昼休みの婚約破棄騒動④
たわいのない話をしながら、お茶を楽しむ。タイミングを見て、アイリーシャから話題に出した。
「ところで、ターニャ。話したいことがあるとおっしゃってましたけど、なにかしら?」
すると、ターニャは持っていたティーカップをそっと置き、侍女とマリアへ視線を向けた。
「アイリーシャ様と二人にさせてください」
アイリーシャがマリアに軽く頷くと、マリアはお辞儀をしてターニャの侍女と一緒に部屋を出ていった。
「申し訳ありません。他の者に聞かれてよいか判断できなかったので、念のため人払いをしました」
「問題ありませんわ。ということは、個人的なこと、でしょうか」
「……はい」
ターニャは一瞬迷うように視線を伏せたあと、すっと顔を上げて口を開いた。
「アイリーシャ様は、『真紅の影姫』様をご存じでしょうか?」
どきり、と心臓が跳ねた。予想もしなかった問いかけに、動揺した素振りは見せずに答える。
「ええ。世間で騒がれている方ですよね。なんでも、人助けに現れるとか」
「はい。アイリーシャ様もご存じかもしれませんが、先日、私の弟がさらわれる事件が起きたのです。それも影姫様が助けてくれました」
「新聞で読みましたわ。弟君もご無事でなによりです」
「ありがとうございます。弟は消極的で怖がりな性格だったのですが、あの事件があってから見違えるほど積極的になったのです。影姫様のように強くなりたい、と」
「まあ、そうなんですか」
あの、恐怖で声も出せなかった子が。思わぬところで彼の役に立てていたのなら、嬉しいことだ。
「弟ももちろん私や両親も、影姫様にはとても感謝しております。できることなら直接お礼をお伝えしたいと思ったのです」
そこでターニャが意味ありげな視線でじっとアイリーシャを見つめた。
「……どうしてそれを私に?」
「……弟が申していたのです。影姫様は貴族令嬢ではないかと」
そう証言しているのは知っている。確か、香水の香りで貴族に辿り着いたのだ。でも、あれは流行りの香水だから使っている令嬢は多いし、貴族だとはわかっても特定するのは難しいだろう。そう自分に言い聞かせて話を続ける。
「それも新聞に書いてありましたね。確か、香水の匂いで推測したと」
「はい。同じものを私も使用していますが、とてもいい香りで」
先手を打って、あえてその話に乗った。
「今、ターニャがつけている香水よね? 今日はつけてないけれど、私も愛用しているのよ。人気があるらしくて、使っているご令嬢が多いらしいわね」
だから、そこから特定は難しいわよ、と暗に匂わす。
「そうですね。アイリーシャ様が時々お使いになられていることは知っておりました。実はあの香水はアイリーシャ様から人気に火がついたのです」
「まあ、そうなの?」
全くの初耳だ。マリアが用意したものをそのまま使っていただけだから。
「はい。アイリーシャ様のクラスの令嬢たちがアイリーシャ様に憧れて使い始めてから、瞬く間に貴族間で広がったのです」
「知らなかったわ」
「それに……アイリーシャ様は影姫様と同じ真紅の瞳をお持ちですよね」
少しずつ、核心に迫ろうとするターニャの言葉をあくまで知らないふりをする。
「言われればそうですわね。でも、赤い瞳の方は珍しくありませんわ」
「確かにそうですね。ただアイリーシャ様の瞳は、他の方の赤い瞳よりも深くてお美しいと思います。ルビーのよう。まさに真紅の瞳ですね」
「……そうかしら」
「はい。とても印象的な瞳かと。……それで、影姫様の話に戻りますが、人助けと言いましても誰にでもできることではないだろうと思うのです。実行するための情報力、経済力、影響力。そして真紅の瞳。小さな欠片を持ち合わせてみると、自ずとお一人のご令嬢が思い浮かびました」
二人の間に沈黙が落ちた。
ターニャの目的はなんだろう。アイリーシャが「真紅の影姫」だという事実を突きつけて、それを暴露すると脅すつもりだろうか。黙っておく代わりになにか見返りを求めるとか。でも、ターニャはそんなことをするような人間には見えないのだが。
どう返そうかと考えていると、ターニャがはっとしたような顔をして、珍しく慌てた様子で言葉を続けた。
「申し訳ございません。アイリーシャ様を困らせる意図は全くないのです。本当にただ、感謝の気持ちをお伝えしたくて……」
とはいえ自分の推測が間違っているといけないので、確認するためについつい追及するような形になってしまったのだと、ターニャは説明をした。
「気をつけてはいるのですが、いつも物言いが強くなってしまうようで、不愉快にさせてしまうことも多いのです」
(こんな表情もするのね)
しょんぼりと肩を落とすターニャは、普段の冷静で凜とした印象とはかけ離れていて意外だった。でも、とても好感が持てた。
アイリーシャはにこりと笑って、ターニャを見た。
「そうだったのですね。……もし私が『真紅の影姫』様だったなら、その感謝の気持ちはすごく嬉しいと思いますわ」
あえて肯定も否定もしない。答えが明白だとしても、謎は謎のままで。ターニャはきっと、アイリーシャの気持ちを汲み取ってくれるだろう。
ターニャはアイリーシャの言葉を受けると、少し間を置いて、柔らかい笑顔を返した。
「そうですね。そうだといいと願っております。先ほどの話は私の単なる独り言ですので、アイリーシャ様も忘れていただければ幸いです」
「ええ、わかりました」
ターニャがこの件を蒸し返すことも他言することもないだろう。
「個人的なことだとおっしゃっていたので、コーエン伯爵令息のことかと思っていましたが、違ったのですね」
そうアイリーシャが言うと、ターニャは目をぱちくりとさせ、ああ、とコーエンのことなどすっかり忘れていたかのような反応をした。




