第5話 盗まれた宝石
旧炭鉱区画を離れると、空気が少しだけ軽くなった。
それでも、火山から吹き下ろす熱は肌に重い。遠くで煙を吐くトルルカーンの火山は、眠っている獣のように低く唸っていた。
夜は小瓶を懐へしまい、背後の坑道を振り返る。
灰のようにさらさらとした粉。光に当たると、深い青にきらめく粒。そして、火山岩の裂け目に絡まっていた金色の髪。
通常のダストとは明らかに違う。
「……操るだけじゃなく、作ることもできる、かもしれないのよね」
夜が小さく呟くと、隣にいた白がと先程まで居た旧炭鉱の奥をじっと見た。
「呼んでる」
「相手が呼んでいる場所へ、素直に行くほど私たちは親切じゃないわ」
白は少し考えてから、こくりと頷いた。
「じゃあ、…聞きこみ調査だね」
「ええ。まずは街で話を集めるわ。青い灰、金髪の人物、それから……」
夜はトルルカーンの街並みへ視線を向けた。
「最近、この街で起きている変なことをね」
トルルカーンのふもとにある街は、石と鉄と熱の匂いで満ちていた。
道は赤茶けた火山岩で舗装され、家々の壁には黒い煤が薄くこびりついている。
通りのあちこちに鉱石を扱う店があり、軒先には磨かれる前の原石や、熱で歪んだ金属片が並んでいた。
白は店先の鉱石を見つめる。
「きらきらしてるね」
「見るだけよ」
「見るだけ…」
そう言いながら、白は顔を近づけた。
夜は小さく息をつき、近くの露店の店主へ声をかける。
「少し聞きたいことがあるのだけれど」
店主は、年季の入った眼鏡をかけた中年の女だった。
最初は警戒したように夜を見る。けれど、夜が丁寧に名乗ると、少しだけ表情を緩めた。
「最近、この辺りで変わったことはなかったかしら」
「変わったことねぇ……」
店主は腕を組み、うんざりしたようにため息をついた。
「ありすぎて困ってるよ。宝石やら金細工やら、盗まれる事件が続いてる」
夜の指先が、通信クリスタルの縁で止まった。
「盗難?」
「ああ。店の奥にしまっていた指輪が消えたとか、鉱石倉庫から金がなくなったとか。火山灰に紛れて、夜のうちにやられるんだ。こっちも商売になりゃしない」
白が振り返る。
「きらきらした石も盗まれたの?」
店主は白を見た。
「キラキラした石?ああ、インカーローズの原石もやられた店があったな。あれは高いんだよ」
夜は白と視線を交わした。
盗難。火山灰。
まだ繋がったとは言えない。
けれど、無関係と切り捨てるには、少しだけ匂いすぎる。
「金髪の見慣れない人物を見なかった?」
夜が尋ねると、店主は苦笑した。
「金髪なら珍しくないよ。この街は他所から来る職人も鉱夫も多いからね」
「そう」
「ただ……」
店主は少し声を落とした。
「ヘイズロストの軍服を着た金髪の女なら、見たって話を聞いたよ」
夜の声から、ふっと温度が消えた。
「ヘイズロストの軍服?」
「霧の街の軍服なんて、ここじゃ目立つからね。綺麗な女だったらしいけど、笑い方がどうにも気味悪かったってさ」
白が呟く。
「金色の女の人」
夜は通信クリスタルから手を離した。
ヘイズロスト。この火山都市トルルカーンとは、まるで気候も性質も違う都市。
そんな場所の軍服を着た金髪の女が、なぜ旧炭鉱区画付近にいるのか。
「ありがとう。助かったわ」
夜が礼を言うと、店主は肩をすくめた。
「気をつけな。最近のトルルカーンは、火山より人間の方が物騒だよ」
聞き込みを続けるうちに、同じような話はいくつも出てきた。
夜中に宝石が消える。金だけが抜き取られる。古い宝飾品が丸ごと盗まれる。
そして、何人かが同じように言った。
ヘイズロストの軍服を着た、金髪の女を見た、と。
やがて二人は、街の端にある古い採石場へ辿り着いた。
火山のふもとに切り開かれたそこは、今ではほとんど使われていないらしい。崩れかけた石柱。割れた採掘道具。黒ずんだ石段。
だが、奥からは微かに金属を打つ音が聞こえた。
かん、かん、と。
規則正しく、熱を持った音。
「誰かいるわね」
夜が呟いた、その時だった。
「おい」
低い声がした。
振り返ると、岩陰から小柄でがっしりした男たちが数人現れていた。背は低い。けれど腕は丸太のように太く、顔も服も煤で汚れている。腰には工具。背中にはハンマー。
ドワーフだ。
そのうちの一人が、白をじろじろと見た。
白は首を傾げる。
「なあに?」
ドワーフは白の腕、肩、膝、そして指先を見て、にやりと笑った。
「おいおい……いい身体してんじゃねぇか」
夜の空気が一瞬で凍った。
「……今、何と言ったのかしら」
ドワーフは夜の声など聞いていない。白の腕を覗き込みながら、目を輝かせている。
「この関節、誰が組んだ? 肩の逃がしも膝の噛み合わせも、尋常じゃねぇぞ」
別のドワーフも近づいてくる。
「指の節まで作り込んでやがる。変態の仕事だな」
「褒めてる?」
白が聞く。
「ああ、褒めてる。最高に気持ち悪いくらい丁寧だ」
白は少し嬉しそうにした。
「僕、いい身体?」
「いい身体だ。職人なら一度は拝みてぇ」
夜は額に手を当てた。
「白、その言葉を素直に受け取らないで」
だが、ドワーフたちはもう白を囲んでいた。
「ちょっと奥へ来い。じっくり見せてもらう」
「何を?」
夜の声がさらに低くなる。
ドワーフは真顔で答えた。
「可動域だよ」
「言い方を選びなさい」
「あ? 職人が職人仕事を見て何が悪い」
「その顔で言うから悪いのよ」
白は夜を見る。
「夜、行っていい?」
「駄目に決まって――」
「茶とお菓子くらい出すぞ」
「行く!」
「ちょっと待ちなさい!」
夜が止めるより早く、白はドワーフたちに連れられて、採石場の奥へ連れ去られて行った。
正確には、連れ去られたというより、褒められて嬉しくなって自分からついて行った。
それでも夜の顔色は良くない。
「……あの子、いつもは怯えてるくせに危機感というものをどこかに置いてきたのかしら」
夜はすぐに後を追った。
古い採石場の奥には、隠し通路のような石段があった。下へ進むにつれて、熱が濃くなる。
やがて視界が開けた。
そこには、鍛工場があった。
広い岩窟の中に、いくつもの炉が並んでいる。赤く燃える火。金属を叩く音。吊るされた鎖。壁に積まれた鉱石と、磨かれた宝石。
ドワーフたちが、汗と煤にまみれて働いていた。
「白!!」
夜が駆け込む。
白はいた。
椅子に座っていた。
縛られてもいない。怪我もない。むしろ、数人のドワーフに囲まれながら、腕を持ち上げたり、膝を曲げたりしている。
「ここの可動、すげぇな」
「人形師の仕事か?」
「いや、人形っていうより……これはもう身体そのものだ」
白は夜を見た。
「夜」
「無事?」
「うん。関節、褒められてる」
「……そう。よかったわね。帰るわよ」
「まだ褒められてる途中」
「それは知らないわ」
夜は安心と疲労が混ざった息を吐いた。
その時、ふと視界の端に光るものが映る。
炉の近くに置かれた作業台。そこには、宝石や金細工がいくつも並べられていた。
けれど、そのどれもが新品には見えなかった。
片方だけの耳飾り。内側に名前の彫り跡が残った指輪。家紋を削り取った痕のある金具。古い傷の入った宝石箱。
夜はゆっくりと表情を変えた。
「これは……あなたたちが採掘したものではないわね」
近くのドワーフが振り返る。
「あ?なんだ急に」
「盗品だと知っていたの?」
鍛工場の音が、一瞬だけ鈍くなった。
ドワーフの親方らしき男が、眉をひそめる。
「盗品だと?」
「街で宝石や金細工の盗難が続いているわ。ここにあるものは、使用感がありすぎる。店から買い取った素材には見えない」
親方は作業台の品々を見た。
「俺たちは王都の貴族どもから正式に預かっただけだ。加工しろ、納品しろってな。盗品なんて聞いちゃいねぇ」
「上流階級から?」
「そうだ。あいつら、金は出すが無茶ばかり言う。納期は短ぇ、素材は多い、失敗は許さねぇ。断れば工房ごと潰すと脅してくる」
親方は忌々しそうに吐き捨てた。
「俺たちは職人だ。奴隷じゃねぇ」
夜は黙って、壁に貼られた紙へ視線を向けた。
納品予定表。
そこには、いくつもの名前が並んでいた。貴族の名。商会の名。王都の上流階級に属する家名。
その中に、夜の知っている名前があった。
幼い頃、城の中で聞いた名。礼儀作法の授業で覚えさせられた家紋。そして、昔の戦争で兵器管理に関わっていた一族の名。
夜は紙に並んだ名前の一つで、指を止めた。
「……まだ残っていたのね」
「何か知ってんのか」
親方が問う。
夜はすぐには答えなかった。
「何を作っているの?」
親方の顔つきが変わる。
「それは言えねぇ」
「盗品かもしれない素材を使って、上流階級に納めるもの。しかも、戦争兵器に関わった家名が混じっている」
夜の声は静かだった。
「普通の装飾品ではないわね」
親方は口を閉ざした。
その沈黙が、答えに近かった。
次の瞬間。
奥の方で、爆発音がした。
岩窟全体が揺れる。
炉の火が大きく跳ね、吊るされた鎖が激しく鳴った。
「倉庫だ!」
「おい、奥だ! 奥から煙が出てるぞ!」
ドワーフたちが一斉に走り出す。
夜は白を見る。
「白」
「うん」
白は椅子から降り、銃を抜いた。
二人はドワーフたちを追って、工房の奥へ向かった。
倉庫は、もぬけの殻になっていた。
分厚い扉は内側から吹き飛ばされ、床には焦げ跡と黒い粉が散っている。棚は空。金属を収めていたらしい箱だけが、いくつも乱暴に転がっていた。
そして、その中央に。
赤黒いダストが蠢いていた。
旧炭鉱区画で見た、深い青の灰ではない。
ただ、操られているかのように都合よく立ちはだかるダスト。
それが小さな魔物の形を作り、倉庫の出口を塞いでいる。
夜は息を吐いた。
「足止めね」
白が首を傾げる。
「逃げちゃった?」
「ええ。たぶん、もう」
魔物たちが一斉に飛びかかってきた。
夜の姿が揺れる。
赤黒い魔物の爪が届く前に、夜はすでに横へ抜けていた。床を蹴り、壁を使い、狭い倉庫の中を滑るように動く。
「白、右だわ」
「うん」
白の銃声が響いた。
一体の魔物の脚が砕ける。すぐに再集合しようとするが、白はそれをじっと見つめた。
「集まらなくていいよ」
その声に、魔物の動きが一瞬だけ鈍る。
夜はその隙に刃を振るった。魔物の輪郭が裂け、赤黒い塵へ崩れる。
だが、数が多い。
一体一体は強くない。けれど、倒すたびに数秒だけ足を止められる。
その数秒が、逃げる相手にとっては十分すぎる時間だった。
「夜、外が…!」
白が振り返る。
夜も気づいていた。
倉庫の奥、吹き飛ばされた壁の向こうに細い通路がある。そこから、外へ抜けた痕跡。
煤に混じって、灰色の粉がわずかに残っていた。
その中に、深い青の粒が一つだけ光る。
夜は小さく舌打ちした。
「……やられたわね」
最後の魔物を切り伏せると、倉庫には静けさが戻った。
残ったのは、焦げた匂い。空になった棚。そして、逃走のために置かれた魔物の残骸だけ。
親方が遅れて駆け込んでくる。
「おい、品は!?」
ドワーフたちが空の棚を見て、顔色を変えた。
「ない……」
「全部か?」
「納品前の分が、丸ごと消えてやがる……!」
夜は親方へ向き直った。
「何を盗まれたの?」
親方は歯を食いしばる。
「言えねぇ」
「今さら隠している場合ではないわ。あなたたちの工房は利用された。盗品を加工させられ、その上で完成品を奪われたのよ」
親方は拳を握った。
しばらく沈黙したあと、低く吐き出すように言う。
「……武器だ」
夜の声が、少し低くなった。
「武器?」
「ああ。ただの飾りじゃねぇ。貴族どもが、絶対に口外するなって言ってた品だ」
「何に使うものなの」
親方は答えない。
答えられないのか。答えたくないのか。
そのどちらでも、夜には十分だった。
白が空の棚を見つめる。
「悪い人、持ってったの?」
「ええ、そうみたいね」
夜は通信クリスタルを握った。
「No.A。朔に繋いで」
『了解しました』
数秒の雑音のあと、朔の声が返ってきた。
『夜か?何か分かったのか?』
夜は空になった倉庫を見た。
盗まれた宝石。ヘイズロストの軍服を着た金髪の女。旧炭鉱区画の青い灰。貴族たちの納品予定表。戦争兵器に関わった家名。そして、奪われた武器。
「分かったことより、面倒なことが増えたわ」
『いつものことじゃんか』
「今回は少し笑えないわね」
通信の向こうで、朔の声がわずかに低くなる。
『何があったんだ?』
夜は金色の髪が入った小瓶と、深い青の灰が入った小瓶を見下ろす。
「トルルカーンで武器が盗まれた。蟻ノ巣を襲った件と、同じ相手が絡んでいる可能性が高いわ」
『武器?』
「ええ。しかも、ただの武器ではなさそう」
白が小さく呟く。
「金色の人?」
夜は頷かなかった。けれど、否定もしなかった。
倉庫の床に残った灰が、深い青に一度だけ光る。
夜はそれを見つめながら、静かに言った。
「敵は、魔物だけじゃないわ」
火山の奥で、また低い唸りが響いた。
ーーーーーー
ヘイズロストの深い森には、霧に沈む廃城がある。
かつては城ではなかった。国が所有していた旧軍事研究施設。戦争のために造られ、戦争によって捨てられた場所。
今では崩れた外壁だけが城のように残り、森に住むわずかな人々からは、ただ廃城と呼ばれている。
その一室で、金色の髪が揺れた。
女は欠けた窓辺に腰掛け、指先に灰をまとわせている。灰の中に混じった深い青の粒が、霧の薄明かりを受けて小さく瞬いた。
「あら」
女は楽しそうに笑った。
「もう見つけたの?」
驚いているようで、少しも困ってはいない声だった。
指先の灰がふわりと浮き、羊に似た小さな形を作る。けれど、それはすぐに崩れ、床へさらさらと落ちた。
「蟻ノ巣の子たちって、思ったより鼻が利くのね」
女は窓の外を見た。
深い森。晴れることのない霧。かつて太陽を集めていたはずの街は、今では光を失ったまま沈黙している。
「でも、まだ私には辿り着けないでしょう?」
深い青の粒が、彼女の指先でまた瞬く。
「せいぜい追いかけてきなさい。可愛い蟻さんたち」




