真紅の影姫③
朝起きがけにマリアにすっと無言で差し出された新聞紙を、嫌な予感とともに受け取った。
『真紅の影姫再び現れる! 正体は貴族令嬢か?』という見出しが目に飛び込んできた。その見出しの下に、見覚えのある少年の写真が載っている。記事はもちろん、数日前の救出劇についてだった。どうやらあのあと、助けた少年は記者の取材に応じたようだ。
『突然、黒い服を着た女の人が現れて、あっという間に悪い人を倒したんです。すごく綺麗な宝石のような赤い瞳をした方でした。その方からはとってもいい匂いがして、それが姉と同じ香水の匂いだとわかりました。その香水は貴族御用達の高級品らしいんです。だから、ぜったいに貴族の方だと思うんです! 話し方や仕草もとても上品だったので間違いないです!』
少年は興奮気味にそう語った、と記事は締めくくられていた。
(あの子、お喋りだったのね)
あの時は、怯えてほとんど声も出せない状態だったのに。まさか、匂いから貴族令嬢だと推測されるとは。というか、そんなに香水を振りかけているつもりはなかったけれど、匂うものなのだろうか。
くんくんと自分の体に鼻を寄せていると、マリアと目が合った。
「私って、香水臭いかしら?」
「いえ、そんなことはないと思います。気持ち程度にしかおつけしていませんし、そのご令息の鼻が異常によかったのではないでしょうか」
「そうよねえ」
身だしなみとして一応香水を使ってはいるが、もともと強い香りは好きではないので、最低限しかつけていない。
(しかも、話し方や仕草って)
あの短時間でそこまで見られていたなんて。少年に背筋がぞっとするようななにかを感じるのはアイリーシャだけだろうか。
(将来が恐ろしい子だわ)
その鋭い洞察力を良い方向に使ってくれるといいが。
「お嬢様、しばらく活動はお控えなさったほうがよいかと。今、貴族内を中心に『真紅の影姫』の正体を探る者が増えております」
「うう……わかってるわ」
自業自得とはいえ、自分の唯一の趣味である世直しができなくなるのは辛い。
ジークハルトに言われたとおり、油断しすぎだった。
「もうすぐ試験もありますし、勉強と妃教育に集中できてよかったですね」
マリアがにっこりと笑顔を浮かべた。
「ええ……そうね」
アイリーシャはがくりと肩を落として、のそのそと朝の支度を始めた。
「派手に取り上げられましたね」
女子寄宿舎の前でアイリーシャを迎えたジークハルトが開口一番に言った。
「そうなのよ。まさか、香水から辿られるなんてね」
「あの子ども、確かマクミラン子爵のご令息でしたよね」
「ええ。子爵家で、領地が辺境にあってね。厳しい環境の地だから農作物も育たないし、他の目ぼしい資源もなくてとても苦労しているらしいわ」
「そんな貧しいのに誘拐されるのおかしくないですか」
「確かにね。でも、平民の賊が貴族の懐事情なんて知らないだろうし、貴族の子どもというだけで誘拐したのかもしれないわ」
「まあ、その可能性もありますね」
「マクミラン家は今は貧しいけれど、歴史が長くて由緒正しい格式ある家だから価値はあるのよね。先代はいまいちだったみたいだけど、当代は経営の才があるみたいだし。あそこは隣国との境だから宿場街を設けたり、中継貿易に力を入れたりしてなんとか経営を回してるみたい」
「へえ」
と自分から話題を振ったくせに、興味のなさそうにジークハルトが欠伸をした。
「とにかく、ジークの言うとおりだった。もうちょっと気をつけるわ。マリアにもしばらく活動は控えろって言われたし」
「お嬢、控えたりできます?」
疑わしげな視線を向けられる。
「で、できるわよ。……たぶん」
「『たぶん』?」
「アイリーシャ様、ジークハルト様、おはようございます」
すれ違った令嬢にお辞儀とともに声をかけられる。
(助かったわ)
「おはようございます」
何事もなかったかのように、微笑んで挨拶を返す。つられるように、ジークハルトもよそ行きの笑顔を令嬢に向けた。
令嬢は頬を赤らめながら小走りに去っていった。
それを皮切りに、毎朝の挨拶合戦の幕が上がり、アイリーシャはジークハルトの追及から逃れることに成功したのだった。




