突然の覚醒①
薔薇の柄があしらわれたティーカップが、派手な音を立てて床に砕け散った。
(え、待って。今のなに――?)
経験したことのない感覚に、アイリーシャ・へーリングは手にしたカップが指をすり抜けたことも気にせず、目を見開いて身を固くした。
突然、覚えのない映像や言葉が、滝のように勢いよく頭の中に流れ込んできた。知らない景色や人々。でも、どこか懐かしい――。
「お嬢様!」
駆け寄ってきた侍女に大声で呼ばれて、アイリーシャははっと我に返った。
見渡すと、着飾った可愛らしい令嬢たちが、テーブル越しに不安そうにアイリーシャを見ていた。庭園で遊んでいた令息たちも動きを止めてテーブル席を窺っている。
そこで、今はアイリーシャの五歳の誕生日を祝うパーティーをしていたのだと思い出した。
豊かな森林と鉱物に恵まれた、五大大国の一つであるレブリオ王国。アイリーシャは、王族に次ぐ権力を持つへーリング公爵家の第一子として生をもうけた。そんな有力貴族の娘の誕生日となれば、その規模も大きい。
公爵家、伯爵家の子息や令嬢だけでなく、それぞれの両親まで招待され、へーリング公爵家の広大な庭園で盛大なパーティーが開かれていた。
主役であるアイリーシャは、先ほどまで令嬢たちと優雅にお茶をたしなんでいたのだが。
「お嬢様、お怪我はありませんか」
侍女のマリアが素早い動きで、アイリーシャのドレスに飛んだ紅茶をさっと拭き取った。
「大丈夫よ。ありがとう、マリア」
軽く笑みを返す。それから頬に右手を添えて、伏し目がちに顔を傾けた。少し大げさなくらいにため息を漏らす。
「でも、ちょっと疲れてしまったみたい。少し休憩したいわ」
まあ大変。ゆっくりお休みになってください。と次々声をかけられる。すっと立ち上がると、絶妙なタイミングでマリアが椅子を引いた。
「それではみなさま。私は失礼いたしますが、引き続きお楽しみくださいませ」
にこりと笑顔でそう告げると、屋敷内へと踵を返した。
後ろから、なんて可憐な笑みでしょう、と感嘆の声が追いかけてくる。
いつもならそんな賞賛を得意げに享受しているところだが、今のアイリーシャはそれどころではなかった。というより、そんなものはもうどうでもよくなっていた。
★★★
自室へ入ると、しばらく一人にしてもらえるようマリアに伝えた。完全に人の気配が消えたのを確認するや否や、部屋の中を頭を抱えて歩き回る。
「ちょっと、ちょっと。これって、そうよね。そういうことよね」
先ほどは突然の出来事にすぐには理解できなかったけれど。
足を止めて、大きく深呼吸した。落ち着きを取り戻した今ならわかる。
あれは、自分の記憶だ。おそらく前世の。
しかも今いるこの世界とは全く異なる世界。地球という星の、日本という国。前世の自分はそこで暮らす望月飛鳥という成人女性だった。
(これが異世界転生ってやつなのかしら)
前世で異世界ものの小説や漫画、ゲームなどが流行っていたのを思い出す。飛鳥は興味がなかったが、幼馴染みの颯太がゲームにハマっていて横目でプレイを見ていたこともあり、基本的な知識くらいはあった。
あれは架空の話のはずなのに。実際に、しかもアイリーシャ自身に起こるなんて。
もしかしたら、異世界転生自体はよくあることなのかもしれない。ただ、本人が思い出さないだけで。
アイリーシャに記憶が戻ったのは、庭園で遊んでいた令息の一人が派手に転んで、その上に折れた木の枝が落ちた瞬間だった。
なぜあの時だったのか。
それは、飛鳥の最期と似た状況だったからに違いない。




