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赤ずきんはエメラルドの夢を見る  作者: デウス・エクス・マキナ
第一章 紅い宝石編
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18/18

第18話 公爵夫人

ルドルメラフからの救難信号を確認した蟻ノ巣のメンバーたちはルドルフメラフに向かった。

そこに待ち受けていたのは、称号能力を持ったメリー・グラスだった。

ルドルメラフの空は、朝から薄く濁っていた。

雲ではない。

街のあちこちから立ち昇り、風に流されていく細かな粒子――ダストだ。


昨日、軍の管理施設が襲撃された。

犯人はソラド王国から来たと名乗り、現場にはソラド軍のものと思われる認識票まで残されていた。

軍はまだ何も断定していない。


それでも噂だけは、夜が明けるより早く街中へ広がった。


ソラドが再び攻めてくる。

今度はバリアを完全に壊すつもりだ。

また戦争が始まる。


そんな言葉が一人から一人へ渡るたび、人々から淡い粒子が零れていく。


ルドルメラフは、まだ一度目の戦争から立ち直りきっていない。

だからこそ、恐怖が広がるのは早かった。

路地を漂っていたダストが、ゆっくりと流れを変える。


風とは違う方向へ。


一つ。また一つ。


街中で生まれた粒子が、何かに呼び寄せられるように集まっていく。

やがて、その色が変わった。

深い、青へ。


________



最初の悲鳴が上がったのは、外縁区だった。


「魔物だ!」

兵士の声が響く。


瓦礫を乗り越え、一体の魔物が通りへ飛び出した。

四足の獣に似た、小型の個体。

この街では珍しくもない。

不完全なバリアの隙間から入り込むことがあり、数体程度なら現地の兵士だけでも十分に対処できる。


「囲め!」


三人が武器を構えた。

剣が振り下ろされる。

魔物の肩へ深く食い込んだ。

だが。


「……倒れない?」


魔物はそのまま兵士へ飛びかかった。


「下がれ!」


横から突き出された槍が、身体を弾き飛ばす。

石壁へ叩きつけられても、すぐに起き上がった。

目の奥に、青い光が揺れている。


「なんだ、こいつ……!」


一体ではなかった。

瓦礫の向こうから、次々と影が現れる。


三体。

五体。

十体。


どれも瞳の奥に同じ青を宿していた。


そして、ばらばらに襲いかかってはこない。

一体が兵士を引きつける。

その隙に二体が横へ回り、逃げる住民の進路を塞ぐ。


「こいつら……!」


兵士の顔が強張った。


「動きを合わせてるぞ!」


魔物の群れが、一斉に走り出した。


_____


それから一時間も経たないうちに、同様の報告がルドルメラフ各地から上がった。

北部、東部、中央区。

魔物の数は増え続けている。


しかも、どれも通常の個体より明らかに強い。

街に恐怖が広がれば広がるほど、ダストが生まれる。


ダストが増えれば、新たな魔物が生まれる。

そして生まれた魔物を見て、人々はさらに恐れる。


どこかで断ち切らなければ終わらない。

やがて中央軍は判断した。

ルドルメラフだけでは対処できない。

街の上空へ、一筋の光が打ち上がった。

三度。

短く、強く明滅する。

外部への救護要請。


その信号を、遠く離れた地下で一人の機械が捉えた。


______


「緊急救護信号を受信しました」


蟻ノ巣。


No.Aの声に、朔が椅子から立ち上がった。


「どこ?」


「ルドルメラフです。市街地複数箇所において魔物が同時発生。現地軍のみでの対処が困難となっています」


夜もすぐに顔を上げる。


「数は?」


「現在も増加しています。また、出現している個体の多くが通常より高い身体能力を示しているとの報告があります」


朔の眉間に皺が寄った。


「昨日の今日で?」


「偶然とは考えにくいわね」


夜が立ち上がる。

朔はすでに出口へ向かおうとしていた。


「私が行く」


「アンタは残りなさい」


「また!?」


「昨日、パンタシア使いだと街中に知られたばかりでしょう」


「でも今回は聞き込みじゃなくて救援だよ」


「分かっているわ」


夜は地図を広げた。


「だからこそ、今のアンタを送り込めば住民の目が全部アンタへ向く。現地軍との連携まで崩れかねないわ」


朔は納得していない顔をしたが、反論はしなかった。

昨日、自分へ向けられた視線を覚えている。

パンタシア使い。

その言葉一つで、まるで人間ではない何かを見るように態度を変えた者もいた。

夜が部屋を見渡す。


「薬。祈々」


「あ?」


「はい!」


「白、レキも向かって」


白がすぐに立ち上がった。

隣でレキも無言のまま腰を上げる。


「魔物の掃討と住民の避難を優先。紅い宝石の人間を発見しても、深追いはしないこと」


「分かった」


白が答え、それから隣を見上げた。


「行こ、ルキ」


「ん……」


No.Aが扉へ手をかざす。


「薬様、祈々様、白様、レキ様。外部座標への接続を開始します」


扉の向こうの景色が歪んだ。

地下廊下の代わりに現れたのは、灰色の空。

遠くでは警鐘が鳴り続けている。

四人は、その街へ飛び込んだ。


_________


「右です!」


祈々の声と同時に、薬が身を翻した。

魔物の牙が空を切る。


「分かってる!」


薬が蹴りを叩き込み、獣を横へ吹き飛ばす。

その間に祈々が前へ出た。

黒く変色した左腕を振り抜く。

拳を受けた魔物が地面を転がった。


「こっちは私が引き受けます!」


「一人で突っ込むなよ!」


「薬さんに言われたくないです!」


「なんだと!」


言い合っている暇はない。

正面からさらに三体。

その向こうでは、住民を誘導する兵士たちが必死に声を張り上げている。

その時だった。

緑色の光が、一瞬だけ建物の隙間を横切った。

薬の表情が変わる。


「……あ?」


見覚えのある背格好。

そして、こちらを見て舌打ちした少年。


「またお前かよ」


リートだった。

手には、以前には持っていなかった長銃。


「テメェ……!」


薬が駆け出す。


「薬さん!?」


「祈々!ここ頼む!」


「ちょっと!」


止める前に、薬は路地へ消えた。

祈々は一瞬だけその背中を睨んだ。


「もう……!」


けれど追うわけにはいかない。

魔物がまだいる。


「皆さん、こちらへ!大通りまで出れば兵士さんがいます!」


住民を背に庇いながら、祈々は左腕を構えた。

魔物が飛びかかる。

一体。

二体。

黒い腕で受け止め、そのまま地面へ叩きつけた。

三体目の爪をかわし、腹部へ拳を打ち込む。


「今のうちに!」


祈々が振り返った。

誰も動いていなかった。


「……?」


母親が、幼い子供を胸へ抱き寄せている。

老人も、怪我をした青年も。

皆揃って祈々を見ている。

正確には、左腕を。


「その手……」


青年の声が震える。

祈々の笑顔が固まった。


「え?」


「魔物、なのか……?」


胸の奥が冷える。


「ち、違います!」


すぐに答えた。


「大丈夫ですよ! これは私の腕です!」


笑う。

いつものように。

心配させないように。


「ちょっと見た目が怖いだけで、ちゃんと自分で動かせますから!」


背後で唸り声。

祈々は振り返り、迫っていた魔物を左腕で掴んだ。

そのまま石畳へ叩きつける。

地面が砕けた。


「ほら! 大丈夫です!」


もう一度振り返る。

けれど。

母親は、子供の顔を隠していた。

祈々から見えないように。

違う、違うのに。

自分は助けに来た。

そう伝えなければ。


「私、皆さんを___」


声が出ない。

昔の景色が重なった。


村。

知っている顔。

昨日まで笑っていた人たち。

近所の大人。

遊んでくれた子供。


そして、自分へ向けられた同じ目。


怖い。

近寄るな。

出ていけ。


__お前は、人間じゃない。



「……違う」


左腕を見る。

黒い。

あの頃から変わらない。


「違う……私……」


魔物が迫っている。

分かっているのに身体が動かない。


「祈々!」


身体を横から引かれた。

次の瞬間、さっきまで祈々がいた場所へ短刀が振り下ろされる。

夜だった。


「夜……さん?」


「怪我は?」


「ない、です……」


声が震えた。

夜は祈々の顔を一度見る。


それから、背後の住民たちへ視線を向けた。

何があったのか。

それ以上は聞かなかった。


「ここは私が引き受けるわ」


「でも――」


「戦える人数が足りないから来たの。ちょうどいいでしょう」


夜は魔物へ向き直る。


「一度下がりなさい」


「私、まだ……」


「祈々」


穏やかではない。

けれど責める声でもなかった。


「命令よ」



祈々は唇を噛んだ。


「……はい」


走り出す。

撤退。

そう言われた。

逃げたわけではない。

そう何度言い聞かせても、胸の奥の痛みは消えなかった。


_____


「しつけぇんだよ、お前!」


リートのベイカー銃が火を噴く。

鮮やかな緑色の光。

薬は横へ跳んだ。

背後の壁が砕ける。


「前ン時ァ、そんなモン持ってなかっただろ!」


「貰ったんだよ!」


「誰にだ!」


「教えるわけねぇだろ!」


また銃声。

以前とは明らかに違う、威力も速度も。

何より、リート自身の力と妙に噛み合っている。

銃身を走る緑色の光が強まるたび、攻撃の鋭さまで増していく。

薬は舌打ちした。


「クソガキが……!」


「オレと歳そんな変わんねぇだろ!」


「うるせぇ!」


二人の声が路地へ響いた。


______



その頃。

別の区画では、石畳そのものが大きく隆起していた。

巨大な角を持つ獣が、その壁へ激突する。

轟音。

石の壁に亀裂が走った。


「ルキ!」


「ん……」


レキが片手を上げる。

地面からさらに岩が突き出し、獣の脚を絡め取った。

白が、その岩を足場にして跳ぶ。

小さな身体が一気に高度を上げた。


「そこ!」


蹴りが獣の側頭部へ入る。

巨体が傾く。

その向こうで。

メリーは楽しそうにマスケット銃を構えていた。


「やるじゃない、お人形ちゃん」


深い青色のダストが銃身へ吸い込まれる。

銃が青く輝く。

白が着地するより先に、銃声。


「白」


レキが短く呼ぶ。


石壁が白の前へ突き出た。

弾丸が激突し、岩が砕け散る。

白は破片の間からメリーを見た。

彼女の前にいる巨獣。

普通の魔物とは違う姿や動き。


そして何より。


「それ、称号の能力?」


メリーの目が僅かに細くなった。


「あら。分かるのね」


「普通の魔物じゃないから」


「正解」


メリーはマスケット銃の銃床を石畳へ軽く当てる。

青いダストが円を描いた。

その中へ、複雑な紋様が浮かび上がる。


称号。


それは、望めば得られるようなものではない。

生い立ちや境遇。


そして、その者が辿る運命。

それらによって選ばれた者へ、古より語り継がれてきた伝承の人物、その名が与えられる。

そして称号を持つ者には、その人物の伝承に結びついた固有の力が宿る。


メリーもまた、その一人。


彼女へ与えられた称号は――


御伽顕現メルヒェン――公爵夫人ラ・デュシェス


青い光が弾けた。


「公爵夫人が、一人で戦うと思う?」



空気を裂く音。

白が上を見る。

屋根の向こうから、翼を持つ異形が飛び出した。

先ほどの巨獣より小さい。

だが、速い。


「U-2(アンチスウェル-ツヴァイ)、」


メリーが指先を白へ向ける。


「行ってらっしゃい」


異形が急降下した。


「ルキ!」


「右……」


白が跳ぶ。

紙一重で爪をかわす。

直後、足元が持ち上がった。

レキの岩。

白は迷うことなく踏み込み、その勢いでU-2の背へ飛び乗った。


「一人じゃ何もできないのね」


メリーが笑う。

白はきょとんとした。


「そうだよ」


「……は?」


「僕は、ルキがいるから戦えるんだよ」


当然のことのように答える。

メリーが一瞬黙った。

その隙にレキが腕を振る。

地面から岩槍が伸び、U-2の進路を塞いだ。

白が飛び降りる。


「ルキも、僕がいるから戦えるよね?」


レキは少しだけ白を見る。


「……ん」


それだけで十分だった。


「何なのよ、アンタたち」


メリーの口元が引きつる。

巨大な山羊――U-1が拘束を破った。

U-2は再び上空へ舞い上がる。

その二体へ、周囲の深青色のダストが流れ込んでいった。

身体を覆う光が濃くなる。

白の目が細くなる。


「強くなった」


「アタシのダストを使えばね」


メリーがマスケット銃を回す。


「この子たちはもっと働いてくれるの」


称号による兵。

そして。

ダストを操るメリー自身の力。

さらに、そのダストを効率よく扱うために作られたマスケット銃。

三つが噛み合っている。

白が一歩踏み込んだ。


「じゃあ」


足元の石畳が隆起する。


「ダストを使わせなきゃいいんだ」


「できるかしら?」


「やるよ」


白が笑った。

その直後。

遠くから走ってくる足音がした。


「白さん……!」


祈々だった。

白が振り返る。


「祈々」


祈々は息を切らしながら立ち止まる。

いつもの彼女なら、そのまま駆け寄ってきただろう。

けれど今は。

左腕を、身体の後ろへ隠していた。

白はそれに気づかない。


「そっちは終わった?」


「……」


祈々の喉が詰まる。

終わった。

そう答えればいい。


夜が来た。

任せてきた。


それだけなのに。


言葉が出てこない。


自分は逃げてきた。

そんな考えばかりが頭の中を回る。


「私……」


「あら?」


メリーの声。

祈々の身体が強張った。

その視線は、顔ではなく。

左腕へ向いていた。


「それ」


メリーが目を細める。


「面白い腕ね」


祈々が反射的に隠す。


「見ないでください」


「魔物でしょう?」


胸が痛んだ。


「違っ――」


否定しきれない。

その一瞬。

メリーが笑った。

周囲に漂っていた青いダストが、細い帯となって伸びる。

白が気づく。


「祈々、離れて!」


遅かった。

青が、黒い左腕へ触れた。


ぞくり。


祈々の肩から指先まで、冷たい感覚が走る。


「……え?」


左手が勝手に開く。


「なに……?」


力を入れる。

動かない。

右手で左腕を押さえる。

それでも腕は持ち上がった。


「やめて……!」


メリーが指を僅かに動かす。

それに呼応するように。

黒い腕が、祈々の意思を無視して動いた。


「やめてください!」


足まで前へ引かれる。

一歩。

もう一歩。

白がこちらを見る。


「祈々?」


何の疑いもない。

ただ心配する顔。

その背中が、自分のすぐ目の前にある。


「白さん、逃げて!」


叫んだ。

黒い腕が突き出された。

鈍い感触。

白の身体が止まった。


「――え」


祈々の目が見開かれる。

自分の腕が。

白の背中へ深く突き刺さっていた。


白の唇から、かすかな息が漏れる。


青いダストがほどけた。

腕の感覚が戻る。

祈々は反射的に引き抜いた。

白の身体が崩れ落ちる。

その身体を、レキが抱き止めた。


「白」


声は小さい。

白から返事はない。


「白さん……?」


祈々の手が震える。

黒い腕。

自分の腕。


「違う……」


呼吸が浅くなる。


「私じゃ……私、そんなつもりじゃ……」


「ふふ」


笑い声。

メリー。

祈々が顔を上げた。


「アンタ……!」


だが、メリーはすでに屋根へ飛び移っていた。

U-2が大きく翼を広げる。

青いダストが一斉に舞い上がり、視界を覆った。


「じゃあね」


「待って!」


祈々が走ろうとする。

足が動かない。

レキは最初から追おうともしなかった。

腕の中の白しか見ていない。


「白さん、ごめんなさい……!」


祈々が近づこうとして、止まる。

怖かった。

自分が。

またこの腕が動いたら。

もう一度傷つけたら。


「ごめん……なさい……」


レキが、ゆっくりと顔を上げた。

祈々と目が合う。

怒られる。

そう思った。

責められて当然だ。

白を刺した。

自分の手で。


けれど。

レキは何も聞かなかった。

何も責めなかった。

白の身体を抱き上げる。

その身体は、レキの腕の中へすっぽりと収まった。


「……大丈夫」


それだけだった。

白へ言ったのか。

祈々へ言ったのか。

分からない。

レキは通信結晶へ手を伸ばした。


「No.A……」


『はい、レキ様』


「白が……怪我した」


『帰還経路を開きます』


空間が歪む。

蟻ノ巣へ繋がる扉が現れる。

祈々は、ただ立ち尽くしていた。


「レキさん……」


レキは一度だけ足を止めた。

けれど振り返らない。

白を抱え直し、そのまま扉を潜る。

閉じる直前。

祈々には、レキが白の耳元で何かを呟いたように見えた。


扉が消える。

あとに残されたのは。

砕けた石畳。

散り始めた青いダスト。


そして。

白を貫いた感触が、まだ消えない左腕だけだった。


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