もする。
よく見れば、その男の後ろにも数人、別の男たちがいた。全員紫色のローブを羽織って帽子を被っており、顔は全く見えない。
その異様な光景から視線をそらすように横を向くと、右斜め前方に、サティラスの姿があった。その瞳は憎悪に燃えあがっている。
「その手を放せ」
押し殺したように言うサティラスに、男は下卑た笑みを返した。
「ああ? 何言ってんだか聞こえねえなあ。お坊ちゃま育ちの臆病者にはそれが限界かあ?」
「……阿呆を相手にするとこっちが疲れるな」
舌打ちをしたサティラスに、男は逃げられないように腕でがっちりホールドしているロウィーナを見せつけるように揺らした。
「ああん? お前、誰に口きいてるのか分かってんのかあ? こいつ今すぐ殺したって俺は全然かまわないんだぜ? 何しろここにはもっと貴重な妖精野郎がうじゃうじゃいるからなあ」
不本意なことに結構説得力のあるその発言に、サティラスは黙り込んだ。いや、不本意では済まされないかもしれない。最悪の場合、ここにいる全員が殺されて妖精たちが残らず連れ去られるという可能性がある。……と言うか、この状況だとその可能性が一番高いわけだが。
しかしそんな状況になっても、サティラスやコリンにはどうすることもできないのが現状だ。察するにこの男には妖精が見えているのだろうし、後ろのローブたちはきっと全員妖還師なのだろうと予想がつくからである。門番たちに気付かれずにこの屋敷に入れたということは結構上級の妖還師だ。そんな奴らに人間と小さな妖精一人ずつで太刀打ちなど出来るはずがない。
どうにかしてこの状況を切り抜ける方法を考え抜いてはみたものの、どれもとるに足らない穴だらけの計画だ。成功するかどうかなんてわからない。
偶然の積み重ねとはいえ、最初にコリンがロウィーナを罵倒しなければよかったのだ。後悔しても仕方がないと分かっていても、サティラスに怒られた----そんな柔らかな感情ではなかったが----後では、罪悪感もひとしおと言うものである。
……と、気配が一つ増えたことに気が付いたのか、ロウィーナの瞳がぱっちりと開いた。何度か瞳を瞬かせて涙を落とすと、コリンのほうを見て目を見開く。
思わず足を前に踏み出しかけたが、気づいたロウィーナが必死で首を小さく振った。
分かっている。行ってはいけないし、行きたくもないことくらい、自分がよく分かっている。けれど--------。
「おい、暴れんな!」
ロウィーナが首を振ったのを逃げる気だと勘違いしたのか、男はさらに強くロウィーナの首を締め上げた。
「うっ……」
再び目を閉じてぐったりしたロウィーナを見て、二人の精神は限界に達した。
同時に二人が走り出す。サティラスは瞬く間に男のもとへと駆け寄り、力任せにタックルした。
人質を取って安心していたのか、男の体がぐらりと傾き、ロウィーナをとらえていた腕が少し緩んだ。
そのタイミングで今度はコリンが突っ込んでくる。自分よりも上背のある、しかしほっそりとした体をひきずって、そのまま屋敷の中へと駆け込もうとした。屋敷の中にさえ入ってしまえばあとはどうとでもなると思ったのだ。
しかし、ことはそう簡単にはうまくいかなかった。
「……氷の捕縛」
鳥の囁くようなつぶやきが聞こえたと思った瞬間、抱えていたロウィーナの体がずしっと重くなった。
『!?』
驚いて手に力を込めるが、その瞬間、コリンの腕からも力が抜ける。
なんだ、これは……
息ができない。体が動かない。
わけの分からないものにとらわれているという恐怖が、精神を侵食した。自分の思うとおりに呼吸ができないことがこんなにも苦しいとは思わなかった。
なんとかそれを表現するならば、氷でできた腕に心臓を鷲掴みにされているという感覚に近かった。ロウィーナも同様らしく、意識を失いかけている。
重みに耐えきれずにあお向けに倒れると、地面とロウィーナに挟まれてより一層呼吸が苦しくなった。
「ロウィーナ! コリン!」
「がっはははは!! ざまあねえな!」
サティラスの焦ったような声と、男の下卑た笑い声が重なる。
どうやら後ろのローブ連中を忘れていたようだ、と気づいた時には、コリンの意識もすでに朦朧としていた。心臓がどくどくと尋常ではない速さで脈打つ。
死が濃密な気配を漂わせてすぐ近くに存在しているのが分かって、さらに死神の鎌が見える気がした。不思議と怖いという感情は沸いてこなかったが、少し寂しいと感じる。
物理的にはロウィーナと密着しているとはいえ、コリンは呆れるほどに独りだったのだから。
いつも独りよがりな自分の最後の記憶は、サーラとアランの無垢な表情と、サティラスの氷のような瞳だった。
もう少し素直になっとけばよかった、と、もう遅い後悔を心の中で紡ぐ。今なお押しつぶされている胸が痛い。それよりもひどく心が痛い。
しかしそんな少しの寂しさもすぐに掻き消え、最終的には諦めだけが残る。
呼吸が一層できなくなり、周りの景色が歪んで霞んで見えなくなっていった。
ああ、やっぱり死ぬんだ。
いつのまにかそう確信できてしまえるほどに冷静になっていて、コリンは自嘲するように嗤った。自分はここで死ぬ運命なのだと、確信した。
苦しい。死ぬんだったら早く死にたい。かっこ悪過ぎるけど、もうそんなのどうでもいい。どうせ死ぬんだったら、一秒でもいいから苦しむ時間を短くしてほしい。
そう願ったコリンは、ぼんやりとした意識と共に目を閉じた。真っ暗な闇が視界を満たし、自分が海の底に沈んでいくかのようなどろりとした感触を覚える。
それが逆に心地よくて、コリンは安心した。そしてそのまま意識を閉じようとした。
しかし。
「勝手に諦めてんじゃないわよ、糞餓鬼」
すっと耳に入ってきた暴言に、思わず目を開く。
一番最初に目に飛び込んできたのは、滑らかな蜂蜜のように輝く、琥珀色の髪だった。
深い瑠璃色の瞳が、真っ向からこちらを睨みつけている。
「私に同じようなことしたのあんたじゃないの。そんな理由で死ぬなんて許さないわよ」
尊大に呟くと、少女は----いつの間に現れたのか分からないが----右手をコリンに、左手をロウィーナにかざした。
「女神の癒し」
心地よい声が聞こえた刹那、桃色の光がそこに輝いた。強く、しかし柔らかく目に映る。
すると、呼吸がふっと楽になった。反動で、ロウィーナもコリンもひどく咳き込む。
「げほ、げほっ……」
「けふっ……」
ロウィーナは空気を吐き出すように一つだけ咳をすると、地面に手をついてゆっくりと体を持ち上げた。しかし立ち上がることはできず、バランスを崩してまた地面に倒れる。しかし今度はコリンの上にかぶさることはなく、少女の体はあおむけにコリンの隣へと落ちた。どうやらロウィーナは直前でなんとか方向だけは変えたらしい。
少しホッとしつつ、コリンも倒れたままで呼吸を整える。かすみがかったような景色の中、琥珀色が遠ざかっていくのが見えた。
「そこで休んでなさい。すぐ終わらせるわ……コリン、ロウィーナを守ったことはちゃんと評価してあげるから、今は休みなさい。偉かったわね」
呼吸は楽になったし子ども扱いされるのは嫌だったものの、コリンはひどく眠かった。そのセリフを免罪符にしてすぐさま瞳を閉じる。
そしてその直後、コリンの意識はぷっつりと途切れた。




