昼休みの婚約破棄騒動②
「コーエン様。そのような個人的な理由で貴族同士の婚姻を簡単に覆すことはできません。ピエル伯爵閣下はご存じなのでしょうか」
「父上にはこれから話す。泣いて縋っても俺の気持ちは変わらないぞ。なんせ俺は、運命の天使に出会ったのだからな!」
コーエンが得意げに胸を張って叫んだ。
(『運命の天使』?)
初めて聞くその言葉に首をかしげてジークハルトとマリアを見るが、二人とも肩をすくめるだけだった。
「運命の天使、ですか」
ターニャは興味なさそうに呟いた。しかし、コーエンは気にせず恍惚とした様子で続ける。
「そうだ! 彼女は天使のように可憐で可愛らしく、俺をいつも癒やしてくれる女性だ。俺はもう、彼女以外考えられない」
「……つまり、コーエン様は私と婚約している身にもかかわらず、別のご令嬢と親しい関係にあるということでしょうか」
「まあ、そうだな。俺とレイラは強い絆で結ばれているんだ」
(あらまあ。公然の場で認めてしまったわね)
これでもう、コーエンは浮気している事実から逃れられないだろう。
「レイラ……それはレイラ・アードラー男爵令嬢のことでしょうか」
その名前が出たとたん、ざわめきが大きくなった。
(有名人かなにかかしら)
などと思っていると、なぜか一斉に野次馬たちがこちらを振り返った。
(え? なに?)
なぜみんなアイリーシャを見ているのだろう。渦中のターニャさえも、集団の中にアイリーシャの姿を認めて驚いているようだった。
「どうしたのかしら」
ジークハルトに顔を向ける。
「……あとで話しますよ」
苦笑いしながらそう返された。どうやらジークハルトはなにか知っているらしい。
「この場にレイラ様もおりませんし、私たちで決められることではありませんので、後ほど改めて場を設けさせていただけますか」
「いいだろう。どちらにしろ、俺は譲らないがな」
ふん、と鼻息荒くコーエンが去っていった。ターニャが群衆に向かって深々とお辞儀をする。
「みなさま、お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした」
それを合図にバラバラと集まっていた人々が散っていく。
ターニャは小さくため息をつくと、ぱっと顔を上げ、なぜかアイリーシャが立つほうへ颯爽と歩いてきた。
(え? なになに?)
ターニャはアイリーシャの前へと立つと、優雅にカーテシーを取った。
「アイリーシャ公爵令嬢様、ジークハルト伯爵令息様、ごきげんよう。突然のお声がけをお許しくださいませ。私、マクミラン家の娘、ターニャ・マクミランと申します」
「ターニャ子爵令嬢、ごきげんよう」
即座によそ行きの笑顔を作ってにこりと返した。ジークハルトも同じようにする。
「先ほどはお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありません」
「お気になさらないでください。ターニャ子爵令嬢に非はないように見受けられましたし。それよりもご無理はなさっていませんか?」
人前で唐突に婚約破棄を宣言されたのだ。どんな事情であれ、ショックを全く受けないということはない。
ターニャは軽く目を見開いて、それから苦笑いに近い笑顔を見せた。
「お心遣い、ありがとうございます。予期していたことでもありましたので、ご心配には及びません」
「そうですか……」
「実は、アイリーシャ公爵令嬢様にお話したいことがありまして、もしお許しいただけるのであれば、本日の授業後にお茶をご一緒していただけませんでしょうか」
「ええ、もちろん。あと、学園内では敬称はお気になさらずに。アイリーシャとお呼びください。周りにもそのように伝えておりますので」
「ありがとうございます、アイリーシャ様。私のこともターニャと」
「わかりました、ターニャ」
「では、後ほど使いの者を送りますので、寄宿舎のサロンでお待ちしております」
「ええ。楽しみにしていますわ」
恭しくお辞儀をすると、ターニャは学舎へと戻っていった。
「お嬢、よかったですね。お茶に誘われるなんて入学以来初めてじゃないですか」
「失礼ね! 前は誘いがあったのよ! 忙しくて断ってたら、みんなに遠慮されるようになっただけなんだから。ね、マリア」
「はい。そうですね」とマリアが相づちを打った。
「そういうことにしときましょうか。まあ、ターニャ子爵令嬢も単にお友達になりたい感じでもなかったですけどね」
「そうね」
今までほとんど関わり合いがなかった子爵令嬢が、格上の公爵令嬢となんの理由もなく親しくなりたいわけではないだろう。
(でも彼女からは嫌な感じは受けないのよね)
ターニャは家格こそ子爵だが、伯爵家にも劣らない良識と威厳を持ち、令嬢としての評判もいいと聞いている。少しきつい印象も受けるようだが、アイリーシャが見る限りでは不快な感じはしなかった。
「マクミラン家のことかもしれないわね。まあ、聞くだけ聞いてみましょう」
「そうですね。俺は行けないですけど、くれぐれもお気をつけて」
「マリアがいるし、大丈夫よ」
それよりも、とジークハルトをじっと見上げる。
「さっきなんでみんなが私を見てたのか教えて」
「ああ……じゃあ戻りながら話しましょうか」
マリアと別れて、二人で学舎に向かって歩き出す。
あまり気乗りしていない様子のジークハルトを見るに、アイリーシャにとってはいい話ではないのかもしれない。
(面倒事でないといいけれど)
そう心の中で呟いたアイリーシャの願いは、残念ながら叶うことはなかった。




