第3話 灰
蟻ノ巣の入口を襲った魔物。
その残された痕跡は、ただの自然発生とは思えないものでした。
今回は、異変の出所を探るため、夜と白が蟻ノ巣の外へ向かいます。
赤黒い塵は、まだ床に残っていた。
クイックバイトの形はもうない。
朔のパンタシアで砕かれ、薬の馬鹿力で踏み潰され、魔物としての輪郭は完全に失われている。
それでも、床の隙間に沈んだダストは、かすかに蠢いていた。
「……気持ち悪いな」
薬が手についた赤黒い粉を払いながら、顔をしかめる。
「普通のダストなら、魔物が消えた時点でもう少し散る」
朔は杖を肩に乗せたまま、床を見下ろした。
「なのに、まだ集まろうとしてる」
天井のスピーカーから、No.Aの声が落ちる。
「同意。第一入口周辺の残留ダストに、通常個体と異なる反応を確認しています」
「No.A、発生源は追える?」
「可能です。濃度分布を再計測。流入方向を逆算します」
通路の奥で、青白い光が何本も走った。
壁に埋め込まれた小さな観測機が一斉に起動し、床に散ったダストを照らしていく。
数秒の沈黙。
その間にも、赤黒い塵はぴくりと震えた。薬の獣耳が、不快そうに伏せられる。
「まだ動いてんのかよ」
「死に損ないというより、命令が残ってる感じだね」
朔の声が低くなる。
「誰かが、こいつらをここまで来させた」
床の隙間に沈んだダストは、散ろうとしない。魔物としての形は失ったはずなのに、細い糸で引かれるように、同じ方向へ集まろうとしている。
No.Aの声が返った。
「同意。通常ダストと比較し、残留後の凝集率が異常です。外部からの指示、または誘導を受けていた可能性があります」
「操られてたってことか?」
「その表現が最も近いと判断します」
朔は床に残る赤黒い塵を見下ろした。
「じゃあ、操ってた奴がいる」
薬は再びダストに目をやった。
「……蟻ノ巣の入口を、狙って来たってことなんか?」
「解析完了。発生源候補を特定しました」
朔はすぐに聞き返した。
「どこだ?」
「第三都市トルルカーン近郊。旧炭鉱区画付近と推定」
朔は目を細めた。朝食の席で聞いた名前が、もう一度そこに戻ってくる。
「……火山の街か」
「夜様、白様へ座標を送信します。現地調査を要請します」
その言葉と同時に、通路の壁に埋め込まれた小さなクリスタルが淡く光った。
通信クリスタル。
博士が作った、数少ないまともな発明の一つだ。パンタシアを込めることで、任意のクリスタル同士を繋ぎ、離れた相手と声を交わせる。
本人いわく、
「遠くの奴と話せる石だ。どうだ、便利だろう」
とのことだった。
なお、初期型は三回に一回爆発したらしい。
今使われているものは、No.Aの調整によって安定している。たぶん。少なくとも、今のところは。
「夜様にお繋ぎ致します。開始」
No.Aの声に合わせ、クリスタルの中に青白い光が満ちる。
数秒の雑音。
それから、涼やかな女の声が返ってきた。
『聞こえているわ。No.Aね?』
夜の声だった。
第三都市トルルカーン。
赤茶けた岩の街の外縁で、夜は手のひらほどの通信クリスタルを、白にも見える位置に持っていた。
さ
火山から吹き下ろす熱い風が、紫がかった黒髪を揺らす。隣では、白が包帯に覆われていない片目で、クリスタルをじっと見つめていた。
「聞こえますか?夜様。」
「石、しゃべってる」
「あなた、毎回それを言うのね」
夜は軽く息をつき、クリスタルへ視線を戻した。
『夜様、白様。現在地から北東へ約1.7キロ。旧炭鉱区画付近に高濃度ダストの発生源候補を確認しました』
「座標は受け取ったわ」
夜が指先でクリスタルの表面をなぞると、淡い光が地図のように浮かび上がる。
線と点だけで作られた簡易座標図。
その中心に、小さな青い印が灯っていた。
『現地調査を要請します。注意事項。対象ダストは通常個体と異なる反応を示しています』
「普通の魔物じゃない、ということね」
『はい。外部から操作、または誘導された可能性が高いです』
白が首を傾げた。
「悪い人いる?」
通信の向こうで、ほんの一瞬だけ間が空いた。
『可能性は高いです』
夜はクリスタルを握り直した。
「分かったわ。白、行くわよ。寄り道しないで」
「ルキがいないよ」
「それは出発前から分かっていたことね」
白は落ち着かない様子で、夜の袖を小さく引いた。
「ルキの座標は見れるのかな?」
「レキは蟻ノ巣防衛中よ」
「じゃあ僕が見る」
白はそう言って、夜の手元の光る地図を覗き込んだ。
夜は少しだけ眉を下げる。
「見るのはいいけれど、触らないで。博士の発明品は、雑に扱うとだいたい変なことになるわ」
『補足します。現行型通信クリスタルの爆発確率は、通常使用で0.8パーセント未満です』
「あるのね、爆発確率」
『はい』
夜は静かにクリスタルを遠ざけた。白は小さく拍手した。
「すごいねっ、ちょっと爆発する石だっ」
「褒めてはいないのよ」
通信が切れると、クリスタルの光はゆっくりと薄れていった。
夜はそれを懐にしまい、簡易座標図の残光を頼りに歩き出す。白もその後ろをついていく。時折、周囲を見回しては、どこか落ち着かなさそうに包帯の端を指で触っていた。
旧炭鉱区画は、街の外れにあった。
人の声は少ない。
遠くで火山が低く唸るたび、赤茶けた岩肌の奥から熱が返ってくる。
しばらく進んだところで、白が足を止めた。
「夜」
「何?」
「ここ、きらきらしてる」
白が指差したのは、火山岩の割れ目だった。
赤黒いダストではない。そこに残っていたのは、灰のようにさらさらした粉末だった。
夜が屈み、通信クリスタルの光を近づける。
粉末が淡い光を受けた瞬間、その中に混じっていた粒が、深い青にきらめいた。
「……綺麗ね」
夜は小さく呟いてから、すぐに表情を引き締めた。
「でも、普通のダストではなさそうだわ」
白が覗き込む。
「青い」
「下手に触っちゃダメよ。小瓶に取って、No.Aに解析させるわ」
夜が採取用の小瓶を取り出そうとした時、白がもう一度首を傾げた。
「夜、こっちも」
火山岩の裂け目に、細い糸のようなものが絡まっていた。
夜は指先でそれを摘まむ。
灰でも、糸でもない。
金色の髪だった。
「……誰か、ここにいたのね」
夜の声が少しだけ低くなる。
白は青くきらめく粉末と、夜の指先の金髪を交互に見た。
「悪い人?」
「まだ分からないわ」
夜は金色の髪を小瓶へ入れ、通信クリスタルを握り直した。
「でも、蟻ノ巣を狙った誰かではあるでしょうね」
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