第二話「神のジャージ」
結論から言うと。
天沼智史は、この時点で帰るべきだったのだと思う。
知らない神社。
鳥居の上に座る謎の少女。
しかも自称・神様。
普通なら逃げる。
少なくとも関わらない。
だが。
「……で?」
智史は、なぜか普通に会話を続けていた。
「なんじゃ」
「いや、“なんじゃ”じゃなくて」
目の前の少女――奏さまは、不思議そうに首を傾げる。
夏の風が、長い黒髪を揺らした。
改めて見ると、本当に綺麗な顔をしている。
年齢は十九か二十くらいに見える。
紫色の瞳。
白い肌。
巫女装束。
……いや、待て。
「なんでそんな普通にいるんですか」
「普通とは?」
「神様ならもっとこう……突然消えたりとか、神々しい感じとか」
「面倒じゃ」
「理由が俗!」
奏さまは少し呆れたようにため息をついた。
「お主、人間の神へのイメージが雑すぎぬか?」
「いや普通こういう状況ってもっと怖くないです?」
「怖いか?」
「怖いですよ!」
「そうか?」
本気で分かっていなさそうだった。
怖い。
というか、理解が追いつかない。
智史は頭を押さえる。
「……夢かなぁ」
「現実逃避するでない」
「だって俺、幽霊とか見えないタイプなんですけど」
「だから神をオカルト扱いするでない」
「違いが分からん!」
奏さまは、なぜか少しムッとした顔をした。
「神と幽霊は別物じゃ」
「そういう問題です?」
「大問題じゃ」
力説された。
妙なところで真面目らしい。
智史は深く息を吐く。
「……つまり、本当に神様?」
「うむ」
「奏綴神社の?」
「うむ」
「巫女装束で?」
「うむ」
「……なんで?」
奏さまは少しだけ考えるように目を細めた。
そして当然のように言う。
「巫女装束は神のジャージみたいなものじゃ」
「急に俗!!」
境内にツッコミが響いた。
蝉が鳴く。
風が吹く。
目の前の神様は、少し得意げだった。
「お主も家で寛ぐ時にスーツは着ぬであろ?」
「まぁ、着ないですけど……」
「それと同じじゃ」
「同じかなぁ!?」
「神域では動きやすさも大事なのでな」
「ジャージ扱いなんだ……」
奏さまは腕を組み、小さく頷く。
「正装もあるぞ」
「あるんだ」
「面倒なので着ぬ」
「完全にジャージじゃないですか」
「人間も最近はそうであろう?」
「妙に解像度高いなこの神様……」
というか。
会話が普通すぎる。
もっとこう、神秘的な存在ではないのか。
目の前のこれは、なんというか。
綺麗ではある。
ものすごく綺麗ではあるのだが。
妙に生活感がある。
「……ほんとに神様?」
「失礼な」
「だって神様っぽくないというか」
「では神っぽく振る舞えばよいのか?」
奏さまはすっと背筋を伸ばした。
風が止む。
空気が静まる。
紫の瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「人の子よ」
低く、澄んだ声。
「永き時を経てなお、この地を守護する我が名は――」
「おお」
「奏さま」
「軽い!」
台無しだった。
奏さまは少し不満そうに眉を寄せる。
「何が不満なのじゃ」
「いやもっとこう……正式名称とかないんですか」
「あるぞ」
「あるんだ」
「長いので嫌じゃ」
「雑だなぁ!」
奏さまは、ふん、と鼻を鳴らした。
「お主ら人間も略すであろう」
「まぁ……」
「なので奏さまでよい」
「よくない気もするんだけどなぁ……」
智史は頭を掻いた。
意味が分からない。
分からないのだが。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ、この静かな神社の空気に妙に馴染んでいる。
この神様は。
奏さまは、そんな智史をじっと見ていた。
「……なんです?」
「別に」
「絶対なんか考えてる顔ですよね」
「お主、思ったより騒がぬな」
「いや内心めちゃくちゃ騒いでますけど?」
「もっと悲鳴を上げるかと思っておった」
「三十二歳の社会人がそんなキャーキャーします?」
「年寄りじゃな」
「そこまで歳取ってません!」
「見た目は若いが」
「なんか刺さるなぁその言い方!」
奏さまはくすくす笑った。
やけに楽しそうだった。
智史は、そこでふと気づく。
「……ていうか」
「なんじゃ」
「なんで俺に見えてるんです?」
その瞬間。
奏さまは少しだけ目を細めた。
さっきまでの軽い空気が、ほんの少し変わる。
「私はな」
風が吹く。
木々が揺れる。
「気に入った人間にしか姿を見せぬ」
「…………」
「なので、お主には見える」
「怖」
「失礼な」
「いや怖いでしょ!? 神様基準の“気に入った”って何!?」
奏さまは少し考えるように空を見る。
「……久しいな」
「え?」
「人に姿を見せるのは」
その声だけ、少し静かだった。
「前は……そうじゃな」
奏さまは腕を組む。
「ジョン・レノンあたりか」
「スケールでか!?」
「会ったことはないが」
「ないんかい!!」
奏さまは満足そうに頷いた。
「よいツッコミじゃ」
「評価された……」
蝉が鳴く。
夏の風が吹く。
寂れた神社。
誰もいない境内。
そして神様。
智史は深くため息を吐いた。
「……帰ろ」
「待て」
「待ちません」
「まだ話が終わっておらぬ」
「十分濃かったですよ今日!」
奏さまは、少しだけ笑った。
そして。
「お主の曲、嫌いではなかった」
「…………は?」
智史は固まる。
「え?」
「なので見えるようにした」
「待ってください」
「なんじゃ」
「なんで知ってるんです?」
「神なので」
「便利だな神様!?」
奏さまは少し得意げだった。
智史は言葉を失う。
売れない曲。
誰にも知られていない動画。
ほとんど再生されない音楽。
それを。
この神様は知っていたらしい。
「……マジで?」
「うむ」
「……」
奏さまは少しだけ優しく笑った。
「続けておるであろう」
その言葉に。
智史は、少しだけ息を詰まらせた。
そして次の瞬間。
「なので百十円」
「感動返せ!!」
境内に、盛大なツッコミが響いた。




