第二話 わたくしが描いたことにしてくださる?
元日の朝、王都の壁という壁に『ジスモンダ』が貼り出された。
結果を言えば――街は、立ち止まった。
金色の縦長の画面は、灰色の街並みの中でランプのように浮かび上がり、人々は足を止め、見上げて動かなくなった。
剥がして持ち帰る者まで出た。
夜のうちに盗まれる宣伝画が続出し、劇場は増刷に次ぐ増刷を強いられることに。
初日の券は昼前に売り切れ、三日目には貴族の馬車が劇場前に列をなした。
「あの絵を描いたのは誰だ」
その問いが、社交界を駆け巡った。
そして、王城でも。
――というのは、あとで聞いた話だ。
王太子ジュリアン・ド・リュミエール殿下は、その朝、身分を隠し、侍従一人だけを連れて城下へ出ていたという。
そして『ジスモンダ』の前で、しばらく立ち尽くした。
殿下は絵を指さして、侍従に言ったそうだ。
「この唐草を描いた手を探せ。指が青く染まっている」
私はそのとき、工房の裏で凍りついた井戸の水を汲みながら、盛大なくしゃみをしていた。
異変は、休暇明けに親方が戻ってきた翌日に起きた。
工房に、豪奢な馬車が横づけされたのだ。
降りてきたのは、私と同い年くらいの令嬢。
艶やかな黒髪、宝石で飾られた指、そして絵筆など一度も握ったことのなさそうな、白く柔らかい手。
ヴァンドーム侯爵令嬢、オーレリア様。
この工房の出資者――つまり、パトロンの娘だ。
「あなたね。うちの工房の子が、勝手に劇場の仕事を受けたというのは」
「あ、あの、それは座長様が――」
「まあ、勝手なこと。……で?」
彼女はゆっくりと私の前まで来て、微笑んだ。
目だけが、少しも笑っていなかった。
「王太子殿下が、『ジスモンダ』の作者をお探しですって」
心臓が跳ねた次の瞬間、彼女は言った。
「わたくしが描いたことにしてくださる?」
工房の空気が凍りついた。
「……え?」
「聞こえなかった?あの絵は、わたくし、オーレリア・ド・ヴァンドームの作。そういうことにするの」
「そんな、それは……」
「ルメルシエ親方」
彼女は私の言葉を遮って、親方を呼んだ。
青ざめた親方は、私の顔を見ることができなかった。
「……ミュシャ。すまん。うちは、ヴァンドーム家の金がなければ、明日にでも潰れる。職人が二十人いるんだ」
「親方……」
「悪いようにはしないわ」
オーレリア様は、勝ち誇るでもなく、当然のことのように言った。
「あなたはこれからも描けばいい。名前を出さなくていいだけ。それのどこが不幸なの?貧乏男爵の三女が、王都で絵を描いて食べていける。感謝してもいいくらいよ」
――その言葉に、私は何も言えなかった。
二十人の職人の顔が浮かんだ。
年老いた親方の背中が浮かんだ。
そこで私は、うなずいてしまった。
その日から、地獄が始まった。
王城から仕事が舞い込むようになった。
春の舞踏会の広間を飾る意匠、王太后陛下に献上する装身具の下絵、宮廷歌劇の衣装……
すべて、私が描いた。
毎晩、蝋燭が尽きるまで。
指の関節が腫れて、朝には筆が握れなくなるまで。
そして、すべての図案の右下には、優雅な文字でこう署名された。
――《Aurélie de Vendôme》
「まあ、素晴らしいわ、オーレリア嬢!」
「これほどの才、まさに天賦のもの」
「王太子殿下がお探しの『ジスモンダ』の画家が、あなたでしたのね」
夜会の噂は、工房の隅にまで届いた。
オーレリア様は「宮廷の新しい女神」と呼ばれるようになり、ついには王太子妃にふさわしい令嬢として、その名まで取り沙汰されるようになった。
私はといえば、日に日にやせて、指はますます青く染まっていった。
ある夜、下絵を届けに侯爵邸へ上がった玄関ホールで、偶然、彼女と客人の会話が耳に入った。
「オーレリア嬢、この唐草の渦は、なぜいつも左から始まるのですか」
「……ふふ。わたくしだけの秘密ですわ」
――知らないんだ、と思った。
私は左利きだ。
しかも左手で筆を引くとき、外から入って手前へ返す癖がある。
だから私の描く唐草は、決まって左側から線が入り、そのまま内側へ巻き込んでいく。
長年描いているうちに身についた、意識すらしていなかった癖。
ただそれだけのことを、彼女は知らない。
その小さな事実が、なぜだかその夜、少しだけ私を支えてくれた。
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