第17話 火種
街の兵士たちに襲い掛かる緑と青。
一度目の戦争が終わってからも、ルドルメラフの朝は忙しい。
崩れた建物。
ひび割れた石畳。
今も完全には戻っていないバリア。
街の中心部では復興が進んでいるが、外縁へ近づくほど戦争の傷跡は色濃く残されていた。
バリアの修復に必要な資材を保管する施設も、その一つだ。
かつては軍の補給倉庫として使われていた建物を改修し、現在は各地から集められた部品や鉱石、工具が収められている。
早朝。
まだ人通りの少ない施設の前で、二人の兵士が交代の時間を待っていた。
「昨日の話、聞いたか?」
年若い兵士が、眠気を紛らわせるように口を開く。
隣にいた年上の兵士は、槍へ身体を預けたまま答えた。
「何の話だ」
「魔物だよ。中央通りに三体出たって」
「そんなの珍しくもないだろ」
「それが、全部一人で倒した奴がいるらしい」
年上の兵士が僅かに顔を上げる。
「一人?」
「赤いフードの女の子。パンタシア使いだったって」
その言葉で、ようやく興味を持ったらしい。
「パンタシア?」
「術を何度使っても、ダストが出なかったらしいよ。見てた連中がみんな言ってる」
若い兵士は少し声を潜める。
「本物だったらしい」
パンタシア使い。
魔法を使いながら、ダストを生み出さない者。
神聖な力を授かった者として、この国では特別な意味を持つ存在だ。
年上の兵士は鼻を鳴らした。
「噂なんて、一晩あれば三倍になる」
「でも、中央警備の奴も見たって」
「なら本当かもしれんな」
「しばらく街にいてくれたらいいのに」
若い兵士は、遠くに見えるバリアの光を眺めた。
薄い膜のような輝きには、ところどころ揺らぎがある。
「また魔物が入ってくるかもしれないだろ」
「だから俺たちがいるんだ」
「分かってるけどさ」
それでも。
パンタシア使いが一人いる。
それだけで、この街に暮らす者がどれほど安心するのか。
一度目の戦争を知る者なら、嫌でも分かる。
年上の兵士が何かを言おうとした、その時だった。
施設の奥で、金属が落ちる音がした。
二人の視線が同時に向く。
「……今の聞いたか?」
「ああ」
まだ作業員が入る時間ではない。
兵士たちは槍を構え、資材庫へ続く扉を開けた。
薄暗い通路。
朝日が僅かに差し込むだけで、中はほとんど闇に沈んでいる。
その先を、二つの人影が歩いていた。
「止まれ!」
声を上げる。
人影が足を止めた。
一人は女。
もう一人は、まだ少年と呼べるほど幼い。
どちらも見慣れない暗色の上着を纏い、所属を示す徽章は見当たらない。
女がゆっくりと振り返った。
「もう見つかっちゃった」
妙に楽しそうな声だった。
その手には、一挺のマスケット銃が握られている。
「何者だ」
年上の兵士が槍を向ける。
「ここは軍の管理施設だ。所属を言え」
女──メリーは、少し考えるように首を傾げた。
それから、にっこりと笑った。
「ソラドから来たの」
兵士たちの表情が変わる。
「……何?」
「聞こえなかった?」
メリーはヒールを鳴らしながら一歩前へ出る。
「ソラド王国よ」
隣のリートが、露骨に面倒そうな顔をした。
「言う必要あった?」
「聞かれたから答えただけじゃない」
「馬鹿正直すぎるだろ」
「素直なのは美徳よ?」
二人の会話が、あまりにも場違いだった。
若い兵士は槍を強く握り直す。
ソラド王国。
その名前だけで、胸の奥がざわついた。
一度目の戦争。
損傷したアーティファクト。
不完全になったバリア。
街へ押し寄せた魔物。
ルドルメラフにとって、決して軽く扱える国名ではない。
「武器を捨てろ」
年上の兵士が告げる。
「両手を見えるところへ出せ」
「嫌よ」
メリーは即答した。
同時に、腰へ下げていた小瓶へ手を伸ばす。
蓋が開いた。
中から、薄いダストが溢れ出す。
「下がれ!」
兵士が叫ぶ。
だが遅い。
ダストは煙のように漂うことなく、真っすぐメリーのマスケット銃へ吸い込まれていった。
黒い銃身。
そこへ刻まれた複雑な溝を、深い青色の光が走る。
銃口から銃床まで。
まるで武器そのものへ血が巡ったように、青い光が脈打った。
「何だ、あの武器……」
若い兵士が息を呑む。
メリーが銃を構えた。
「伏せろ!」
銃声。
若い兵士は反射的に身を屈めた。
弾丸は、二人の頭上を通過した。
外した。
そう思った直後。
背後から、轟音が響く。
振り返る。
倉庫内の資材を吊り上げていた太い鎖が、根元から撃ち抜かれていた。
支えを失った木箱が落下する。
床へ叩きつけられた箱が砕け、中に収められていた部品が一斉に散乱した。
バリアの修復に使われるものだ。
「外したのか?」
兵士の呟きに、メリーが笑う。
「まさか」
青く光る銃口から煙が上がる。
「ちゃんと狙ったわよ」
「警鐘を鳴らせ!」
年上の兵士が叫ぶ。
若い兵士が走る。
しかし。
その前へ、小さな影が滑り込んだ。
リートだった。
「邪魔」
手にしたベイカー銃へ、ダストが吸い込まれる。
今度は、鮮やかな緑色。
銃身を走った光が、少年の顔を照らした。
一発。
警鐘へ続く縄が切れる。
二発目。
扉の留め具が弾け飛ぶ。
三発目。
資材棚を支えていた金具が砕けた。
巨大な棚が軋み、積まれていた木箱ごと横倒しになる。
「クソッ!」
兵士が槍を突き出す。
リートは身体を捻ってかわした。
「遅い」
銃床を兵士の脇腹へ叩き込む。
兵士が呻き、壁へ倒れた。
「オレ、こいつ撃っていい?」
「駄目よ」
メリーは即座に答えた。
「なんで」
「死んじゃったら、お話できないでしょう?」
リートが眉を寄せる。
「誰と」
「街の人たちと」
施設の奥から声が聞こえてきた。
騒ぎを聞きつけた作業員たちだ。
数人が何が起きたのか確かめようと顔を出し、武器を持った二人を見て硬直する。
メリーの口元がさらに吊り上がった。
「ほら。ちょうどいい」
「何が」
「見てくれる人が増えたでしょう?」
銃口が作業員たちへ向く。
悲鳴が上がる。
瞬く間に恐怖が広がった。
薄いダストが、人々の周囲へ滲み始める。
「動かないでね」
メリーは柔らかな声で告げた。
「殺すつもりはないから」
安心できる言葉ではなかった。
むしろ、何をするつもりなのか分からない分だけ恐ろしい。
「お前たち……本当にソラドの人間なのか」
年上の兵士が問う。
額から血を流しながら、それでも槍を構えている。
メリーは彼を見た。
「疑ってるの?」
「工作員が、自分から国名を名乗るものか」
「へえ」
メリーの目が楽しげに細くなる。
「賢いのね」
その返答は、肯定にも否定にもならなかった。
「だったら、好きに考えれば?」
「メリー」
リートが低く呼ぶ。
「もう十分だろ」
「そうね」
メリーは周囲を見渡した。
壊れた修復資材。
倒れた棚。
恐怖に顔を強張らせる作業員。
そして、目の前で武器を構えるルドルメラフの兵士たち。
目的は果たした。
「王都にも、いい報告ができそう」
何気ない一言。
けれど、兵士たちは聞き逃さなかった。
「王都……?」
若い兵士が呟く。
メリーは答えない。
マスケット銃を肩へ担ぎ直す。
「帰るわよ」
「やっとか」
リートが踵を返した。
二人が走り出す。
「逃がすな!」
兵士たちが追う。
リートが振り返りざまにベイカー銃を放った。
緑色の閃光。
床が大きく抉れ、石片が飛び散る。
兵士たちが足を止めた。
その隙に、二人は崩れた資材の間を抜けていく。
「追え!」
若い兵士も走ろうとした。
その時。
からん。
小さな金属音がした。
メリーが駆け抜けた場所。
そこへ、黒い金属板が落ちていた。
「待て!」
年上の兵士が制止する。
「触るな。罠かもしれん」
二人の足音は、すでに遠ざかっていた。
やがて完全に聞こえなくなる。
施設へ、重い静寂だけが残された。
警備兵は慎重に周囲を確認したあと、布越しに黒い金属板を拾い上げる。
軍用の認識票だった。
表側へ刻まれた意匠を見て、兵士の顔色が変わる。
「……ソラド」
若い兵士が息を呑む。
それは、ソラド王国軍で使われる形式の認識票だった。
裏側には、部隊を示すと思われる番号まで刻まれている。
「本物なんですか」
「分からん」
年上の兵士は即答した。
「だが、形式は同じだ」
作業員の一人が震えながら尋ねる。
「じゃ、じゃあ……さっきの二人は、本当にソラド王国の……?」
「まだ決めつけるな」
「でも、自分たちでソラドから来たって……!」
「だからこそ怪しいんだ!」
兵士の声が倉庫へ響いた。
全員が黙る。
「敵地へ入った工作員が、自分から所属を口にして、所属先の認識票まで落としていくか?」
その言葉には理屈があった。
若い兵士も分かっている。
分かっているのに。
床へ散らばったバリア修復用の部品を見る。
数日、あるいは数週間。
修復作業は確実に遅れる。
そして、狙われたのは偶然の物資ではない。
この街を守るために必要なものだ。
「……でも」
若い兵士が呟く。
「もし、本物だったら?」
誰も答えなかった。
その一言だけが、重く残る。
もし、ソラド王国が再びルドルメラフを狙っているのなら。
もし、バリアを完全に修復させないために、工作員を送り込んだのなら。
もし。また、あの戦争が始まるのなら。
作業員たちの周囲へ漂うダストが、僅かに濃くなる。
「まず中央へ報告する」
年上の兵士は認識票を布で包んだ。
「ソラドの名が出たことも、この認識票が落ちていたことも。だが、“ソラドの犯行”と断定して報告するな」
「はい」
「現場を封鎖しろ。誰も部品へ触れさせるな」
兵士たちが動き始める。
それでも、作業員たちの表情から恐怖は消えなかった。
一度耳にした国名を、なかったことにはできない。
ましてやルドルメラフには、まだ一度目の戦争を忘れていない者が多すぎる。
_________
昼を過ぎる頃には、噂は資材庫の外へ漏れていた。
最初は、
__修復施設が襲われた。
それだけだった。
次に、
__犯人がソラド王国を名乗ったらしい。
が加わった。
さらに、
__現場からソラド軍の認識票が見つかった。
そして夕方には、
__ソラド王国軍がルドルメラフのバリアを破壊しようとした。
瞬く間に噂は不安を煽るかのように形を変えて行った。
「本当にソラドなのか?」
「軍はまだ何も発表していないぞ」
「でも、認識票があったんだろ」
「偽物かもしれない」
「なら、どうしてバリアの修復資材を狙う?」
酒場、露店、復旧工事の現場。
あちこちで、同じ話が繰り返される。
「また戦争になるのか?」
誰かが言った。
「やめてくれよ。まだ前の戦争から立ち直ってもいないのに」
別の誰かが答える。
「ソラドが先に仕掛けてくるなら、こっちだって黙ってられないだろ」
「まだソラドって決まったわけじゃ――」
「決まってからじゃ遅いんだよ!」
声が荒くなる。
恐怖が怒りへ変わる。
怒りが疑いへ変わる。
疑いが、まだ姿も見えない敵を作っていく。
そのたびに、人々の身体から薄いダストが零れた。
街の上空へ昇り。
散り。
また別の場所から生まれる。
ルドルメラフを守るバリアは、今日も淡く揺らいでいた。
昨夜、この街では赤いフードを被ったパンタシア使いが、人々を魔物から救った。
ダストを生み出さない神聖な力を見て、人々は僅かな安心を取り戻したばかりだった。
けれど、その安心は一日も持たなかった。
街の片隅。
倒れた建物の壁へ、一枚の号外が貼り出される。
そこには大きな文字で、
『ルドルメラフ軍管理施設襲撃――ソラド王国関与の可能性』
と記されていた。
まだ、可能性にすぎない。
証拠も十分ではない。
国は何一つ断定していない。
それでも、その文字の前には次々と人が集まっていった。
そして、誰も気づかないまま。
小さな火種が、一つ。
確かにこの国へ落ちていた。
いつも閲覧ありがとうございます。
現状24話まで書き溜めていますので、暫くは連載できそうです。




