十年後②
「アイリーシャお嬢様。鍛錬はそれくらいになさったらどうですか。もう日が暮れてしまいますよ」
いつの間にかマリアが背後に立っていた。相変わらず気配を消すのがうまい。
マリアはかれこれ二十年近くヘーリング家に仕えているが、アイリーシャが小さいころから見た目が全く変わらず年齢不詳だ(尋ねたことはあるが、無言の笑顔で誤魔化された)。結婚もしてないし、そういった浮ついた話も聞かない。アイリーシャが誕生してからは専属侍女として、うっかり素が出て令嬢らしからぬ言動をするアイリーシャのフォローを冷静にしてくれている。
(マリアとはもう十五年一緒なのよね)
なんだかあっという間だった気がする。特に前世の記憶が戻ってからの十年間は。
五歳のとき、人助けしながら世直しするという目標を立ててから、それだけのために全力を注いできた。
最初の数年は体力と筋力作りに集中した。お茶会もパーティーもそっちのけで領内を走り回り、ヘーリング家お抱えの騎士団の訓練に参加した。
当家は、レブリオ王国が建国された当時から軍事面で貢献してきた。独立した騎士団を有し、有事のときには公爵家のみならず国のためにも戦う。なぜなら、代々王族の血縁者がヘーリング家の当主になるため、王家と常に親類関係にあるからだ。実際、現当主のロベルトも現王の弟だ。
一般貴族なら一家の娘が戦う訓練をするなどまず許されないところだが、軍事力に力を入れるヘーリング家はその限りではなかったため、アイリーシャの訓練参加もそれほど苦労せず承認されたのだった。
アイリーシャに前世の記憶があることは、迷った末に家族と信用できる使用人には打ち明けた。みな驚きはしたが、意外にあっさりと受け入れてくれた。
そうしてある程度体が出来上がってきたころ、アイリーシャは人助けのための行動に出た。およそ七年ほど前だ。
家の力を使って情報を集め、犯罪に手を染める貴族を成敗し、困っている平民たちの援助を人知れず行ってきたのだ。忍者などもちろんこの世界に存在しなかったため、黒装束を特注し、ジルに道具を作ってもらって試行錯誤しながらやってきた。忍者は隠密行動が基本なので、極力姿を見せずに行動していたのだが、うっかりと何回か目撃された証言が広がってしまい、「真紅の影姫」などと異名が流れてしまったのは計算外だったが。ちなみに、「真紅」というのはアイリーシャの瞳の色から取られたようだ。黒装束だと瞳しか見えないから印象的なのだろう。
「お嬢様。今夜の外出はお控えください。明日は大事なデビュタントです。きちんとお休みになっていただかないといけません」
「……はーい」
マリアの有無を言わせぬ言葉に、渋々返事をする。
この国では一年に一度、十五歳になる、もしくはなった貴族令嬢を社交界にお披露目するための夜会が開かれる。これは王家が主催するもので、よほどの理由がない限り強制参加だ。ちょっと世直しのための見回りに、なんてのはもちろん通用しない。
(正直、面倒くさいのよね――)
アイリーシャは着飾ることも、貴族特有の探り合い的なお喋りも全く興味がない。これまで他貴族と交流もほとんどしてこなかったので、友達もいないし。
(あの問題もあるし)
実は、気が進まない理由がもう一つあるのだ。それが一番の原因かもしれない。
「お嬢、あんまり毎晩出かけてると、さすがにロベルト様に叱られますよ」
と憂鬱な顔をして考え込むアイリーシャに追い打ちをかけるように、ジークハルトが会話に入ってきた。
「俺だって休みたいし」
「じゃあ、ついて来なければいいでしょ」
「なに言ってんですか。俺かマリアがついてくのが条件でしょ」
うぬぬ。と痛いところを突かれて言葉につまる。
父のロベルトに世直し活動をしたいとお願いしたとき、いくらなんでも訓練とは勝手が違うと難色を示された。そこを頼みに頼み倒して、マリアと一緒ならとやっと許可を貰ったのだ。その後ジークハルトが屋敷に来て、マリアかジークハルトが一緒ならと条件が変更された。
ジークハルトはともかく、なぜ侍女のマリアが付き添いの条件に入るかというと。
実は、ヘーリング公爵家は軍事だけでなく、もう一つ役割を担っている。それが、国の諜報役というものだ。
なので、ヘーリング家は剣の腕が立つ騎士がいるだけではなく、マリアも含め、基本使用人全員が諜報員としての腕を持っているという特殊な環境にあるのだった。
ただし、諜報役については王家以外には知られていない。
「ほら、むくれてないで行きますよ」
「むくれてないし」
「いや、顔に出てますから」
「出てないし」
「お嬢様は表情豊かですから」
「それ全然助け船になってないわよ、マリア」
「そうでしたか。申し訳ありません」
そんな主人であるアイリーシャに全く敬意の感じられない会話を続けながら、二人が先に屋敷へと歩き出した。アイリーシャは気の乗らない足取りで、そのあとに続いた。




