第十話 苛立ちと不満の反抗期
その日、コリンは猛烈に怒っていた。
きっかけは、まあ一言では言えないのだが、とりあえずアランとサーラの仲のよさであった。
その日の朝のことである。
「アランって本当にコーヒー好きよね。私は苦いの無理だから、うらやましいわ。紅茶だとアレンジに限度があるし」
「僕は君みたいに色々と美味しい飲み物を作れる技術がすごいと思うけど。コーヒーだってこんなにおいしいの飲んだことないし。すごいと思う」
「ありがとう。もっと飲む?」
「うん」
笑顔でコーヒーをカップに注ぐサーラと、それをゆったりと見つめるアラン。
別段おかしい会話ではないし、むしろ新婚夫婦としては好調なスタートだ。それはコリンも渋々ではあるが認める…………これがすべて、サーラがアランの膝の上に乗った状態で行われていなければ。
アランに尋ねたいことがあって部屋を訪ねたら、これである。コリンは驚愕のあまりそこに棒立ちになってしまった。
『な……な……』
とりあえず何と言っていいものかわからず、二人のことを指さしたままリンゴのような顔で立ち尽くすコリン。端から見れば、ただの挙動不審な子だ。
すると数秒後、何者かの視線に気づいたサーラが視線をドアのほうへ向け、「あら?」と言うような表情をした。
「? コリン、何してるの?」
不思議そうな顔をされ、コリンはカチンときた。その瞬間まともな言葉が脳裏に浮かび、サーラに向かってその怒りを爆発させる。
『だからお前俺のセリフ取るんじゃねえよ毎度毎度! それが言いたいのはこっちだっつーの! なんだそれ、新手のドッキリか? 俺のことをはめようとしてんのか!?』
「? よく分からないけど、コリンは熱でもあるのか?」
すると今度は、心を許せる親友のような関係のアランに素の表情で首を傾げられ、コリンの顔はさらに紅潮した。羞恥ではなく、いらだちで。
『アラン! この婆あに騙されるなんてことは一生の恥になるぞ! 今ならまだ結婚だって解消できるだろ、さっさと解消してもっといい女見つけるんだ、こいつは絶対ダメだ!』
しかしそれを聞いたアランはあからさまに眉をひそめた。表情が頑として動かない彼にとってはとても珍しい現象である。
「……僕はサーラと離婚するつもりは毛頭ないよ。大体、どうして君はそんなにサーラを嫌うんだい? そして君は僕の母親じゃないだろう」
きっぱりとした正論に、コリンは二の句が継げなくなった。サーラを嫌う理由はもちろんあるが、それは自分の矜持にかけて絶対に言いたくない。
『ダメだって言ったらダメなんだよ! 大体、そ、そんな恰好をして、恥ずかしいとは思わないのか、こっちが照れるだろ!』
二人は今、隙間なくぴったりと体を寄せ合っていた。サーラとアランの身長差から、アランの顎がサーラの頭の上にもたれかかるようになっている。さらに、アランの両腕はサーラの首をぐるりと一周するように組まれており、コリンにとってはもう完全な不純異性交遊にしか見えなくなっていた。
あまり女性と触れ合う機会のなかったコリンとしては、十分に恥ずかしい光景である。というか、なぜそこで平気な顔をしていられるのかが心底疑問だった。コリンだったら好いている女性にそこまで近寄られたら百パーセント失神するだろう。
しかし、そんな質問をしても二人はケロリとした顔で首を傾げるばかりだった。
挙句の果てに、
「コリン、私たち、今お茶してる途中だから邪魔はしないでもらいたいんだけど、早急の要件でなければ席をはずしてもらっても構わないかしら?」
「うん、僕もそうしてもらいたいかな」
二人にそう言われ、唖然として再びフリーズしてしまった。
そこに「さっさと出ていけ」と言うような感情は一切込められていなく、逆に「申し訳ない」ぐらいの感情が含まれていることが分かるだけに、コリンのいらだちと怒りのゲージはマックスまで膨れ上がった。
『っ……もういい、勝手にいちゃついてればいいだろ!』
親のラブシーンを目撃してしまった子供のような捨て台詞を残して、コリンはその場を脱兎のごとき勢いで去って行った。
騒がしさの去った室内で、二人の男女は顔を見合わせる。
「反抗期かしら?」
「反抗期かもね」
哀れ、コリンの思いは二人に全く伝わっていなかった。
✡✡✡
『なんっなんだよあれは!』
もともと家に住み着くだけの妖精、ブラウニーであるコリンは、家事の能力以外は普通の少年だ。肉体はもちろん、精神も少年である。そのためか、少し思考は幼く、あの二人の光景をすんなり受け入れることは難しかった。
ずんずんと屋敷を歩くコリンは、他の妖精に遠巻きに見られていることももちろん分かっていて、だからこそその苛立ちは募った。
そもそも、コリンはアランの結婚それ自体に反対しているわけではなかった。むしろ、生涯を共にする女性をアランが自分で選んだと聞いた時から、それがどんな人なのかが気になっていたし、それはどちらかと言うと好意に近かった。
しかし、サーラの態度を見てその好意は一瞬で嫌悪へと変わった。
サーラは伯爵令嬢である。対してコリンの一番の友であるアランの肩書は「公爵」だ。当然、サーラはアランに敬語を使うものだと思っていた。
しかし予想とは裏腹に、サーラは敬語を一切使わないどころか、公爵であるアランに対して不遜とも取れるような態度をとっていた。それがコリンには腹立たしくてしょうがなかった。
もちろんコリンは、サーラがアランに敬語を使おうかと提案した時、アランがそれを一瞬で突っぱねた事実を知らない。しかし今その事実を知ったとしても、コリンの矜持がサーラに謝ることを許さないだろう。
『まったく、アランもアランだ! 何であんな女の肩を持つんだ、裏切者っ!』
裏切りも何も、アランはコリンの味方でも何でもないのだが、コリンにはそんなことは関係なかった。ただただイライラするだけである。
『少しはこっちのことも考えてくれたっていいだろっ!』
「ひっ!」
叫びながら角を曲がった瞬間、悲鳴と共にどんっと体に小さな衝撃が走った。
『うわっ!』
見た目は十歳ほどの少年であるコリンは、小さな衝撃でも簡単に体が吹っ飛ぶ。勢いよくしりもちをついたことろで、ようやく自分がぶつかった何かをはっきりと視認した。
『ってえ……なんだよ……ん?』
お尻をさすりながら目を開くと、そこには端正な顔立ちをした一人の少女が立っていた。なぜかお仕着せを着て、こちらを覗き込むように、真っ白な手を差し出している。
「あ、あの、大丈夫ですか……?」
おどおどとしたその態度とその顔つきを見て、コリンは少し首を傾げた。
この顔を、つい最近見かけたような……。
『……あ、お前、ウンディーネじゃん』
そう、つい最近サーラに『還して』もらい、あまつさえこの屋敷に住み着くことが決定したという、あのウンディーネの少女、ロウィーナだった。どうやら使用人として働き始めたらしいということは聞いていたが、まさかこんなところで遭遇するとは。
しかし、ロウィーナのことを思い出した瞬間に忌々(いまいま)しいサーラの顔も思い出してしまい、コリンは苦々しげに顔をゆがめる。それを見たウンディーネの少女ロウィーナは、びくりと体を震わせて、差し出しかけていた手をひっこめた。
「あ……ごめんなさい、あの、私、あなたにわざとぶつかったのではなくて、その……」
胸の前で手をぎゅっと握りしめ、視線をさまよわせながら少女がしどろもどろに言う。それを見て、コリンは忌々しげに舌打ちをした。ぼそりと呟く。
『もうちょっとはっきり喋れよ。聞こえないだろ』
自分だって全然声を出していないというのに、めちゃくちゃである。
「ご、ごめんなさい。えと、大丈夫? 結構、スピード出てたけど……怪我とか、ない?」
親切心から言ってくれているというのは分かっても、コリンは今、猛烈に機嫌が悪かった。もう一度聞こえるように舌打ちをして、ぎっと少女を睨み付ける。
『うるせえな。黙ってろよ。大体、なんでお前此処にいるんだよ、お仕着せなんて着て、使用人気取りか? いい御身分だな』
「え、ご、ごめんなさい……」
言っていることが支離滅裂なのにはロウィーナも気づいていたが、言い返せるほどの勇気が今の彼女にはなかった。男性恐怖症中なのだから。
『はっ、謝ればいいと思ってるんだな、やっぱりいい御身分だ。ちょっと水を操れるからって、調子に乗るんじゃねえよ』
「わ、私、そんなつもりは……」
体は少年なのに、口調はいっちょ前のチンピラ気取りである。どう返せばいいのか分からず、少女はびくびくと震えた。
--------と、その時。
「何馬鹿なことやってるんです、コリン」
呆れ一割、怒り七割、軽蔑二割で構成された声色がその場に響く。少女の視線が、コリンの後方に移動した。
「あ、サティラスさん……」
ほっとしたような声を出して、ロウィーナはパタパタとスリッパの音を響かせながらコリンの脇をすり抜けていく。それに気づいたコリンはむっと顔をしかめるなり、勢いよく後ろを振り返った。……が、
「……何をされたんですか、ロウィーナ? 随分と意気消沈しているようですね?」
悪魔の微笑みを浮かべた死神が、そこに立っていた。
『っ……』
コリンが思わず息を飲むのと同時に、サティラスはロウィーナの手を引いて、その顔に微笑みかけた。
「顔がこわばっていますよ。どうしました?」
「あ、えと……私、さっきコリン君にぶつかってしまって……その、怒らせてしまって……」
いくらか落ち着いたロウィーナの証言に、サティラスはすいと瞳を細めた。
「へえ、怒っただけにしては、随分と汚い口調で、矛盾のありすぎる拙い理論を展開していたように見えましたがねえ……」
背中から立ち上る黒々としたオーラに気付いていないのはロウィーナだけだ。コリンは彼女と体を入れ替えたいと本気で願った。
これはやばい、やばすぎる。
どうやらサティラスの逆鱗に触れてしまったようだ。いや、この状況ならだれもがコリンを弾劾すると思うのだが、サティラスはその程度がけた違いだ。
「……ロウィーナ、あなたは噴水のところにでも行っていなさい。私もすぐ行きます」
「あ、でもまだ仕事が……」
「大丈夫です、私が改めて指示を出しますので。ですから安心して待っていてください。私はコリンと話したいことがあります」
悪魔とは思えないほどやさしい微笑みを向けられて、ロウィーナはこくりと頷いた。そのまま廊下をパタパタと通り過ぎていく。
やがて、その音も途絶えたころ。
「さて……」
青ざめた顔のまま微動だにしていないコリンのほうに視線を滑らせ、サティラスは先程とは全く異なるぞっとするような微笑みを彼に向けた。
「あなたは一体何をしていたんですかね?」
全く有無を言わさぬその口調には、「嘘ついたらどうなるかわかってるんだろうな?」という脅しが込められていた。あっという間にコリンは形勢を逆転され、蛇に睨まれた蛙状態になる。
それでも、コリンは愚かにも意地を張ろうとした。ぐっと唇を噛みしめ、精いっぱい尊大な態度をとる。
『お、おれは別に何も』
ガンッ、と言う音が響き、コリンの言葉が見事なまでに遮られた。ひっという声が漏れ、背にはそれはそれは冷たい冷や汗が流れる。
「別に……なんです?」
穏やかな微笑みとは裏腹に、その拳は煙が出そうな勢いで壁に打ち付けられていた。表情と行動がちぐはぐで、逆に恐ろしさに拍車がかかっている。
「ロウィーナが男性恐怖症だというのはさすがに知ってますよね? 別にあなたの機嫌をいつもよくしろとは言いませんし、逆にそんなことになれば怖いですが。人には一貫性が必要ですから」
全く関係ないようなことを言いながらも、サティラスの拳はなお壁を連打している。全く以て逃げられそうにない状況だ。
「ああ、話がそれてしまいましたね……で、あなたは何のためにロウィーナを罵倒していたのですか? 確かにあなたの家事全般の能力には目を瞠るものがありますが、だからと言ってそれは特別扱いするというわけではありません。それを鼻にかけていたのなら、あなたが言った『水がちょっと使えるからって、調子に乗るんじゃねえ』という発言が矛盾しています。呆れすぎて指摘する気にもなりませんが、他にも矛盾しているところは多々ありましたしね……さて、どうなのですか?」
サティラスの言葉が途切れ、コリンはぱくぱくと口を動かした。何とか声を出そうとして失敗しているのである。
それを見て、サティラスはあからさまにため息をついた。
「はあ……理由すらも満足に言えないのですか。呆れました。そんな覚悟でロウィーナを罵倒している者がこの屋敷にいるなんて、私はがっかりです」
その口調が癇に障り、コリンの呼吸が少しだけ楽になる。その時を狙って、コリンは声を出した。
「お、お前、俺を馬鹿にしたいだけなんだろ。軽蔑したいだけなんだろ!?」
「はい、そうですが?」
あっけらかんと即答され、コリンはその場に凍り付いた。今度こそ完全に呼吸が止まりそうになる。……何なのだ、この恐ろしい生き物は。
凍てつくような瞳でその様を見つめ、サティラスはおもむろに目を細めた。
「自虐的な発言をすれば相手が全員同情してくれるなんて思い上がりも甚だしいですね。私は旦那様や奥様のように優しくはありません。はっきり言います。私よりもよほど年を重ねているはずのあなたが、なぜ人や妖精の心の機敏が分からないのでしょう? 心底不思議でなりませんし、そんな反抗期の餓鬼が何食わぬ顔でこの屋敷に住み着いているかと思うと、吐き気がします」
コリンがそれに一層青ざめたのは、言葉にショックを受けたから、というのもあるが、一番の理由はもっと別のところにあった。
その最たる原因は、男の言葉に良心や罪悪感は一切含まれていなかったからである。サティラスという人間は昔からそうであり、嫌いな奴にははっきりと「嫌いだ」と言う性格なのだった。……それがどんなに年端のいかない少年であろうとも。
そしてこの場合はさらに、コリンの姿はそういう風に見えているだけで、人間の感覚で言うならば彼は少年と呼べるような年齢ではないのだから、なおさらサティラスの言葉には容赦がなかった。
もちろんコリンとて、サティラスに暴言を吐かれたことが一度もないとは言わないが、今回は本当にダメだ。ロウィーナのことが逆鱗に触れたからなのか、彼の嫌悪感はすさまじかった。
本当の本当に、コリンはそこに立ち尽くすしかなかった。もちろん反抗するなどという選択はありえない。今のコリンの頭の中にあるのは、この場をどうやって穏便に切り抜けるかどうか、それだけである。
誰が見ても九割九分無理だと思うであろうその状況。……だがしかし、コリンのその切なる願いは期せずして叶えられた。……そう、期せずして。
「いやああああああぁぁぁああっ!!」
突如その場に、屋敷中に響くほどの大音量で、少女の甲高い悲鳴が轟いた。




