表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤ずきんはエメラルドの夢を見る  作者: デウス・エクス・マキナ
第一章 紅い宝石編
PR
16/18

第16話 紅い宝石

硬いものを噛み砕く音が、地下室へ何度も響いていた。


ばきり。


ごり、ごり。


長机の端に腰掛けたガラが、青白い氷の塊を齧っている。

赤いボブヘアの毛先から、溶けた雫が落ちた。本人は冷たさなど気にもしていないらしく、拳ほどあった氷を少しずつ小さくしている。

その背後には、巨大なナイフとフォークが壁へ立て掛けられていた。

どちらもガラ本人の背丈を超えている。

食卓へ置くには大きすぎ、武器と呼ぶには形がふざけすぎていた。


だが、あれを片手で振り回す少女を前にすれば、笑える者はいない。


「いつまで食べているつもりなの?ガラ」


上座に座るインカローズが、苛立ちを隠さずに尋ねた。


ガラと呼ばれた女は氷を口に含んだまま、こちらを見る。


「なくなるまで」


「そういう意味ではないわ!」


「まだあるよ」


ガラは足元へ置かれた布袋を示した。

中には、アイスジャベリンから持ち帰ったらしい氷が詰め込まれている。地下室へ入った時より、床に広がる水溜まりが大きくなっていた。


「全部溶ける前に食べる」


「ここを水浸しにする前に片づけなさい!」


「食べれば片づく」


理屈だけは通っている。

納得したくはなかった。

インカローズは額へ指を当て、深く息を吐いた。


その隣では、Hzが床へ蹲っている。

乱れた髪の隙間から覗く右目は、ガラが持ち帰った氷だけを見つめていた。

氷の内部には、赤いものなど何もない。

それでもHzは、向こう側に何かが見えているかのように、瞬きもせず青白い表面を凝視している。


「奥……」


喉から漏れる声は、虫の羽音のように掠れていた。


「赤イ……あッた。もッと、奥……」


「見つけたのは光だけなのでしょう?」


インカローズが問う。

Hzは答えない。


「石……生命……増エル」


細い指が、床の水をなぞった。


「足りなイ。届かなィ。まだ、白イ」


会話になっていなかった。

インカローズはもう一度ため息をつき、机を指先で叩いた。


「ガラ。あなたが説明しなさい」


「氷山を食べたよ、ごりごりかき氷〜」


「最初からそれでは何も分からないわ!」


「最初は氷」


「その次よ!」


ガラは少し考えた。


「岩!」


「その次!」


「氷!」


「そうではなくて!」


声を上げたインカローズを、壁際に立つリートが冷めた目で見ている。


「インカーローズの質問の仕方が悪いんじゃないかー?」


「では、アンタが聞きなさいよ!」


「面倒だから嫌だよ」


深緑色の軍服を纏った少年は、肩を竦めた。

その軍服がラムカラムの兵士から奪ったものだと知っている者は、この部屋にしかいない。

長机の反対側では、メリーが椅子を後ろへ傾けながら笑っていた。彼女が身につけているのは、ヘイズロストの軍服だ。

誰も、本来その服を着ていた兵士について尋ねようとはしない。


メリーが子どもへ言い聞かせるように尋ねる。


「ガラちゃん。氷山の中で、赤い光を見つけたのよね?」


ガラは頷いた。


「うん」


「どのくらい深いところ?」


「いっぱい食べたところ」


「具体的には?」


「お腹いっぱいになるくらいかなぁ」


「それはガラちゃんの基準でしょう?」


「まだ食べられたかも」


「では、お腹いっぱいではないじゃない」


ガラは不思議そうに首を傾げた。

インカローズは机へ両手をついた。


「もう距離はいいわ!赤い光の近くまで到達したのかだけ答えなさい!」


「してないかなぁ」


「どうして?」


「人が来たからね」


ようやく必要な情報が出た。

室内の空気が僅かに変わる。


「何人?」


「三人」


ガラは腕を突き出し、指を三本立てた。


「小さいうさぎ耳の女の子。槍の男の子。優しそうな女の人」


アイスジャベリンへ向かった蟻ノ巣の調査隊だろう。

メリーも同じことに気づいたらしく、傾けていた椅子を元へ戻した。


「その三人と戦ったの?」


「Hzが戦ってたよ」


ガラは氷を一口齧った。


「小さイ子、硬かッタ。刺シても壊れなかッた」


インカローズはHzへ視線を移す。


「殺したの?」


「殺シてなィ……」


Hzの唇がゆっくりと歪む。


「中、赤イ。外、白イ。バラバラ。まダ、治ッて…ない」


「問いに答えなさい」


「増ヤせば、同じニなる」


水に濡れた指が、自分の腕を這う。


「傷モ、肉モ、黒モ。全部。全部、同じ…違わなィ。痛くなィ」


リートが露骨に顔を顰めた。


「相変わらず気持ち悪い」


Hzの首が動いた。

片目が、ゆっくりとリートへ向けられる。


「白……あル」


「こっち見るなよ」


「マダ、白い」


Hzが立ち上がろうとした瞬間、ガラがその服の裾を掴んだ。


「Hz、だーめ」


たった一言だった。

Hzの動きが止まる。

しばらくリートを見つめていたが、やがて身体から力を抜き、再び床へ座り込んだ。


「次……石、アれば」


掠れた声が、低く繰り返される。


「一度で、全部。全部、治ル」


Hzの身体は、すでに普通の人間のものではなかった。


かつて彼女は、自らの肉体を使って実験を繰り返した。その果てに魔物の組織を取り込み、身体の内側を、複数の生物が複雑に結びついたものへ変えている。


傷を負えば、肉体そのものを変形させる。

砕けた骨の代わりとなる組織を作り、裂けた肉を別の形で繋ぎ直す。必要であれば、腕や脚の構造さえ戦いに適したものへ変える。

Hzが異常な速さで傷を塞げるのは、自らの身体を、その場で必要な形へ作り替えているからだった。

彼女はそれを、進化と呼んでいた。


だが、その能力だけでは、黒斑症に侵された子供たちを救えないらしい。

Hzが求めている賢者の石には、生きた細胞を急速に増殖させる作用があるという。


黒斑症にどのような変化を与えるのか。

その力をどう治療へ利用するのか。


Hzは、インカローズにも詳しく説明しようとはしなかった。


それでも、インカローズは彼女を信じていた。

まだHzが軍医として働いていた頃、インカローズはその手で命を救われている。

誰もが助からないと諦めた傷を、Hzだけは諦めなかった。

患者の苦痛を誰よりも嫌い、子供が泣けば、治療が終わるまでその手を離さなかった。

今では言葉も、姿も、あの頃とは大きく変わってしまった。


それでも、患者を救おうとする心まで失ったとは思えない。

国によって無理やり称号を与えられ、研究材料として扱われた子供たち。

彼らを救う方法をHzが見つけたというのなら、インカローズはその願いを叶えてやりたかった。


「賢者の石があれば、その増殖作用を使って、国の研究材料にされた子供たちを治せるのよね」


Hzの肩が、微かに揺れた。


「生命、増ヤす」


「そう。あなたなら、きっと正しく使えるわ」


インカローズの声に迷いはなかった。

Hzが、ゆっくりと顔を上げる。

乱れた髪の奥で、片目だけが濁った光を帯びていた。


「黒、増エる」


細い指が、自らの腕をなぞる。


「白、残る。ダから、痛い」


「病に侵された部分を、一度すべて表へ出すということ?」


Hzは答えなかった。

ただ、指先へ力を込める。

皮膚の下で何かが蠢き、腕の一部が黒く硬い組織へ変わった。


「全部、黒ニなる」


掠れた声には、奇妙な確信があった。


「そしたら……違わナい」


インカローズは、その言葉を治療の過程なのだと受け取った。

病に侵された細胞を増やし、身体の正常な部分から切り分ける。

あるいは、黒斑症そのものを別の性質へ変化させる。

かつてのHzなら、常識では考えられない治療法を編み出しても不思議ではない。


「痛み、なくナル」


Hzの唇が、ゆっくりと歪む。


「泣かなく、ナル」


それは笑みだったのかもしれない。

だが、以前の彼女が患者へ向けていたものとは、どこか違って見えた。

インカローズはその違和感を、壊れた表情のせいだと思うことにした。


「そうね」


彼女は静かに頷いた。


「もう、あの子たちを苦しませないであげて」


Hzの指先が止まる。


「苦しみ……終わル」


その答えに、インカローズは安堵した。

けれど、リートは何も言わなかった。

地下室にはしばらく、ガラが氷を噛み砕く音だけが響いていた。


メリーが楽しそうに唇を吊り上げる。


「やっぱり、アナタが一番壊れてるわね」


「壊れて、なイ」


Hzは濡れた床へ指を立てた。


「治せなかッたから……壊れタ。次ハ、間違えなイ」


インカローズは会話を打ち切った。

これ以上聞いても、同じ言葉が形を変えて返ってくるだけだ。


「アイスジャベリンへ戻るのは、しばらく待ちなさい」


Hzが顔を上げる。


「石……」


「蟻ノ巣に居場所を知られた可能性があるのよ。すぐに戻れば、こちらから在処を教えるようなものだわ」


「必要」


「必要かどうかを決めるのは私よ」


「奥ニ、ある」


「分かっているわ。だからこそ、今は待ちなさい」


Hzの喉から、不満げな音が漏れた。

ガラが隣で氷を差し出す。


「食べる?」


Hzは見向きもしなかった。

ガラは自分で齧った。


「アイスジャベリンの調査は一旦中止。次に向かう時期はこちらで決めるわ」


インカローズがツイテールを手で靡かせ、そう告げると、Hzは完全には納得していない様子ながらも、それ以上は動かなかった。

命令を理解したというより、今この場で石へ向かう道がないと判断しただけなのだろう。


長く止めておくことはできない。

その前に、次の手を進める必要がある。

インカローズは、今度こそメリーへ視線を移した。


「それで。あなたの方はどうなったの?」


「もちろん、完成したわよ」


メリーは待っていましたとばかりに立ち上がった。

部屋の隅には、細長い布包みがいくつも並べられている。

彼女は一番大きな包みを持ち上げると、長机の上へ置いた布が解かれる。


中から現れたのは、一挺のマスケット銃だった。


黒い銃身には、蔦にも血管にも見える細かな溝が刻まれている。銃口から銃床まで途切れずに続くそれは、装飾にしては複雑すぎた。

メリーは腰へ下げていた小瓶を取り出す。

瓶の内部では、僅かなダストが揺れていた。


「ドワーフたち、本当によく働いてくれたわ」


「脅して作らせたのでしょう?」


インカローズが言うと、メリーは心外そうに目を丸くした。


「お願いしたのよ」


「断ればペットの餌にすると言って?」


リートが口を挟む。


「選択肢はあげたでしょう?」


「それを脅迫って言うんだよ」


メリーは笑顔のまま、リートへ銃口を向けた。


「何か言った?」


「まだ弾も入ってないだろ」


「試してみる?」


小瓶の蓋を開ける。漏れ出したダストがマスケット銃に吸収されるかのように集まり、弾が装填されたかのようだった。

それを見てリートは黙った。

満足したメリーは銃口を下げた。


刻まれた溝の奥に、深い青色の光が走る。

暗い水底で燃える炎のような光だった。

銃身から銃床へ巡った青が、メリーの指先へ呼応するように脈打つ。


周囲に漂っていた空気まで、僅かに重くなった。


「ダストを通すことで、武器の力を引き上げる特殊加工よ、ダストがあれば弾も装填できる。私たちは魔法を使えば使うほど強くなれるってワケよ」


メリーはマスケット銃を肩へ乗せた。


「でも、ただダストを詰めればいいわけじゃないわ。その人間の力に合わせて、内部の流れを一つずつ調整してあるの」


「つまり、他の奴が持っても使えない?」


リートが尋ねる。


「普通の銃として扱うことならできるでしょうね。でも、特殊な効果までは引き出せないわ」


「オレのは?」


「感謝の言葉が先ではなくて?」


「作ったのはドワーフだろ」


「材料を用意して、設計を渡して、働かせたのはアタシよ」


「脅しただけ」


再び青い銃口がリートへ向いた。


「……ありがとう」


「よろしい」


メリーは二つ目の包みを開いた。


現れたのは、マスケット銃より短く、取り回しを重視したベイカー銃だった。


リートはすぐにそれを手に取る。

指が銃床へ触れた瞬間、銃身に刻まれた溝へ鮮やかな緑色の光が灯った。

まだダストを流し込んではいない。


それでも、武器が持ち主を見分けるように、淡い輝きが一度だけ走った。


「へえ」


リートは銃を持ち上げ、照準を覗き込む。


「悪くないじゃん」


「室内で撃たないでよ」


「撃たないよ」


「壁にも?」


リートは答えなかった。


「天井にも?」


沈黙。


「床ならいいと思ってるでしょう?」


「一発くらいなら」


「駄目に決まっているでしょう」


メリーがベイカー銃を取り上げようとしたが、リートは素早く身を引いた。


「オレ様のだろ」


「直ぐに壊されたら困るわ」


「壊れないか試すだけだ」


「自分を撃って試しなさい」


「それじゃ銃の耐久性は分かんねぇじゃん!」


「そういう問題ではないわ」


二人の言い争いを無視し、インカローズは残る包みへ目を向けた。


メリーが渋々リートから離れ、三つ目を開く。

中に収められていたのは、細身のレイピアだった。


装飾の少ない銀色の刃。

一見すれば、ほかの武器よりも簡素に見える。

だが、刃の中央には極細の溝が通っていた。


「Hz。あなたのよ」


呼びかけても、Hzは動かなかった。

ガラが肩を揺らす。


「Hz。もらいなよ」


Hzの顔がゆっくりと上がる。

床から立ち上がり、差し出されたレイピアへ近づいた。

白い指が柄へ触れる。

その瞬間。

刃の中央を、濁りのない白色の光が駆け抜けた。

雪の白とも、陽光の白とも違う。

冷たく。平坦。

何もかもを同じ色へ塗り潰すような、異様に均一な光だった。

Hzはレイピアを顔の前へ持ち上げた。

鏡のような刃へ、彼女の右目が映り込む。

それを見た途端、Hzの表情が歪んだ。


「白……」


光る刃を、指先がなぞる。


「まだ、白い」


「武器の色が気に入らないの?」


メリーが尋ねる。

Hzは答えない。

白い光の中に何かを探すように、目を細めている。


「増やせば……消える」


指先が刃へ強く押しつけられた。

皮膚が切れ、赤い血が滲む。

だが傷はすぐに盛り上がり、増えた肉が裂け目を埋めた。


「全部、同じに……」


インカローズは僅かに眉を寄せた。

Hzの思想と、あの白い光は正反対に見える。


「残りは私のものね」


インカローズが促す。

最後の包みから現れたのは、短剣とロングソードだった。


二振りの柄には共通した意匠が施されている。

並べて使うことを前提に、重さも長さも細かく調整されていた。


インカローズは椅子を立つと、右手にロングソード、左手に短剣を取った。

柄が掌へ収まる。


その瞬間、二つの刃の根元から、鮮やかなピンク色の光が咲いた。

青や緑、白とは違う。

磨き上げられた宝石の奥で、炎が揺れているような華やかな色だった。


ロングソードを軽く振る。

ピンク色の残光が、暗い地下室へ大きな弧を描いた。

短剣を返せば、細い光がその内側を追う。

重さも悪くない。

長さも、握りも。

自分のために作られたものだと、一度振っただけで分かった。


「合格ね」


「注文が多くて、本当に面倒だったのよ」


メリーが腰へ手を当てる。


「持ち手が少し太い、重心が気に入らない、刃の曲線が美しくない。何度作り直させたと思ってるの?」


「私が持つ武器なのだから、完璧で当然でしょう?」


「少しくらい感謝してもいいんじゃない?」


「完成させたドワーフには、私から褒め言葉を与えてもいいわ」


「アタシには?」


「運搬、ご苦労様」


「腹立つわねぇ!」


インカローズはメリーの不満を無視し、二振りを灯りへ掲げた。

ピンク色の光が、刀身を伝って静かに脈打っている。

リートが横から眺め、首を傾げた。


「紅い宝石なのに、ピンクなんだ」


「何か問題でも?」


「赤く光ると思ってた」


「インカローズに最も相応しい色が、この色なのよ」


インカローズは胸を張った。


「それに、“紅い宝石”とは、この私のこと。武器の色一つで価値が変わるものではないわ」


「赤い石なら、Hzも探してるけど」


リートの視線が、床へ置かれたアイスジャベリンの氷へ向かう。

Hzは白く光るレイピアを抱えたまま、赤い光について呟き続けていた。


「紅い宝石と、赤い賢者の石」


リートが続ける。


「外から聞いたら、関係あると思われそう」


一瞬、室内が静かになった。

メリーが先に吹き出す。


「確かに。アタシたちが賢者の石を探す集まりみたいね」


「一緒にしないでちょうだい!」


インカローズの声が地下室へ響いた。


「あの石はHzが勝手に欲しがっているだけよ! 私の名とは何の関係もないわ!」


「ガラも探してたよ」


リートが指摘する。


「氷を食べていただけでしょう!」


「赤い光も見つけた」


ガラが氷を齧りながら補足した。


「貴女まで話をややこしくしないで!」


メリーは肩を震わせている。


「でも、誤解されるなら都合がいいんじゃない?誰かが“紅い宝石”という言葉を聞いても、賢者の石へ目を向けてくれるかもしれないわ」


インカローズは言い返しかけ、口を閉じた。

確かに、悪くない。

こちらが何もしていなくても、言葉が似ているだけで勝手に関連を考えてくれる。

その間、本当に見られたくないものから目が逸れるなら、訂正してやる必要はない。


「……好きに勘違いさせればいいわ」


インカローズはロングソードを机へ置いた。


「ただし、紅い宝石が私を指すことだけは忘れないでちょうだい」


「はいはい、分かったわ。偉大な紅い宝石サマ」


メリーが楽しそうに頭を下げた。


「敬意が足りないわ!」


そのやり取りをよそに、ガラが立ち上がった。

壁へ立て掛けていた巨大なナイフとフォークを、左右の手で一本ずつ持ち上げる。

どちらも特殊な溝はない。

ダストを取り込む機構もない。

青にも緑にも、白にもピンクにも光らなかった。

ただの巨大な食器だ。

ただし、それを持つガラ自身が、ただの少女ではない。


「ガラは、それでいいの?」


リートがベイカー銃を抱えながら尋ねる。


「いいよ」


ガラは巨大なフォークを軽く振った。

風が鳴り、床に溜まっていた水が大きく波打つ。


「刺せる」


続いてナイフを振る。

今度は、近くに置かれていた木箱の角が音もなく削ぎ落とされた。


「切れる」


「見れば分かる」


「食べる時にも使える」


「何を食べるつもりなのよ」


メリーが引きつった笑みを浮かべる。

ガラは少し考えた。


「いろいろ」


それ以上、聞く者はいなかった。

インカローズは自分の武器を机へ置き、改めて全員を見回した。

メリーはトルルカーンで蟻ノ巣と接触した。

リートもラムカラムで、獣耳の少年と戦っている。

Hzとガラもアイスジャベリンで見つかった。

別々に動かしていた全員が、蟻ノ巣へ行き当たっている。


偶然ではない。

向こうも各都市で起きる異変へ気づき始めている。


「そちらの報告も聞いておきましょう」


インカローズはメリーへ顎を向けた。


「武器以外に、トルルカーンで問題は?」


「赤ずきんちゃんたちに見つかったくらいかしら」


「それを問題というのよ」


「でも、武器は全部ここにあるわ」



メリーは、青く光るマスケット銃へ頬を寄せた。


「アタシを追ってきたのは、赤ずきんちゃんと月みたいな女。それから、白いお人形ちゃん」


赤ずきん。

その特徴には、心当たりがあった。


赤いフードを被ったパンタシア使い――朔。


一度目の戦争の混乱の中で、赤ずきんのような少女に助けられたという証言が、街の住民や一部の兵士から僅かに上がっていた。

公に名を残した英雄ではない。

国軍に所属していたわけでもなければ、戦場の表に立って指揮を執っていたわけでもない。

国にも、敵国にも属さない第三の勢力。

蟻ノ巣を率いながら、戦場の陰で人知れず動いていた者だ。


崩れた街から住民を逃がした。


魔物に襲われた兵士を助けた。


行き場を失った者を、自分たちの拠点へ匿った。


残された証言はどれも断片的だったが、その赤いフードの少女が朔であることは、ほぼ間違いない。


そして朔は、ダストを生み出さずに力を振るうパンタシア使いだ。

魔法を使うたびにダストを撒き散らし、さらなる魔物を生み出す危険もない。


人目を避けながら国の施設へ入り込むことも。

捕らえられた子供たちを連れ出すことも。

ほかの者より、ずっと容易だったはずだ。


それほどの力を持ちながら、朔が救ったのは街の住民や兵士たちだった。

国の命令に従い、称号を押しつけられた子供を戦わせた大人。

研究施設の存在を知らなかったのか、知ろうともしなかったのか。

子供たちが姿を消しても、何事もなかったように暮らしていた者たち。


そんな大人まで、朔は助けた。


それなのに。

国の地下で身体を弄られ、病に侵され、使い物にならなくなるまで実験を繰り返された子供たちのもとへは来なかった。

自分たちを助けるために、赤いフードが現れることはなかった。

知らなかったはずがない。

パンタシア使いであり、蟻ノ巣を率いる者なら、この国の裏側まで見えていたはずだ。

インカローズは、そう信じていた。

助ける力がなかったのではない。


朔は、助ける相手を選んだのだ。

子供を利用した国を。

自分たちを研究材料へ変えた大人たちを。


そして、その大人たちが支配する街を救った。

そのおかげで、この国は滅びずに残った。


子供たちの犠牲を土台にしたまま、何事もなかったように建物を直し、軍を立て直し、以前と同じ仕組みを続けている。

インカローズには、それが許せなかった。

国と無関係な第三勢力だったからこそ、見捨てることもできたはずだ。

それでも朔たちは、あの国を救う側へ回った。


――どうして、私たちではなかったの。


胸の奥へ沈んだ問いは、今も答えを得られないまま残っている。


月のような女は、夜。

白い人形のような少年は、白。


どちらも、こちらが集めていた蟻ノ巣の情報と特徴が一致していた。

よりにもよって、蟻ノ巣の中でも特に警戒すべき三人に見つかったらしい。


「ずいぶんと厄介な相手に追われたものね」


インカローズが告げても、メリーは悪びれる様子を見せなかった。


「人気者はつらいわぁ」


「追われているのは、人気があるからではないわよ!」


「武器の加工については知られていないのね?」


「そこまでは見せていないわ。完成する前に追い払ったもの」


「なら、まだいいわ」


今度はリートへ視線を向ける。


「ラムカラムでは?」


「言われたとおり、騒ぎを起こした」


「具体的に」


「倉庫を壊した。荷物もばら撒いた。軍服姿は何人かに見られた」


「死人は?」


「たぶん、いない」


「たぶん?」


「邪魔されたから途中でやめた」


リートの声に、不機嫌さが混じる。


「獣耳の男。料理みたいな臭いがする奴」


メリーが眉を上げる。


「戦っている最中に、そんなところまで嗅いでいたの?」


「近かったから分かっただけ」


「それで、負けたの?」


「負けてない」


「では、勝った?」


リートは答えなかった。

メリーの笑みが深くなる。


「逃げたのねぇ」


「任務を続けても意味がなかったから、移動しただけ」


「それを逃げたと言うのよ」


「次に会ったら泣かす」


「任務より、その子との喧嘩の方が大事になってない?」


「うるさい」


インカローズは二人を睨んだ。


「全員、余計な戦闘が多すぎるわ」


「向こうから来るんだもの」


メリーは悪びれずに肩を竦める。


「見つからないことまで含めて、あなたたちの仕事でしょう!」


「だったら、次は見つかることを利用すればいいじゃない」


メリーの言葉に、インカローズは目を細めた。

「どういう意味?」


「蟻ノ巣は、もうアタシたちを追っている。なら、姿を見られること自体を作戦へ組み込めばいいのよ」


確かに、隠れ続けるだけが方法ではない。

誰かに見られたくない時ほど、人は見つけたものを信じる。


軍服。

武器。

行動した場所。


必要な情報だけを見せれば、相手は自分で答えを作る。

インカローズは長机へ広げられた地図を見下ろした五つの都市。

その中でも、今なお一度目の戦争の傷を残している場所。

指先が、ルドルメラフで止まる。


「次は、ここよ」


リートが地図を覗き込む。


「ルドルメラフ?」


「ずいぶん傷んだ街を選ぶのね」


メリーの言葉に、インカローズは笑った。


「傷んでいるから選ぶのよ」


ルドルメラフのバリアは、今も完全には修復されていない。

外から魔物が入り込めば、住民は恐怖する。

恐怖からダストが生まれ、集まったダストが新たな魔物になる。

魔物が人を襲えば、さらに恐怖が増える。

何もしなくても崩れ続ける街だ。

ほんの僅か、背中を押してやればいい。


「ルドルメラフの住民は、またバリアが失われることを恐れている。他都市からの力が途絶えれば、自分たちは見捨てられると思っているでしょうね」


「そこに、別の都市の軍服を着た人間が現れる」

メリーが、自分の襟へ指を掛けた。


ヘイズロストの軍服。

リートが着ているのは、ラムカラムのもの。

異なる都市の兵士が同じ場所で不審な行動をすれば、疑いは一つに定まらない。

どちらが敵なのか。

二つの都市が手を組んでいるのか。

誰かが軍服を盗んだだけなのか。

答えが出ないほど、恐怖は大きくなる。


「バリアの修復に使う物資を狙いましょう」


インカローズは、ルドルメラフの外縁部を指でなぞった。


「すべて壊す必要はないわ。一部を奪い、残りを使えないようにする。それを住民や兵士に見せるのよ」


「殺していい?」


リートが尋ねる。


「必要以上には駄目」


「どうして」


「死者は噂を広めないもの」


インカローズは赤い駒を取り、ルドルメラフへ置いた。


「必要なのは、生き残って恐怖を語る者よ。どの軍服を見たのか。どんな光を見たのか。誰が街を壊そうとしていたのか」


「新しい武器は目立つわよ?」


メリーが青く光るマスケット銃を軽く持ち上げる。


「青と緑の光まで見られたら、軍の武器ではないと気づく人間もいるかもしれない」


「だから、使いどころを選びなさい」


インカローズはメリーとリートを順に見た。


「武器を自慢しに行かせるのではないわ。目的は疑いを残すこと。蟻ノ巣が現れても、長く戦わない。必要な痕跡だけを残して離れなさい」


「逃げろってこと?」


リートが不満げに言う。


「引き際を選べと言っているの。任務と喧嘩の区別くらいつけなさい」


リートは答えず、緑色の光が消えたベイカー銃を抱え直した。


「メリーとリートがルドルメラフへ向かう。Hzとガラは待機よ」


「石……」


Hzが反応する。


「アイスジャベリンへは戻らないと言ったでしょう」


「必要」


「今はルドルメラフが先よ」


Hzの白いレイピアが、僅かに明滅した。

ガラが巨大なフォークを肩へ担ぐ。


「ガラも行かない?」


「あなたが行けば、修復用の資材まで食べるでしょう!」


「食べないよぉ!」


「本当に?」


ガラは少し考えた。


「たぶん…?」


「待機しなさい!」


「はーい、分かったー」


素直なのかそうでないのか、判断しづらい返事だった。


インカローズは地図の上の赤い駒へ指先を置く。

最初から、大きな戦いを起こす必要はない。

小さな疑いを残す。

誰かがそれを口にする。

聞いた者が、さらに恐ろしい形へ変えて広める。

やがて人々は、隣の都市が自分たちを傷つけようとしていると信じ始める。


相手が武器を持つ前に、自分たちが武器を取らなければならないと考える。

戦争は、誰かが始まりを宣言して起きるものではない。

誰にも消されなかった火種が、いつの間にか街を覆っているのだ。


インカローズは短剣を手に取った。

刃へピンク色の光が走り、地図の上へ細長い輝きを落とす。

その光が、ルドルメラフを示す文字を横切った。


「私に掛かれば、この戦――大成功するに決まっているのよ!」


高らかな宣言が、地下室へ響き渡る。

直後。

ばきり、とガラが氷を噛み砕いた。


リートは新しい銃を眺めたまま反応せず、メリーは肩を震わせて笑っている。


Hzだけは白いレイピアへ顔を寄せ、

「石……全部、同じに」

と、誰にも届かない言葉を繰り返していた。


「ちょっと! そこはもっと反応しなさいよ!」


インカローズの怒声をよそに、地図の上では赤い駒だけが、ルドルメラフを静かに覆っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ