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『自転車屋の恋』  作者: さくらスミレ


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14.


次の日もそのまた次の日も。僕はリンさんの店に行かずにいた。

以前店に顔を出さなくなった時とは違いリンさんと顔を合わせるのが辛かった。


一番堪えたのは、最初からリンさんが僕の事を知っていたという事実だ。僕自身の事は分からなかったかもしれないけれど名前を聞いた時にきっと父親が最後に届けようとした自転車の持ち主だ、と気付いた事だろう。

その時、リンさんは何を感じたのだろうか。


父親が亡くなる原因を作った人物だと恨んだりしなかったのだろうか。

この街を出て行けなくなったのはこいつのせいだ、と怒りの気持ちが沸いてきたりしなかったのだろうか。


僕の脳裏には、いつも楽しそうに自転車の修理をしているリンさんの姿や、機械油にまみれた手で真剣に作業している真摯な背中ばかりが目に浮かぶ。

僕がリンさんに仄かに好意を覚えたのもそんな背中を見ていたからだったのに。


僕の存在がリンさんにとって悪い思い出を呼び起こすものならば、これ以上リンさんには会えない。僕に向ける笑顔の裏で本当は悲しみを感じているのなら余計に会ってはいけない。

そう思うと、リンさんの前に立つ権利もないように思えて、僕はより一層リンさんの店に顔を向ける事さえ出来なかった。



母は僕がリンさんの店に行かなくなった事に気付いているようだったけど、自分の話が原因だと分かっているからか何も言うことはなかった。

ただ、悲しそうな寂しそうな顔で僕を見る事が多くなって、そんな母さんを見たくなくて家にいる事も苦痛になった。

母が悪い訳ではないと頭では分かっているのに、どこかで配達を頼んだ母さんを恨む気持ちが生まれてしまい、僕の為に注文された自転車だった事がまた罪悪感に拍車をかけた。


新聞配達のバイトは朝だけだったのを夕刊の配達も入れてもらって出来るだけ忙しくしていた。少しでも動いていた方が何も考えなくていい。そう思っての事なのに、ほんの少し時間が出来ると僕はリンさんの事を思いだしていた。


いい大人なのに飴玉一つで機嫌が良くなる可愛い所や、普段作る野菜炒めにピーマンは入れたがらないこと。猫舌を隠している所。

僕の他愛のない話しに一々返事をしてくれる律儀な性格や、ツボに入った時に大きく口を開けて笑う所とか。

すぐに頭を撫でてくる大きな手とか、目を眇めて微笑む顔の男らしさとか。

挙げればキリがない位、僕の中はリンさんでいっぱいだ。


リンさんが今、僕の事をどう思っているのか知る由はないけれど。少しでも僕の事を思い出す事はあるのだろうか。

いや、急に顔を見せなくなった事で、何て非常識な人間だ、と思われてしまったかも知れない。

でもそれでいいんだ。僕に会わない方がきっと、リンさんも心穏やかに過ごせるに違いないんだ。


僕はそう信じて毎日を過ごしていた…。





「え?今日ですか?」


「ああ、頼むよ倫太郎。担当してる佐々木な、急に具合が悪くなったらしくて。代打も捕まらなくて困ってるんだよ。穴を開けるわけにはいかないし、あいつの配達先を少しずつ分配してさ、みんなで助けてくれよ。」


夕刊の準備に訪れた販売店で僕は三枝さんにすまなそうに頭を下げられ、急遽休むことになった仲間の配達先の穴埋めを頼まれた。元々それ程多い部数があった訳じゃないから僕と数人のバイト仲間で分ける事で何とか事なきを得られそうだった。


「助かるっ。本当にありがとうな、みんな。」


三枝さんは大げさなリアクションで僕たちの手を握ってブンブンと振ると、悩みは無くなったとばかりに大きな身体を揺らして歩いて行った。


「はぁ…ま、お互い様だもんね。」


時折ある事で、今回が初めてじゃない。とは言え普段の欠勤では代わりの人員を手配したうえで休む事が多いので今回のような当日の時間も迫った状態でというのはごくまれだ。そう言った時は体調不良の場合が多い。自分もいつ同じように仲間に迷惑をかけるか分からないのでこういう時は嫌がらずに引き受ける事にしている。


「で、どこになるのかな?……あ…。」


渡された配達先のリストには『サイクル小林』の名前が載っていた。

夕刊なんて取ってたっけ?

そう不思議に思いながらも名前を見ただけでドキドキしはじめる。


どうしよう。もうリンさんには会わないでいようと思ったのに名前を見ただけで僕の中にリンさんへの思いが溢れてくる。

ダメだ、会えない、と思えば思うほどもう一度だけリンさんの姿を見たい、なんて欲張りな思いに変わって行く。


「サッとポストに入れるだけだよ。それですぐ帰ってくればいいんだ。夕刊を配達するだけだって。」


自分に言い聞かせながら準備をする。普段よりも数十部多い夕刊は僕の自転車の荷台に治まって余計に漕ぎだす力を要した。


ヘルプ分は後回しにした。先に配達してこのドキドキ感を無くしてしまいたいとも思ったけれど、道順からしていつものルートを消化してからの方が効率的だったからだ。

徐々に高まって行く緊張感に思わずハンドルを握る手に力が篭る。まるで荷台に更に荷物が追加されたようにグンとペダルが重くなったように感じたが、僕はまるで気にしていないように、表情を変えずに配達先に向かった。

夕暮れが訪れる前に、残る夕刊はーーーリンさんの店、一つになっていた。




「はぁ…。最後、最後だ。」


自転車を停めて大きく深呼吸する。こんなに緊張するなんて馬鹿みたいだな、と思ったけれどもしリンさんが店先に出ていたら、と思うと気が気じゃなかった。顔を合わせる度胸はなくて、角を曲がればリンさんの店が見える位置に停まって動けないでいた。


「別に喧嘩した訳じゃないし、もしリンさんがいても挨拶をして夕刊を渡せばいいんだよ。そうだ、別にリンさんには何か言ったわけじゃないんだし、リンさんは僕の事なんて気にしてないよ、きっと。」


よくよく考えると、確かに僕はリンさんに直接「もうここには来ない」だとか「会わない」だとか言った訳ではない。僕の中で納まりが付かない気持ちがあってリンさんに会う事を拒否していただけだ。リンさんにとってはちょっと顔見知りになった高校生が顔を見せなくなった、ただそれだけの事かも知れない。

そう考えると、こんなにリンさんに会う事を不安視している僕は自意識過剰なんじゃないか、と思えてきた。


「さ、配達しちゃって戻らなきゃ。」


僕は気合を入れてリンさんの店に向かって自転車を漕ぎだした。



ガシャッ


自転車の止めてスタンドを起こすと思いの外大きな音が出た。

確かお店の端に古めかしい郵便ポストがあったように記憶している。郵便屋さんは店の中まで入って郵便を届けていくからほぼ使われていない郵便受けだ、なんて聞いたことがあった。


蔦に絡まれ少々錆付いた郵便受けは昔ながらのスチール製で、元の赤い塗料が所々剥げて剥がれ落ちている年代物のものだった。確かにこの郵便受けを見たら直接手渡しした方がいいかな、と思ってしまうだろうと郵便配達の職員さんの気持ちもよく分かった。

それでも僕は躊躇した。店に入って「はい、夕刊だよ」って気軽に置いてくればいいのだろうと分かってはいても、リンさんのお父さんと僕の関係を知った今では何事もなかったように顔を合わせる事は僕にとってハードルが高かった。


どうしよう…。

このままここに居続ける訳にもいかないのに、僕は手に夕刊を持ったまま前にも後ろにも進めない迷路に迷い込んだ挑戦者のように立ち竦んだままでいた。




「おいっ、倫太郎っ。いつまでそうやってるんだ。」



後ろから突然掛けられた声に、僕の身体はあからさまにビクッと震えた。その大きな動作に呆れたようなため息を吐くリンさんの様子が振り返った僕の目に映った。


「あ、あのっ。」


「ああ、待ってたんだ。」


「夕刊だよねっ。ご、ごめん。今日だけヘルプで僕が手伝う事になって。お、遅くなっちゃったんだ。」


「ああ、それは知ってる。三枝さんに聞いた。」


「え?三枝さん?」


「ちょうど三枝さんに電話した所だったんだ。…お前の事で。」


「僕の事…?どうして?」


「……とりあえず、お前、配達は終わりなんだろう?ここが最後。」


「う、うん。リンさんで最後。」


「なら、ちょっと話しがしたい。」


「は、話?」


リンさんの顔はいつになく真剣な表情で、これが世間話のような軽いものではないのだろうと予想がついた。

僕はリンさんのその表情だけで何だか恐ろしくなって


「で、でも今はバイト中だし。時間ないし。」


と言いながら手に持った夕刊を握り締めた。


「あっ、こ、これ夕刊。リンさん、いつから夕刊取ってたの。昔からだっけ?」


「……倫太郎に会いたかったからだ。コレはそのエサ。」


「え…。」


おずおずと差し出した夕刊を力強く受け取ったリンさんは次に僕の腕を掴んだ。


「バイト先に送っていくから。荷物を取って戻ってこよう。倫太郎と俺、話しをしないとならないだろう?」


その声はとても優しく響いた。掴まれた腕もただ触れるだけのもので力は入っていなかった。声を掛けられた瞬間の鋭い雰囲気はなく、今はいつもの大きく包み込むような優しさのリンさんがそこにいた。

僕はぼんやりとその顔を見つめ、促されるように店に連れて行かれるとリンさんが店を閉める様子をぼんやりと眺めていた。



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