遭遇 その一②
アイリーシャの隣に、いつの間にかカイルの右腕を掴んだジークハルトが立っていた。静かに、だが鋭い視線でカイルを捉えている。
「なっ……ジークハルト、なにをするっ! 放せ!」
「放しませんよ。誰であろうと、アイリーシャ様に危害を加えるものは許しません」
「なんだと! 俺は王族だぞ!」
「王族だろうと、蠅だろうと変わりません」
「無礼な!」
そう叫んで、ジークハルトの手をカイルが振り払おうともがくが、しっかりと掴まれてびくともしない。
「いい加減にしてください、殿下。あなたのその、どうしようもなく馬鹿な行為が、どれだけ王家の品質を落としているのか考えたことがありますか? どうしようもなく馬鹿な不貞行為だけでもあり得ないのに、仮にも婚約者で公爵家のご令嬢でもあるアイリーシャ様に暴力を振るおうとするとは。これが公になれば、王家とヘーリング家の確執にも繋がる可能性があるんですよ。考えなしに動くなんて、本当にどうしようもなく馬鹿ですよね」
(ちょっと、ジーク! いくら事実でも、三回も「馬鹿」は不敬すぎるわ!)
「どうしようもなく馬鹿」と何度も揶揄されたカイルの顔が、屈辱で真っ赤に変わる。
「おのれ、ジークハルト! 不敬罪で訴えてやるっ!」
「お好きなように」
陛下にまともに取り合ってもらえればですけど、と続けて、ジークハルトが乱暴にカイルの腕を解放した。カイルが腕をさすりながらジークハルトを睨みつける。そこにレイラが走り寄ってきた。
「あの、ジーク様。ジーク様がなんでここに?」
興奮した様子でジークハルトに話しかける。
(あらあら、さっきの私の話は全く理解されてないわけね)
またもや許可なく話しかけた上に、ジークハルトを愛称で呼ぶなんて。ここまで失礼すぎると、もしかしたら令嬢教育を受けていないのではないかと疑問すら浮かぶ。
アイリーシャの中で、もやっとした不快感が生まれた。「ジーク」なんて気軽に呼ばないでほしい。そう呼べるのは、ジークハルトとごく親しい者たちだけだ。
「……俺はアイリーシャ様の従者ですので」
あからさまに面倒くさそうに、ジークハルトが答えた。
「え……従者?」
レイラが困惑した表情を見せた。
「でも……ジーク様は……」
「俺は伯爵の爵位もありますけど、あくまでヘーリング家に仕える者なので」
「伯爵……?」
レイラはひそめていた眉をますます寄せて、首をかしげた。
「お嬢、行きましょう」
ジークハルトがアイリーシャの背中にそっと手を添えた。
「そうね。では、失礼いたします」
軽く礼をして、ジークハルトと一緒に歩き出す。
「待て! 話は終わっておらんぞ!」
背後でまだカイルが騒いでいるが、聞こえないふりをしてその場を去った。
女子寄宿舎へ向かいながら、ジークハルトに礼を言う。
「ジーク、助けてくれてありがとう」
「間に合ってよかったです。まあ、お嬢なら一人で余裕だったでしょうけど」
「そうかもしれないわね。でも……来てくれて嬉しかったわ」
ジークハルトが軽く口角を上げた。
「当たり前ですよ。俺はお嬢の従者兼、護衛なんですから」
「そうね。それにしても、よくあの場所がわかったわね」
「マリアから伝達が来たんです。お嬢の帰りが遅いって。お嬢のことだから、急いで帰るなら効率を考慮して教授棟からの近道を選ぶだろうなと思って」
「なるほどね。さすが、ジーク」
「そりゃ、もうずっとお嬢を見てきてますから」
ジークハルトが得意げにアイリーシャを見る。
そうだ。こうやってジークハルトがアイリーシャを理解してくれているから。
アイリーシャは自分が変わり者の令嬢であっても、それでいいと思えるのだ。
「そういえば、レイラ嬢とは知り合いなの?」
先ほどのレイラのジークハルトに対するなれなれしい態度が気になった。
「いや、全く。話したこともありませんよ」
「そう……」
嘘だ。
直感的に思った。ジークハルトが長年アイリーシャを見てきたように、アイリーシャもジークハルトを見てきたからわかる。
彼は嘘をつくときに、一瞬だけ視線を上に逸らす。きっとアイリーシャしか気づいていない、ジークハルトの癖。今、それが出た。
再び、もやもやとした不快感がアイリーシャの胸を支配する。
おそらくジークハルトはレイラと接触があったのだ。なぜそれをアイリーシャに隠すのだろう。
「お嬢様」
寄宿舎の門前にマリアが立っていた。アイリーシャを認めると、急ぎ足で近づいてくる。
「お帰りなさいませ」
「ここで待っていてくれたの?」
「はい。少しお帰りが遅かったので」
マリアが安堵したような笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺はここで。お嬢、また明日」
ジークハルトが男子寄宿舎へ戻ろうと歩き出す。とっさに腕が伸びて、ジークハルトの服の袖をつまんだ。
「っと」
ジークハルトが後ろに引っ張られ、足を止めた。
「お嬢?」
振り返ったジークハルトの顔をなぜか見れなかった。俯いたまま、それでも袖を離さずに黙っていた。
ジークハルトの視線を上から感じる。
自分でもなぜそんなことをしたかわからない。ただ、今ジークハルトと別れることが、嫌だった。不安だった。もう少しだけ、ジークハルトと一緒にいたかった。
「……お嬢、よかったら俺とお茶しません?」
「え」
「俺、なんか小腹空いちゃって。お茶に付き合ってもらえると嬉しいんですけど」
顔を上げると、ジークハルトが微笑んでアイリーシャを見ていた。
「……うん」
こくりと頷く。
「すぐにご用意いたします。ジークハルト、来客用のサロンにお嬢様をご案内して」
「了解」
マリアが素早い動きで寄宿舎内に戻っていった。
「お嬢、行きましょうか」
ジークハルトがさりげなく右手を差し出してきた。
「ええ」
アイリーシャは、じんわりとした温かな歓びを感じながら、ジークハルトへと右手を重ねた。




