第96話 腕無し
──礼司くんを止めてください。
居酒屋を飛び出してすぐそう花川さんに言われた。
花川さんはすぐに自分たちが妖怪であることを認めた。
けど、何度左目で見ても俺の目には妙な煙に包まれたような人間の姿しか見えず、妖怪だと断定は今までできなかった。
彼らは何なのか。
そんなことを詳しく聞く間もなく、俺は鬼村からの電話を取った。
『もしもしセンセ!? 今から送る住所にすぐ来れる?』
「急に何……」
『めーっちゃ急ぎ! 絶対やばそう!』
たったそれだけを言って鬼村からの通話は切れた。と、そのすぐ後で地図の情報が送られてくる。
<叉鷹神社>……?
ここに何の用が、ってもう一度ちゃんと話を聞こうと電話をかけ直そうとしたが、聴こえてきたのは『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため──』って何でだよ!
これはただの直感でしかないが、多分、鬼村が言うこの神社に河原先生がいるような気がする。とにかく急ぐべきだ。
「くそっ、こっからこの神社まで急ぐったって……タクシー捕まえるしか」
今から急いで駅に行き電車に乗ったところでこの神社までは駅からいくらか歩くに違いない。地図を見ながら歩いたって慣れない道だ、すぐにはなかなか着かないだろう。バスに乗った方が早いのかもしれないが、このあたりの路線は把握してない。タクシーを呼ぼうとした時だった。
──目の前に一台のタクシーが停まった。
「……え」
タクシーの後部座席のドアが開き、助手席部分の窓が開いたかと思うと運転席にいる帽子を目深に被った人物が俺の方へ声を掛けた。
「お客さん、乗ってくださいな」
……どう見ても怪しいが、もたもたしていられない。俺は後部座席に体を滑り込ませた。
「叉鷹神社まで! 住所は……」
「ええ、大丈夫ですよ。わかります」
そう言うと運転手は──アクセルをベタ踏みで発進させた。
「──ぐっ……!?」
「お急ぎでしょう、少し乱暴にはなりますが目的地までは必ずお届けしますのでご安心を」
シートベルトもまだだった俺はシートにしがみつきながら前を睨んだ。運転手は赤信号も気にせずに車を突っ切っていく。おいおい警察に捕まるぞ。
「人間の交通ルールに従うほどのんびりしていられませんよ。これは闇狐様のご命令ですから」
「闇狐? っ、あんたは……」
俺より少し年上くらいの女性が、運転の手を止めずこちらを振り返る。
その顔が、
狐の顔に変わった。
「こんばんは。──あなたに腕を落とされた狐です」
そう言って肘から先の無い左腕をひらひらとさせた。右手だけで器用にハンドルを操り運転をしている。
「腕を……って、あの時の」
──俺は校内で襲われた時のことを思い出した。いよいよ追い詰められたって時に刀で大ムカデの化け物の一部を切り落とした……が、それは本当は化け狐たちが化けた姿だった。あの時はまだ鞘がなくて、俺は切ることでしか攻撃ができなかったんだが──。……天狗会の時にも聞いたが、やっぱり腕は再生していなかったようだ。
「悪かった。恨んでるか……?」
「いやあ何も恨んじゃいないですよ。ああいえ、切られてすぐはあなたを憑り殺してやりたいと思ってましたけど。気が変わりました」
また前を向いた狐の表情はわからなかったが、その声音はどこか楽しげだった。
「それは……なんで」
「闇狐様が私のことを覚えてくださったからです。数えきれないほどいる配下の狐の中で、一本腕の無い私は覚えやすかったのでしょう。今じゃ『腕無し』とまで呼んでくださる程ですよ」
「おい、呼び方ってもんがあんだろ……」
「私たち化け狐に名前などというものはそう意味を持ちません。どう呼ばれるかなど、しかもどんな意味があるかなどは些細な問題です。化け狐は、化け狐です。そんなことよりも私を私として認識してくださっている方が、最も重要な問題です」
カッカッカ、と腕無しの狐は笑った。それから程なくして、スマホに表示していた地図アプリに目をやると目的の神社まで近づいてきたことがわかった。ここまで来ると細い住宅街の道の為、さすがに車も減速している。
「おい、もうすぐ……」
そこまで言った時、神社のある方向から道路へ大量の水が流れて出ているのがわかった。
「なっ……どっかで水道管でも破裂してんのか!?」
「もうお祭りは始まっているようですね」
そう言うと、車が再び加速し、狭い道を急スピードで駆け抜けていった。
「おい! 人を轢いたらどうすんだ!!」
「轢くもんですか。車はわたしの身体そのもの」
──キキーッッ!!
物凄い急ブレーキ音と共に体が前のめりになったかと思うと、俺はそのまま外へと吐き出されていた。
「!?」
今まで車に乗っていたはずなのに、と振り返る。
そこには狐の運転手が俺を見下ろし立っていた。
「……闇狐様のご命令はあなたを無事<祭りの会場>まで送り届けること。それでは、ご乗車ありがとうございました」
***
湿った道路に投げ出された俺はシャツやズボンに多少の泥を付けたまま、目の前の神社の階段を上った。祭りの会場ってのはなんだ、一体ここで何があるんだ。ひたすら長い階段を上り切るまでに息が上がって吐きそうになったが、どうにか辿り着いた先で俺は膝に手を付きながらも前方へ目を凝らした。
本殿からこちらへ向かって歩いてくる男が一人。
あれは笠を被った──
「河原先生」
俺が名前を呼ぶと、妙に嬉しそうにそいつは手を振ってきた。
「あれれ~桃間先生じゃないですか! どうしたんですこんなところで」
「今更とぼけて何になるんだよ、ふざけた格好しやがって」
「ふざけた格好?」
そう言って河原先生は頭に載せている笠に触れ、それから着ている着物をひらひらと揺らした。そして長い数珠を触ったかと思えば首元のチョーカーのようなものを撫で、自分の顔をぺたぺたと触っている。
「確かにこれはふざけた格好だ」
満面の笑みを浮かべた河原先生は、笠を取り払うと同時に俺の知らない妖怪の姿へと変貌していった。
「……っ!!」
あまりの変わりように息を呑んだが、俺はじっと黙ってそいつを見ながら煙草を取り出した。
「へぇー僕の顔見て驚かないんですねぇ、桃間先生。僕がなんだかわかります?」
「俺には河童に見えるな。他に頭に皿のっけてる妖怪がいんのかは知らねぇけど」
「そうそう河童! いや~桃間先生に当ててもらえて嬉しいな~」
いつもと違う見た目で、
いつもと同じへらへらとした態度。
なんで急にこんなことに。
いや……
「つーかお前……怪しいとこ多すぎんだよ!」
「ええ? そうでした?」
「よくよく思い出せば初めて俺が向こう側に引きずり込まれた時、すぐ傍にいたお前が一緒に引きずり込まれなかったってのも引っかかるし、それにたまに妙なタイミングで変な話吹っ掛けてくることもあるし……どう考えたって怪しいってのに、お前を何度視たって妖怪って断定できなかった。何なんだよ!」
「うーん、そのくだりは鬼村ちゃんに任せちゃってもいいです? さっきやったんで」
「はあ!?」
その時、ズドン!! ととんでもない質量のものが落ちてきたような音が背後で聞こえた。急いで振り返ればそこにいたのは鬼の姿をした……ずぶ濡れの鬼村だ。シャツの下に着ている派手な下着と赤い肌は透け、スカートは太ももに張り付いている。
「だっ、おまっ、なんつー格好を!!」
「そこの河童のせいだしー」
びしっと鬼村が指を差したのは、「あららら」と肩を竦めている河童。
「あいつ、急に水出してくるから気を付けてねセンセー」
「水?」
──そういえば、居酒屋の中で河原先生が急に消えた時も水の音がした。あれは関係があったってことか。
「今度はあたしの番だかんね」
「やだぁ、そんなに怒んないでよ」
「あんたのそーゆームカつく態度、あたしは好きじゃないからね」
そう言って鬼村は俺の横を通って金棒を石畳にガリガリと引きずりながら突っ込んでいった。俺も加勢すべく火の点けた煙草から三匹を召喚する。
「犬、思いっきり吠え──」
ぐらり、と視界が歪んだ。
「……っ?」
なんだ、これ。
目が回る。
確か前にも……そうか、向こう側へ引きずり込まれた時の感覚と同じだ。最近は感じなかったが……
「でもまた、なんで……?」
気持ち悪さから地面に膝をついたが、ふと見れば前を走っていったはずの鬼村もそこに座り込んでいた。奥にいる河童でさえ、頭を抑えている。これ、俺だけじゃない……?
「鬼村、大丈夫か!」
ふらつきながらも鬼村へ駆け寄っていくと、鬼村は苦しそうな表情で頭を抱えていた。こんな鬼村は初めて見た。そんなに強い攻撃を受けてるってことか?
「何、これっ……あんたが何かしたの!?」
鬼村の問いに河童は苦笑いで答えた。
「世界が重なり始めたんですよ」
「世界が……重なり始めた?」
河童の言うことは、今実際に体感でわかった気がする。時々視界が二重になってるように見えんだ。今いるこの世界と、もう一つ、別の世界が……。
「鬼村ちゃんよりも長生きな僕がここで昔話をしてあげましょうか」
ふぅー、と長いため息を一つ吐くと、河童は腕を組んだ。
「遠い遠い昔、この世界が出来た時。世界というものはくっきりはっきりと二分化されておりました。人間の住む世と妖の住む世です。でも、その分かれていた世界がある日急に『ずれた』んですよ」
「ずれた?」
「これについては僕もよくわかりません。けど、実際世界はずれてしまった。そこの鬼村ちゃんが生まれるよりもずっとずっと前の話です」
名指しされた鬼村は、まだ痛いのか頭を抱えてそこに座っている。俺は鬼村を庇うように前に立った。
「僅かずつ人の住む世と妖の住む世が重なり始めたこの世界をどうにかしようと、神様たちが力を込めたあるものを使って人の世界に結界を張ろうとした。が、力が世界に行き渡る前にそれは人間に拾われてしまった……。その力が込められたものっていうのが、どうにも……美味しそうな食べ物の形をしてましてね。何のことかわかります?」
力のこもったあるもので世界に結界を張ろうとした?
しかも途中で人間に拾われた?
待ってくれよそれって……
「桃ですよ、桃。ね、桃間先生」
河童は俺の名を呼んだが、何故か鬼村の方を見ていた。鬼村も、河童を睨みつけている。
「困ったことに桃は人間に拾われ、そしてあろうことか食べられてしまった。ああ何と言うことでしょう~、神様たちの思惑は上手いこと運んでくれなかったわけです。でもこのままじゃあ世界がどうなってしまうかわからない! そうして神様たちはまた、手を打つわけですよ」
ひた、ひた、と河童がこちらへ近づいてきた。やはり俺ではなく、鬼村をじっと見たまま。
「神様たちはね、失敗から学んだんです。次は最初から目的の為に動く意思の持ったものに任せようと。しかもですよ? 神様たちって短気なんですかねぇ……最初は桃を使って世界を救おうとしていたくせに、今度はその真逆を選んだ」
「……真逆、ってなんだよ」
俺の問いかけに河童はぷっと吹き出すと、そのまま頭に響く音を立てて笑った。世界の重なりだとかいうものと相まって余計に気持ち悪く感じる。河童はまた長い、長いため息を吐いた。
「──そこの鬼が、答えてくれるんじゃないですか?」
ぐいっ、と俺のズボンの裾が掴まれた。振り返れば鬼村が歯を食いしばりながら俺の足につかまっている。立ち上がろうとしてるらしい。俺はしゃがみこむと、鬼村に肩を貸した。
「桃間先生、なんでその子があんたに執着してるかよくよく考えた方がいいですよ。まあでも、僕だって同じくらいあんたに執着してますけどね」
「どういう意味だよ!」
「そのままの意味です、僕は桃間先生に焦がれている」
にっこりと笑う、河童が。
その奥に、河原先生が見える気がする。
「僕はね桃間先生、僕の中を流れる桃を一目見た時から、それが食べたくて仕方がなかったんだ」
ごぽごぽっ、という音がする。
どこから聞こえたのかと辺りを見回そうとした時、
神社の本殿、まわりの石垣、あらゆる隙間から大量の水が溢れ出してきた──。




