十年後①
シュッと空気を裂く音がして、鈍い光がアイリーシャ目がけて飛んでくる。
(十字手裏剣!)
木々の間を走り抜けながらそれを短剣で弾く。キンッと甲高い音を響かせて、手裏剣は明後日の方向へと飛んでいった。
(ジークのやつ、今日は飛び道具なしでって言ったのに!)
「ちょっと! 道具使うなって言ったでしょ!」
姿が見えないが、確実に近くを併走している相手へ抗議する。
「いいじゃないですか、一つくらい。試してみたかったんで」
悪気の欠片もない返答に思わず声を張り上げる。
「馬鹿言わないで! 道具一つ作るのにどれだけ労力が要ると思ってんのよ。失くしたらジルに殺されるわよ!」
「爺さんだって新作の成果知りたいでしょ? ちゃんとあとから回収しますって」
(信用できるか!)
いくらヘーリング家の敷地内とはいえ、ここは草木が生い茂る山の中なのだ。落とし物を見つけるのなんて、砂漠で針を探すようなものだ。
この国に鉱物が豊富にあるといっても、一日に取れる量には限りがある。需要が供給を常に上回っている状態なので、貴重なのは変わらないのだ。しかも、加工するのにも時間と費用がかかる。鉄製の道具類は大事に繰り返し使うのが鉄則だ。
今日は山での訓練だったので、失くさないように飛び道具は使わずにと念を押しておいたのに。
ヘーリング家お抱えの鍛冶屋の主人であるジルの鬼のような顔が思い浮かんで、うわあと背筋がぞっとする。アイリーシャが生まれる前からヘーリング家に従事しており、もうかなりの年寄りだが鍛冶の腕は全く衰えない。そして自分にも人にも厳しい頑固親父だ。
(もう! 私も怒られるじゃないの!)
きいっ、と怒りを露わにしつつ、助走をつけて木の幹を一気に駆け上がる。ぶわっと舞い上がると、目的へ向かって飛びかかる。
刀が重なり合う鈍い音が響いた。
「くっ」
あらゆる角度から短剣を振り下ろすが、ことごとく遮られる。ならば、と素早くしゃがんで相手のすねを狙い蹴りを放つが、ひょいっと避けられて思わず舌打ちが出た。
「きゃっ」
ぐらっと少し体が傾いた一瞬の隙を突かれて、肩を掴まれた。そのまま、地面へと押し倒される。
「あー! また負けたあ」
押し倒されたまま、悔しさに声を上げる。
「いつになったらジークに勝てるのよ」
むうっと頬を膨らませて、アイリーシャを押さえつけている相手を睨みつける。
睨まれた相手、ジークハルトは端整な顔に余裕のある笑顔を浮かべて、押さえていた腕を外した。
「俺に勝てなくても、お嬢はもう十分強いですよ」
「私はジークに勝ちたいのよ」
「それは諦めてください」
「なんでよ?」
「俺はお嬢を守るために、誰よりも強くないといけないんで」
お嬢にも負けられないんですよ、と立ち上がり手を差し出してくるジークハルトを見上げる。
ジークハルトは、アイリーシャが十歳のときにアイリーシャの父、ロベルトが連れてきた。ヘーリング家と縁のある裕福な貴族の三男として生まれたのだが、余計な相続争いを避けるために公爵家の行儀見習いとしてヘーリング家に来ることになったらしい。数年従者の教育を受けたあと、護衛も含めたアイリーシャ専属の従者となった。アイリーシャと同い年ということもあって兄妹のように育ったため、アイリーシャが家族のように心を許す人間の一人だ。
彼はヘーリング家に来たときにはすでに一通りの護衛術を身につけていた。とても十歳とは思えない身のこなしに、前世を思い出してからひたすら修行を続けていたアイリーシャは衝撃を受けたものだ。
そこでアイリーシャの負けず嫌いに火がついて、なんとしてもジークハルトより強くなりたいと日々鍛錬し、こうしてジークハルトに挑んでいるのだが、十五歳になった今まで一度も彼には勝てたことがない。
「絶対、諦めないんだから」
ジークハルトの手をぐっと握って、よいしょと立ち上がる。
「まあ、それでこそ俺のお嬢ですけどね」
口角を軽く上げて、ジークハルトが微笑んだ。
(くっ。顔がいい)
ミッドナイトブルーの艶のある髪に海のような透き通った青い瞳。憎たらしいことに、腕っぷしが強いだけではなく、顔面偏差値もかなり高いこの男は、アイリーシャが出かける先々で、令嬢や使用人たちの熱い視線を受けている。貴族出身で所作も完璧だし(おまけに高身長)、他人に対しては猫を被って人当たりがいいこともあるので、かなりの優良物件に見えるのだろう。
(みんな、騙されてるのよ! 本当は口が悪くて、冷徹野郎なのに)
昔からアイリーシャを嫌味とともに容赦なく(物理的にも精神的にも)叩きのめすジークハルトに何度泣かされてきたことか。
本来なら従者の立場で不敬ともとれる行為なのに、なぜか父にも母のへレーナにも兄妹喧嘩みたいなものでしょ、と生暖かい目で見られスルーされてきた。今となってはもうこの状況に慣れてしまって通常運転になってしまったが。




