第95話 その男
──珍しくアルバイトでミスをした日だった。
別に大したことじゃないんだけど、注文の品をテーブルに持ってったら別のお客さんのだった、とか、店長に頼まれたもの作ったはずが違うの作っちゃってた、みたいな。なんてゆーかあたしがぼんやりしててミスった? 的な?
なーんか納得いかなくてもやもやした気持ち抱えたままバイト先を出た時だった。
夢子ちゃんから、電話が来た。
「……もしもし?」
『もしもし美鬼さん! こちらいつも元気な夢子です~!!』
「夢子ちゃん?」
いつもの甲高い頭に響く声がスマホから鳴って驚いた。だって、こないだキーホルダーをもらいに行った時、あたしあんなことしたから。怖がらせちゃったしもう連絡なんて取れないと思ってた。
「……あのさ、こないだはごめん。って、まだちゃんと謝れてなかった。……ごめん」
『もう、ほんとですよ美鬼さん! そんでもってまだキーホルダーの代金いただいてませんからね~!?』
「それはほんとごめん、フツーに忘れてた」
『もー……今度ちゃんと持ってきてくださいよね』
夢子ちゃんの声は思っていたよりも優しくて安心した。こんな子を捻り潰そうとしてたなんて、って、少し自分の短気なとこに嫌気が差す。
「それでどしたの?」
『あ、えーっとですねぇ~! 美鬼さんは『夢の男』って都市伝説知ってます?」
──『夢の男』?
全然思いもしない言葉が飛び出してきて首を傾げた。
「えー知らない」
『世界中のたくさんの人の夢の中に共通の男が出てくる、って話なんですけど~……今これに似た現象が起こってましてね』
「ふぅん……?」
『私が最近覗く夢の中に、とある男が現れるんですよ。最初は全然気にも留めてなかったんですけど、あれ、この男前にも見たな? って気づくようになって……その男を最初に見たのが去年の春頃で、先日入った夢の中でも見たんです。それでですね、男が出てきた夢の持ち主に共通点が無いか、探したんですよ。そうしたら、
去年の春頃は県内の西に位置する神社、
そして今年の八月には北に位置する神社、
この二か所の周りに住む人間でその男が出てくる夢を見るってのが多発してたんです』
「……何で?」
あたしは妙な感覚を覚えながら、スマホの向こうへ訊いた。
夜九時を過ぎた駅前通りは明かりは多いけど、その隙間の暗闇がいつでも侵食しようとしてくるみたいで少し心がざわつく。
『何で、っていうのは多分、見たからでしょうねぇ。実際起きてる時に』
「外ですれ違ったーとか見たくらいで夢に出るもん?」
『出る場合もありますよ!』
夢子ちゃんは人間が夢を見る原理、みたいのを大まかに教えてくれたけどめっちゃ早口でよくわかんなかった。とりあえず起きてる時に感じたこととかが夢に影響するっぽい。
『ってな感じではあるんですけどー……それでですよ! その夢の男、また現れ始めたんですよ。ここ一か月くらい!』
「今度はどこ?」
『美鬼さんのバイト先の南にある神社です!』
「……?」
神社、って言われて遠くを見ながら目を細める。たくさんの建物があって普通じゃ見えないけど、神社のあの嫌な感覚はすぐわかるから、距離はあるけどぼんやりと場所を認識した。
神社から発せられる力ってのは、妖力と全然違うからすごい肌に合わないって感じで嫌いなんだけど……でも今は、その場所の方から何か違うものも感じる。
「あたしのバ先なんて教えたっけ?」
『んふふふ、獏の情報網を舐めちゃいけませんよ♪ 人づて妖怪づてのみならず、夢からも情報が追えることがあるんですから♪』
「隠し事あんまできない感じかー。獏って厄介だ」
『それでですよ! その男、とうとう私も見ちゃったんですよ!』
「夢子ちゃんが夢見たわけ?」
『いいえ──現実で、です!』
その時、スマホから通知音が鳴った。画面を見たら、夢子ちゃんから写真が送られてきてる。見ながら話す為に通話をスピーカーに切り替えた。
『写真に写ってるのが、その男ですよ!』
「………」
『さっき、現実ですれ違ったくらいで夢に出てくるのかって話がありましたけど……みんながみんなすれ違った人間を夢に見るわけじゃないです。でも多分、この男を見た人間はほぼ百パーセントの確率で夢に見てます! なんでかわかります?
このフツーの人間に見える男、多分妖怪ですよ』
夢子ちゃんの言葉に「うん」って一つ返して写真をじっと見る。
映っているのは──笠を被った男。
通り過ぎる人の陰に隠れて口元は見えないけど、その目は──
『実体が何なのかはわかんないですけど、やたらと妙な妖力を纏ってて、それに中てられた人間たちが夢に見てたみたいです』
「あー……そう」
『どうです? 面白いですよね?』
「うん、めっちゃ面白い。……ありがと夢子ちゃん、今度お金払いに行く時少し上乗せするね」
『わーお! もしかして夢子何か役に立っちゃった感じですか!?』
「ちょー役に立った。マジでありがとね」
夢子ちゃんとの通話を切った後で、すぐにセンセーに電話をかけた。
「もしもしセンセ!? 今から送る住所にすぐ来れる?」
『急に何……』
「めーっちゃ急ぎ! 絶対やばそう!」
それだけ言って目的の神社の地図をセンセーに送ると、あたしはすぐに向こう側の道を開いた。ここから走ってもすぐは着かないし、あたしの脚力で跳んだりしたら多分見た人びっくりさせちゃうし。だから近道をしようと思ったんだけど──
手の指先で裂いた世界の亀裂から覗くのは、
歪んだ場所だった。
「なにこれ」
いつもなら向こう側の世界が現れるだけなのに、何でかぐにゃぐにゃしてる。中に入ったら体がふらついて吐き気すら感じた。
「意味わかんない……早く抜けよ」
歪んだ道を突っ切って、あたしは神社へと向かった。
***
叉鷹神社、って名前のそこは本殿に辿り着くまでかなりの階段を上らなきゃいけないらしい。住宅街のど真ん中にぽつんとあるその場所はすごく異質で、むしろ家やいろんな建物をたくさん周りに建てることで隠そうとしてるみたいに見えた。
その神社の階段下から少し上を見上げて、あたしはそいつに声を掛けた。
「おにーさん、そこで何してんの?」
あたしの目に映るのは、笠を被った薄暗い色の着物の坊さんみたいな見た目の男。着物は時々キラキラ光るみたいにウロコ模様が浮き上がってる。そいつは上っていた階段の途中で立ち止まった。
何か喋る様子はなくて、振り返ろうともしない。
しばらく時間が止まったみたいに動きが無かったけど、月明かりに照らされてウロコが揺れた。
「……その笠、取らなくてもあんたの顔わかるよ。それに、あんたの正体も」
「ええ? そうなの? そりゃー残念だなぁ」
振り返った笠男は、笠を少し持ち上げて顔を覗かせた。
そこにいたのは──
────川下高校教諭の、河原礼司だ。
「鬼村ちゃんこーんな遅い時間に出歩いちゃだめじゃない。補導なんかされたら桃間先生泣いちゃうよ?」
いつもの軽薄そうな薄ら笑いを浮かべて河原が言う。
「バイト帰りだし、まだ大丈夫な時間だっつーの」
「あららぁ、まだ早い時間だったか。やっぱもうちょっと時間遅らせるべきだったなぁ~、僕ってば早とちり」
河原はおどけるみたいに腕を組んで体を揺らした。あたしは一歩踏み出そうとしたけど、まだ動けずにいる。拳を握った。
「……あんたの目、借りもんでしょ? 前に写真館で見たよ」
「ええ~?」
「二条写真館──のっぺらぼうの男の子が一緒にいて『顔貸屋』の仕事してる。去年の二月頃、あんたはそこで目を借りた。その垂れた目付き、人懐っこい感じで人間たちにはウケがいいのかわかんないけど、あたし嫌い。こっち見る度張り付くみたいにべたべた感じるから」
「わーお、すごい言われよう。垂れ目の人なんていっぱいいるのに、他の人にも悪いと思わない?」
「……そののっぺらぼうが、学校祭の時あんたのこと見て気づいたよ。正体隠しててもパーツで理解かられちゃしゃーないよね」
「あらま」
河原は「ざーんねん」って言いながら大袈裟に肩を落とした。その時首にかかってる長い数珠みたいなのが鈍く光った。けど、すぐに辺りが暗くなる。月が雲に隠れたっぽい。
「で、あんたの正体ってさぁ……『河童』なんじゃないの」
「………」
河原は何も言わないであたしを見つめてきた。何考えてんのかは全然わかんない。ただ、口を開くのを待つ気にもなれなくてあたしの方から喋り出した。
「いろいろ聞いた情報を合わせた結果そう思ったわけだけどー。最近よく話をしてくれる子がいてさぁ、その子から聞いたの。なんでか強くもないただの河童が、鬼の妖力の結晶体を売り込んでるって。いろんな妖怪に持ちかけてるらしいじゃん。最近だと、海坊主や……人魚? 人魚の方には人間の姿で話しかけてたっぽいけど~……何でわざわざ」
「人魚ってのはねぇ、川に住む僕たちのことびっくりするくらい下に見てるんだよ。ひどいでしょ? 川の水が海に流れて出ていくっていうのに」
あははは、と声が響いた。
別に楽しくもなさそうな笑い声。
「まーあんたが人間の姿でいたおかげで、ナツメちゃんから特徴聞けたからもしかしてって思ったんだけどね」
「なるほどね~。やっぱ妖怪相手の時に下手なことしちゃいけないってわけだ」
「頭悪すぎじゃん? そこまでしてなんで結晶体なんてのを──」
「いやぁ、すごく美味しい話だと思うんだけどね~、最近の妖怪はなーんか腰が重くって」
「そりゃそーでしょ。今時『強大な力が得られる』……なんてそこまで魅力的じゃないんじゃん? 今の時代の暮らしって妖怪からしてもまあ心地いい温度のお風呂ってゆーか。ずーっとこのままでいっかぁーみたいなさぁ。そんな感じ。人間たちの住む場所に出てく子もいれば、逆に人間とのかかわりが減って気ままに暮らしてる子もいるし」
「みんな生ぬるいのが好きなんだね~。僕は熱々のお風呂か、水風呂がだーいすき。それにしてもただの河童、か~」
ぼそりと呟いて河原は被ってた笠を手に取った。
その顔はみるみるうちに形を変えていく。
一度噛んだら離さない鉤のような形の太いクチバシ、
獲物を逃がさぬようキョロキョロとあちこちを向く目玉、
丸く湿った皿を頭に載せ、肩まで伸びた髪は濡れたようにいくらか束になっている。
ぬめりを帯びた鱗の光る体は気持ち悪さを感じるけど、
その口から出てくる言葉は軽くて乾き切ってる。
「見てごらんよ鬼村ちゃん、これが僕の姿! これじゃあ若い子にはモテないよね~。鬼村ちゃんは河童に会ったことある?」
「………」
<河童>
存在自体は知ってる。でもあいつらあまり川の外に出たがらないから、姿は見たことない。
それに……
どうしてもこいつは妖怪には見えない。
あたしたち妖怪は、現象。
妖怪が妖怪を見れば同質の存在だってのがすぐにわかる。
同じ匂いを感じる、みたいなさ。
それなのにこいつからはそういう妖怪らしさみたいのが伝わらない。
ただの人間からしたらさすがにこの姿見ればビビると思うけど、あたしら妖怪はちょっと混乱する。──目で見てないから。
「そんなどっからどう見ても妖怪の見た目してるくせに……なんで人間と判別つかないのかわけわかんない。あんた何なの?」
「鬼村ちゃんは~……河童の大好物は何か知ってる?」
好物?
一瞬考えたけど、あたしの答えなんて求めてないみたいに河童は人差し指を立ててすぐに喋り始めた。
「──『尻子玉』だよ」
「尻子玉?」
「あら、知らない? 人間のお尻の穴からねぇ、ズルズルズルッ! と出てくるんだ。昔はよく川に死体が流れてくることも、うっかり川に落ちて溺れる人間もいてねぇ。それらを食べるのが僕たちのこの上ない楽しみ。……なーんて! 大昔の話だけどね~。今は美味しいもので溢れてる! それを食べなくたって満たされるさ。僕はよっちゃんが作る胡瓜の一本漬けが大好きでね~。ね、君だって他の妖怪だってそうでしょ? 人間なんか食べなくたって満たされる世界だ! 素晴らしいね!」
「……そんなとこから出てくるもん食べて美味しいわけ?」
あたしの質問に、河童は腕を組んで笑って頷いた。
まるで教師みたいに。
「うんうん、良い質問だね~。得体の知れない尻子玉なんてもの、一体なんで食べるの? って感じだよね。わかるわかる~。
あのね、尻子玉ってのは
人間の臓物がひと繋ぎになっていて、
その先っぽには人間の魂がくっついてるのさ。
これがねぇ、なかなかに美味。
鬼村ちゃんはモツ鍋とか好き? モツって苦手な人もいるけど好きって人も多いじゃない?
人間の臓物もズルズルっと啜ると苦みのあとで甘みが口に広がって何とも癖になるのさ。
そして最後のおまけの人間の魂。
これがね、まるでデザートとでも言えばいいのかな。それとも口直し?
ぱくっとひと呑みすると喉の奥から腹の底に溜まるまでまあ幸せを感じるね!
びっくりするくらい美味しい!
ってのに、尻子玉を食べるのは僕ら河童くらいなもんだったなぁ。大昔は暴れ回る妖怪も人間のガワの方ばっかり頬張っちゃって。今はそんなのも見かけないか。
ああそう、でね、一番重要なことを言い忘れるところだったよ。
尻子玉ってのは、人間の臓物と魂が一つになったもの。
食べれば食べるほどそれらは僕らの身体に混じり合い、河童はいつしか<妖怪とも人間とも言えない奇妙な存在>に変わっていったってわけ。
人間からはこの見た目を気持ち悪がられ、妖怪からは存在が曖昧に見えることを気持ち悪がられ、僕たちは川の中から出て行けない引きこもりになっちゃったのよ」
ちゃんちゃん、とオチをつけるみたいに言って河童は両手を見せて肩を竦めた。手は水掻きがびっしりついてて、そりゃ泳ぐの得意だよね、なんてあたしは思った。
「そんな嫌われもんの河童が今になって妖怪相手に商売?」
「なんか棘のある言い方だな~。いいじゃない、自分の足で歩いて商売してるんだよこっちは。河童だっていい品が手に入れば高値で売りたいってもんさぁ」
「高値で、って言うけどお金なんて取らないじゃん。何と引換えに渡してるわけ?」
「力をあげる代わりにその強くなった力で少しお願いを聞いてほしいだけだよ」
「お願い?」
「──桃太郎の子孫を殺してって!」
無邪気に、
高らかに、
目をぎょろりと動かして言った。
あたしは言葉に詰まってそいつを見つめるだけ。
河童は一段、また一段と階段から降りてきた。
「もっと大量に結晶体を作れれば良かったんだけどねぇ。封印の札を剥がすのと同時に採取しなきゃいけないんだけどー……封印から解けた鬼ってとっても強いからどうにもならないんだよねぇ。しかも意志疎通も取れやしない。元の場所へ戻っていく前に大暴れするところを命からがら逃げだして、札にこびりついたかけらを引っ掻いて集めるだけで手一杯さ」
「……セコいことしてんじゃん」
「だーって僕戦闘向きの妖怪じゃないもーん。相撲は取れるけどね! まーでも相撲が楽しかった時代も随分大昔になっちゃったなぁ~」
「戦闘向きじゃないなら、あたしにここであっさりやられておきなよ」
あたしはいつもの場所から金棒を取り出して握ると、河童に向けて突きつけた。妖力をどのくらい持ってるかはわかりにくいけど、この口ぶりからすればそこまで大変な相手じゃない。センセーを一応呼んだけど、来る前に片づける。
「あれまー、随分と血気盛んだね。鬼ってのはやっぱみんなそうなのかね~。元があれじゃあね~」
「………」
「でもさぁ。……河童が一体何の化身か本当にわからないのかい?」
遠くから何かが迫ってくるような音が聞こえた、
と同時に、
河童の足元から物凄い勢いで濁流がこっちに向かって流れ始めた。
「……っ!?」
「僕と君は同じものを欲しがるライバルなんだよ。知ってた?」
「はあ!?」
「ま、僕の方が君が生まれるよりずっとずっと前に目を付けてたんだけどねぇ……」
避けようとしたけど、濁流があたしのところまで迫ってきてうっかり押し流された。後ろの狭い路地に水が流れ込んでいって、あたしもその路地の中で溺れかける。かなりの距離流されたと思ったら、大きな通りまで押し出されてた。
急に洪水と共に現れたあたしを見て驚く人間たちに囲まれながら、あたしは髪の毛の水をぎゅううっと絞った。
「っもー……全身びしょ濡れでマジ最悪なんだけど!」
水があっという間に引いていく中、遠く離れちゃった神社の方で車の物凄い急ブレーキ音が聞こえた──。




