第一話「神との遭遇」
蝉の声が、やけにうるさかった。
七月も半ばを過ぎた午後。
照り返しの強いアスファルトの上を、天沼智史はぼんやりと車を走らせていた。
エアコンは効いているはずなのに、夏の熱気は窓越しにじわじわと伝わってくる。
「……帰るか」
独り言を漏らしながら、ハンドルを軽く切る。
本来なら、もう少し遠くまで行くつもりだった。
休みの日くらい、気分転換に知らない場所へ行こう。そんな気まぐれで車を出したのだが、途中で寄った大きな神社が思いのほか人だらけで、少し疲れてしまった。
有名な観光神社。
綺麗に整備されていて、屋台も出ていて、若いカップルも多い。
悪くはない。悪くはないのだが。
「……なんか違うんだよな」
智史は昔から、神社が好きだった。
信心深いわけではない。
ただ、静かな空気が好きなのだ。
木の匂いとか、古い石段とか、誰もいない境内とか。
そういう場所に行くと、少しだけ頭の中が静かになる。
車を停めた駐車場で、なんとなく観光マップを眺めていた時だった。
『奏綴神社』
小さく書かれた文字が目に入った。
観光案内の端の方。
ほとんどオマケみたいな扱いで載っている、小さな神社。
『芸事の神様』
その一文に、智史は少しだけ苦笑した。
「芸事、ねぇ……」
助手席のカバンには録音機材。
後部座席には使い込んだギターケース。
そしてスマホの中には、まるで再生されない自分の曲。
会社員をしながら、音楽活動を続けている。
とはいえ、立派なものじゃない。
動画投稿サイトに曲を上げて、たまにライブをして、それで終わり。
数字は伸びない。
登録者も増えない。
コメントもほとんどつかない。
それでも、やめられない。
作りたいから作っている。
ただ、それだけだ。
「……近いし、行くだけ行ってみるか」
大した期待もなく、ナビを設定した。
結果から言えば。
「うわ……」
智史は思わず声を漏らしていた。
想像以上だった。
寂れている。
かなり。
細い山道を抜けた先。
木々に囲まれた小さな神社。
古びた石灯籠。
苔むした石段。
少し傾いた案内板。
正直、有名になるタイプの神社ではない。
「……いや」
でも。
嫌いじゃなかった。
むしろ、好きだった。
風が涼しい。
蝉の声が少し遠い。
人の気配がない。
静かだった。
「こういう方が落ち着くな……」
誰に言うでもなく呟く。
観光地の神社にはない空気だった。
ずっとそこにあった場所の匂い。
智史はゆっくり石段を上がっていく。
賽銭箱が見える。
その向こうに、小さな社。
そして。
石造りの鳥居。
智史は、そこで足を止めた。
「…………ん?」
鳥居の上。
誰かが座っていた。
黒髪の少女。
巫女装束。
長い髪を揺らしながら、足をぶらぶらさせている。
「…………」
智史は瞬きをした。
もう一度見る。
いる。
普通にいる。
「…………いや」
意味が分からない。
こんな場所に人が登るか普通。
危ないだろ。
というか。
「なんで鳥居の上に……」
少女は、こちらを見ていた。
紫色の瞳。
どこか楽しそうな顔。
目が合う。
「…………」
智史は静かに視線を逸らした。
そして。
何事もなかったかのように踵を返した。
「気のせいだな」
うん。
そういうことにしよう。
疲れているのだ。
最近残業も多かった。
暑いし。
脳がバグっているのかもしれない。
そもそも。
「俺、幽霊とかUMAとか見えるタイプじゃないし……」
「神をオカルト扱いするでない」
「うおっ!?」
目の前にいた。
「近っ!?」
いつ降りた!?
いや、降りた音しなかったぞ!?
少女は少し不満そうに眉を寄せる。
「失礼な人間よな」
「いやいやいやいや待ってください待ってください」
智史は反射的に一歩下がった。
「なんですか!?」
「神じゃ」
「雑!!」
「説明を求めたのはそちらであろう」
「そういう問題じゃなくて!」
少女は小さく息を吐いた。
そして、少しだけ偉そうに胸を張る。
「私はこの奏綴神社の神」
風が吹く。
長い黒髪が揺れた。
蝉の声。
木漏れ日。
静かな境内。
少女は、当然のように言った。
「奏さまと呼べ」
智史は数秒黙ってから。
「いや意味分からん怖い!!」




