第10話 紅い宝石
炭鉱を離れたメリーは、霧深い森の奥にある廃城へ。
そこで待つ1人の少女。
第10話 紅い宝石
第二都市ヘイズロストの深い森には、昼になっても陽の差さない場所がある。
濃い霧に沈む木々。戦争で抉られた地面。苔と蔦に覆われ、どこへ続いているのかも分からなくなった古い石畳。
その先に、廃城はあった。
かつてはアルバカナンが所有していた、軍事研究施設。
実験のために造られ、戦争の中で捨てられた建物は、崩れた外壁だけを残し、今では城のような姿へ変わっている。
金色の髪を揺らしながら、メリーは傾いた門をくぐった。
肩に届かない髪は、空気を含んだようにふわりと広がっている。
毛先は頬や首元を包むように、柔らかく内側へ巻かれていた。
白を基調にした軍服には、襟元や袖口をなぞるように鮮やかな青いラインが走っている。頭には、青い縞とリボンで飾られた白い軍帽を少し斜めに載せていた。
清潔で、涼しげで、軍人らしく整った姿。
けれど、赤みを帯びた両目に浮かぶ楽しげな光だけが、その爽やかな装いとはひどく噛み合っていなかった。
白い袖には、炭鉱の灰が薄く付着している。
メリーが指先で払うと、深い青の粒が霧の中へ舞い、やがて光を失った。
「まったく。帰り道まで服を汚されるなんて、可愛くない炭鉱ね」
不満そうな言葉とは裏腹に、メリーの口元には笑みが残っている。
赤ずきん。かぐや姫。そして、黒い左腕を持った少女。
想像していたより、ずっと面白い子たちだった。
特に赤ずきん。
メリーを追うことよりも、崩れ落ちる岩から仲間を守ることを選んだ。ほんのわずかに迷うことさえなく、杖を落石へ向けていた。
あの判断の速さは厄介だ。
力が強いだけの人間より、守るべきものを迷わず選べる人間の方が、よほど壊しにくい。
けれど、だからこそ面白い。
「壊さずに勝ちたがる、変な子」
メリーは小さく呟き、楽しそうに目を細めた。
廃城の中へ入ると、霧の冷たさに代わって、湿った石と錆びた鉄の匂いが鼻をついた。
崩れかけた天井。割れた窓。用途の分からない器具が放置されたままの部屋。
壁には、かつてこの場所で働いていた者たちが残した文字や記号が、掠れながらも残っている。
広間の壁際には、壊れた机や棚が積み上げられていた。
その中に混じって、深緑の軍服を着た少年が座っている。
光の加減で橙色にも見える、焦げ茶色の髪。その上には、赤茶色の編み紐を巻いた緑のベレー帽が斜めに載っていた。
肩には赤紫色の布飾り。身体には白い帯が巻かれている。
リートは木箱を椅子代わりにし、膝の上でマスケット銃を分解していた。
布で銃身を磨きながら、廃城へ戻ってきたメリーを一度だけ見る。
「遅ぇ」
「ただいまくらい言ってくれてもいいんじゃない?」
「ここ、オレの家じゃねぇし」
「アタシの家でもないわよ」
メリーは崩れかけた長椅子へ腰を下ろした。
腰を下ろした瞬間、古い木材が軋む。
メリーは椅子を見下ろした。
「……これ、座っても大丈夫なやつ?」
「もう座ってんじゃん」
「壊れたらアンタのせいにするわ」
「なんでだよ」
リートは興味を失ったように、再び銃の手入れへ戻った。
「それにしても、冷たいわね。アタシが帰ってこなくて寂しかったんでしょう?」
「別に」
「本当に?」
「インカローズが、まだ戻らないのかってうるさかっただけだ」
「あら。あの子は心配性ね」
「報告が遅いって怒ってたんだよ」
「それは心配していたのと同じよ」
「違ぇよ」
メリーは楽しそうに笑い、脚を組んだ。
「こっちはちゃんと成果があったわ。可愛い蟻さんたちに会えたもの」
リートが銃身を磨く手を、ほんのわずかに止めた。
「蟻?」
「ええ。蟻ノ巣の子たち」
メリーは指を一本ずつ立てながら、出会った三人を思い返す。
「赤ずきんちゃんと、かぐや姫ちゃん。それから、黒い腕を持った元気な子」
「ふぅん」
興味がなさそうな返事だった。
けれど、リートの視線はすでに銃から離れている。
「赤ずきんはどうだった」
「強かったわよ。それに、思っていたより頭も回るみたい」
「倒せなかったのか?」
「倒すつもりで行ってないもの」
メリーは頬へ指を添えた。
「今日は顔を見に行っただけ。どう動くのか。何を守るのか。どこまで追ってくるのか」
頭の中で炭鉱での出来事をなぞり、唇を弧にする。
「そういうのは、先に知っておいた方が楽しいでしょう?」
リートは鼻を鳴らした。
「回りくどいんだよ」
「すぐ撃つしかできない子には、分からないかもしれないわね」
「殺すぞ」
「ほら、それ」
メリーは声を上げて笑う。
リートは小さく舌打ちすると、銃身を本体へ差し戻した。
「貴方は何してたの?」
メリーが尋ねると、リートの眉間に深い皺が寄った。
「……犬に会った」
「犬?」
「犬じゃねぇって騒ぐ犬」
「まあ、可愛い」
「可愛くねぇ。口悪ぃし、生意気だし、オレ様に喧嘩売ってきやがった」
「それ、本当に犬?」
「耳がついてた」
「それだけで犬扱いするのは、少し乱暴じゃない?」
「アイツも乱暴だったから、別にいいんだよ」
メリーはリートの顔を眺める。
普段なら、街で見かけた相手の話をここまで引きずることはない。それほど腹が立ったのか。それとも、別の意味で印象に残ったのか。
どちらにせよ、リート本人に指摘すれば怒るだろう。
「その子、どんな格好をしていたの?」
「青緑っぽい髪。獣耳。小せぇ冠みたいなのつけてた。あと、靴の跡が肉球だった」
「ふうん」
獣耳の少年。口が悪く、リートへ喧嘩を売れるほどの腕がある。
メリーはどこかで聞いた特徴を思い返す。
「その子も、蟻ノ巣の子かもしれないわね」
リートの手が完全に止まった。
「は?」
「蟻ノ巣には、獣人の少年がいると聞いたことがあるもの」
「……じゃあ、あの犬も蟻なのかよ」
「犬じゃないらしいわよ」
「知ってんじゃねぇか」
「今、貴方から聞いたもの」
リートの顔が、見る見る険しくなっていく。
メリーは堪えきれず、肩を揺らした。
「仲良くなったのね」
「どこをどう聞いたらそうなるんだよ!」
リートの声が、廃城の広間に響く。
直後。
さらに奥の部屋から、少女の声が飛んできた。
「二人とも!帰ってきたなら、いつまでもそこで騒いでいないで報告に来なさい!」
高く、よく通る声だった。
子どもの声であることは間違いない。けれど、その声音には、自分が命令することを当然と思っている者の力がある。
メリーは長椅子から立ち上がり、白い軍服についた灰をもう一度払った。
「ほら。やっぱり心配していたのよ」
「だから怒ってるだけだって言ってんだろ」
リートは分解していた銃を手早く組み直し、木箱から飛び降りる。
奥へ続く廊下は暗い。
古い照明はほとんど壊れており、壁際に置かれた小さなランプだけが、床へ頼りない光を落としていた。
その先には、いくつもの都市が描かれた地図と、廃城へ運び込まれた木箱。
そして、二人の帰りを待っている少女がいる。
メリーは弾むような足取りで、暗い廊下へ向かった。
ーーーーー
廊下の最奥にある部屋では、一人の少女が、大きな机を前に腕を組んでいた。
少女の小柄な身体から、二本の長い髪が伸びている。
牡丹色のツインテール。
腰どころか床へ届きそうなほど長く、毛束は一枚の布や旗のように大きく広がっていた。
少女が顔を動かすだけで、その長い髪も遅れてゆらりと揺れる。
身にまとっているのは、牡丹色を基調に、白と黒紫を重ねた軍装風の制服。
胸元には大きなリボン。腰から広がる短い裾には、濃淡の異なる牡丹色が何層にも重ねられている。
頭には黒紫の制帽を載せ、その下から桃色の瞳が入口を睨んでいた。
華やかで、鮮烈で、幼い。
けれど、その立ち姿には、自分より年上のメリーを相手にしても退かない気の強さがある。
少女の前にある机には、複数の都市が描かれた地図と、いくつもの報告書が広げられていた。
その横には、まだ封を切られていない細長い木箱が置かれている。
「遅い!」
少女が勢いよく机を叩いた。
並べられていた小さな駒が、一斉に跳ねる。
「報告一つに、いったい何時間かけるつもりなのよ!」
「ただいま、インカーローズ」
メリーは悪びれもせず、微笑んだ。
「土産話が多くて、どこから話そうか迷っていたのよ」
「迷う前に来なさい!」
インカーローズの長いツインテールが、怒りに合わせるように大きく揺れた。
その隣を通り抜け、リートは部屋の壁へ背中を預ける。
「オレはちゃんと先に戻ってた」
「戻ってから報告に来なかったら、同じでしょう!」
「メリーを待ってたんだよ」
「さっきまで銃いじってただけじゃない」
「見てたのかよ」
「声で分かるわよ!」
メリーは二人のやり取りを眺めながら、愉快そうに笑った。
「仲が良くて何よりね」
「「良くない!」」
インカーローズとリートの声が重なった。
一瞬の沈黙。
メリーの笑い声だけが、古びた部屋の中に響いた。
インカーローズは咳払いを一つすると、机の上へ視線を戻した。
「それで?」
桃色の瞳が、メリーを捉える。
「蟻ノ巣には辿り着けたの?」
メリーは笑みを少しだけ深くした。
「ええ」
白い指先を持ち上げる。
その上で、深い青のダストが小さく揺れた。
「向こうから会いに来てくれたわ」
インカローズの表情から、苛立ちが消える。
代わりに浮かんだのは、強い警戒だった。
「最初から全部話しなさい」
メリーは椅子を引き、インカローズの向かいへ腰を下ろした。
「もちろん」
深い青の粒が、三人の間でゆっくりと瞬く。
「それじゃあ、赤ずきんちゃんの話から始めましょうか」
閲覧ありがとうございました。




