2 刺客
「くそっ……俺はデルタージンとの戦いで疲れてんだ。だいたい、この戦に勝てたのは俺がいたからだろう。それを、勝った途端殺そうとしやがって!」
荒い呼吸をしながら、ブツブツと文句を言って歩いている青年。
自分で適当に切った不揃いの短い黒髪。青みがかって見える黒い瞳。黒い詰襟の騎士服に、黒の胴当て。剣を納めている鞘も黒でブーツも黒という、全身黒ずくめの彼は、リンフェル王国第一王子のルディン・リンフェル、十八歳だ。
小柄な彼は、森の中をたった一人で高く茂った草をかき分け歩いている。
「……でもまあ、あいつらも俺の力は認めてんだろうな。戦いの最中の方がずっと狙いやすいのに、手を出してこなかったもんな。ハッ、そりゃそうだよな、俺が戦わなきゃ、国が危ないんだから」
クックックッと喉の奥で笑うルディンの二の腕からは血が流れ、指を伝って地面に落ちていた。
その傷は、本来味方であるはずの騎士に付けられたものである。そして彼が今逃げているのも、本来味方である人物からだった。
リンフェル王国の国境に広がるウタカ平原に、近隣国のデルタージンが侵入してきたのはひと月ほど前。
すぐに国境警備部隊や周辺貴族が対応し、王都からも応援部隊が送られ応戦。その結果、デルタージンとの戦いに勝利したのだが、王都へ帰還途中の森の中でリンフェル軍は生き残りのデルタージン兵の奇襲を受けた。
敵の狙いは、一番身分が高く今回の戦の勝利の立役者である第一王子のルディンだった。
死ぬのは覚悟の上、一矢報いたい一心のデルタージン兵達は軍の隊列を乱し、騎乗しているルディン一人を森の奥へと引き離した。
しかしルディンは戦いにかけては『魔王』と呼ばれ恐れられている王子。自分を取り囲んだ十数人の残兵達を、瞬く間に返り討ちにした。
と、まあ、そこまでは良かったのだが、
「ルディン様! ご無事ですか!? まだ、生き残りの兵がいたとは……」
自分の指揮する騎士団の一人が馬を駆って来て、ルディンは剣を鞘に納めながらその男を見た。
「ヴェランか、大丈夫だ。むこうの方はどうなった?」
「まだ混乱しているかと……私はすぐにルディン様を追いかけて出てしまったので詳しくはわかりませんが、怪我人も出たかと思われます。ルディン様、お怪我はありませんか? よくこの人数をお一人で……」
「こんな雑魚にやられる俺じゃねぇ。戻るぞ」
そう言って馬の手綱を引き、来た道を戻ろうと背を向けた途端、
「申し訳ございません!」
いきなり男は剣を抜き、後ろからルディンを斬りつけた。
大抵の者なら不意をつかれ致命傷を受けたであろう。
しかしルディンは十二歳で戦場に出て、それから六年、幾度も命を狙われながら自分自身で身を守り、これまで生き残ってきたのだ。
そう、今回も。
ギリギリのところで急所を外し振り向きざまに剣を男に振り下ろすと、男は呻き声を上げながら落馬し、こと切れた。
「ヴェラン、お前……」
その騎士は、戦場で殺されそうになっていたところをルディンが救い、それ以降、味方にさえ恐れられているルディンに付き従い、忠実に仕えていたはずだったが。
「……まあ、俺を慕う者なんているわけねぇな」
避け切れず斬られた腕を見つめ、ルディンは呟いた。
「ルディン様に助けていただいたこの命、ルディン様に捧げます!」
いつもそう言っていた男の顔を馬上から見下ろし、口ではなんとでも言える、信じた方が馬鹿なんだ、と自身を笑ったルディンだったが、
「……誰だ」
気配を感じ問いかけると、繁みの奥から姿を現したのは自国の騎士達だった。
「アッセン……お前、何しに来た」
三名の騎士を従えた、先頭の男に問う。
ルディンの双子の弟、第二王子にして王太子のツェインの側近であるアッセン・ジェイナル。いつもは戦になど出ないのだが、数日前、新しく下った神託を伝えるために合流していた。
「俺を心配して探しに来たか。それとも、俺が死ぬのを確かめに来たか」
その返事として騎士達が矢をつがえ、放つ。ルディンが手綱を引き馬を後ろ足で立たせると、矢は次々と馬体に突き刺さる。嘶きを上げ、たまらず倒れた馬から飛び降り、ルディンはその首に剣を突き立てた。
「……どうせ死ぬんなら、せめて苦しませない方がいい。こいつは戦場で、俺のために走ってくれたから」
そして大きくため息を吐き、アッセンを見る。
「俺の命が欲しいか。だがなぁ、そうですかって死んでやるほど俺はお人好しじゃねぇんだよ。十二の頃から数えきれないほどの命を奪って今日まで生き延びてきたんだ。さあ、相手になってやるよ。幸いやられたのは利き腕じゃない。右腕さえあれば、お前らなんてすぐに殺してやる」
怯えた表情で騎士達はまた矢に手を伸ばしたが、矢をつがえる前に、ルディンは低い姿勢で突っ込んだ。
狙い定め、流れるように一人、二人と首元を掻き切る。吹き出す血を浴び、ルディンはニヤリと笑った。
「殺せるもんなら殺してみな。別に死ぬのは怖くない。今まで生きてた方が不思議なくらいだ。でも、俺が死んでやるにはまだ血が足りない。もっともっと、血を見せろよ」
「う、うわ――っ!!」
大きな声を上げて切りかかってきた騎士の剣を躱し、腹に剣を突き立てる。騎士は呻き声を上げ、その場に崩れ落ちた。
「さてと……あとはお前だけだな、アッセン。王太子の側近なんだ、少しは俺を楽しませろよ?」
その時、ルディンは地面がグラリと揺れるのを感じた。
(なんだ?)
一瞬何が起きたかわからなかったが、すぐ原因に気づく。
(まずい、血を流しすぎた!)
自分よりずっと小柄なルディンと対峙するアッセンの顔からは血の気が引き、剣先は震えている。
ルディンはアッセンを睨みながら、二、三歩と後ずさり、繁みの中へと逃げ込んだ。
(駄目だ! 今はあいつに勝てない、どこかで血を止めないと!)
繁みをかき分け進むルディンの耳に、アッセンの「待て!」という声が聞こえる。
(くそっ、アッセンの奴、さっきまでブルブル震えていたくせに俺が弱ってるとわかった途端張り切りやがって!)
ルディンはフラフラしながら森の奥へと進んだ。途中シャツを割いて傷口を縛ってみたが、すぐに血が滲み出す。
(くそっ、目が霞んできやがった……歩きづらい、こんなのいらねぇ)
帰国の途中だったので軽くて薄い胴当てを着けていたのだが、それさえも重く感じられ捨てる。
(……はぁ……終わりか)
そう死を覚悟した時。
パチャッ
水音が、耳に入った。
「……水……湖か?」
途端、ルディンは無性に喉が渇いていると気づいた。
「……死ぬ前に、水が飲めるとはありがたいねぇ」
『死』という言葉を冷静に、そして他人事のように呟きながら、ルディンは音の方へ足を進めた。
満身創痍です。




