第94話 特別な
今から少し遡ること一週間ほど前、夜に突然呼鈴が鳴った。仕事から帰ってきて着替えもせずに飯でも食おうかとしてる時だった。
──ガチャ
「やっほー桃間先生~!」
開けた玄関ドアから顔を覗かせたのは、狗谷木だった。
「……どうした」
「いやぁ今日は先生にプレゼント持ってきたんだよね! ほらこれ」
そう言って狗谷木が俺の顔の前にちらつかせたのは、ふたつのキーホルダー。これは、あれだ。前に夢子と名乗った獏がくれたよく眠れるようになるやつ。
「これどうしたんだよ」
「夢喰いの獏ちゃんからもらってきた♪ あ、もらったんじゃないのか。あとでちゃんとお金払いに行くもんねー美鬼ちゃん」
と言って狗谷木が後ろを振り返る。ドアに隠れて見えていなかった狗谷木の後方を俺は覗き込むようにして見た。──鬼村が外廊下の手すりに寄り掛かるようにしてそこに立っている。
「先生寝不足で体力ゴリゴリに削られてるって聞いたからさぁ、これ使えばちゃんと寝れるんじゃないかなーって」
「……寝れるようになったところで桃太郎が体乗っ取ったら意味ないだろ」
「それはどうかな~。センセーが弱ってて隙があったから、乗っ取れたのかもじゃん?」
「………」
「……って、考えたのはオレじゃなくってアマビコの先生だけど。まー物は試しっつーことで! 使ってみようぜ!」
俺は狗谷木にキーホルダーを押し付けられ、慌ててそれを受け取る。
「……でも、それでも俺がまた体を使われて鬼村を攻撃したらどうする」
俺は狗谷木に隠れて見えない鬼村の方へ投げかけるように言った。鬼村からの返事は聞こえない。いつもならすぐ何か言ってきそうなもんだが……。
「そうなったらもちろんオレがぶち殺す!」
「天!!」
鬼村の引き留めるような怒った声が聞こえたが、狗谷木は俺の顔を覗き込むように身を屈めた。
「今だって美鬼ちゃんに何かさせない為にオレが間に入ってるんだよ。先生もそれぐらいわかってるっしょ? 先生が美鬼ちゃんを大事に思ってることは知ってるよ。でもさ、オレだって美鬼ちゃんのこと、オレの存在意義に関わるくらい大事なんだよね」
「………」
「……でも先生ももちろん大事だよ。オレ、先生と一緒にいんのも楽しいし。化学の実験ってのもまだまだやらせてほしいしさ~。だからほら、よく寝て解決すんならそれでいーじゃん」
「根本的な解決にはならねーだろ」
「それがさー、このキーホルダー寝てる時以外にも効果を発揮するらしーのよ。すごくね? 先生がぼけーっとしてて桃野郎が『入ったろ!』ってなった時にも阻害してくれるっつーこと。どれだけそいつに対抗できんのかは未知数だけど、肌身離さず持っててね~」
狗谷木は俺から離れると体を逸らせるようにして「わかった?」と笑った。俺は改めて受け取ったキーホルダーを見つめる。前に使った時は、確かによく眠れた。起きてる間も持っていれば効果があるんだとしたらかなり心強い。俺が黙り込んでいると、狗谷木は一瞬鬼村の方を振り返り、それから急に俺へ耳打ちをした。
「……オレ、やーな予感すんだよね」
「嫌な予感?」
「今いろんなことがごちゃごちゃしててさ。天狗たちも天手古舞。だから……先生が美鬼ちゃんのこと、ちゃんと守ってよ」
「………」
「ほら、先生が桃野郎に乗っ取られないように意識をしっかり持つっつーのも結構重要なんじゃん? って、オレは思うけどな」
狗谷木は一歩下がると肩を竦めた。いつものへらへらした表情ではなく、少し真剣さが窺えるこいつに──逆に俺は肩の力が抜けた。
「じゃーオレらは帰りまーす! 明日も学校なんで~」
そう言って玄関から離れていく狗谷木を追うように俺は廊下へと出た。鬼村は自分の部屋へは帰らないのか、狗谷木と共に離れていこうとする。その背中に慌てて俺は声を掛けた。
「来月! ──修学旅行だぞ、お前らちゃんと準備しとけよ」
これまでの流れに沿っていない俺の言葉が可笑しかったのか、鬼村と狗谷木は顔を合わせるとプッと噴出し笑い始めた。
「修学旅行とかー、あたし初めて! どこ行くんだっけ?」
「東境じゃん? オレ東境初めて~。ビルが森みたいに生えてんだよね!?」
「あたし行ったの相当前だからなぁ~、あ、なんとかランドとか行く? センセーも一緒に遊ぼ!」
「遊ばねぇよ馬鹿! 俺ら教師はお前らが羽目外さねぇか見張り!」
「「えーつまんなー」」
声の揃った二人を見て、俺はハハと声を漏らす。それから一瞬の沈黙があったが、鬼村が体をこちらに向け、小さく笑った。
「それじゃまた明日ね、センセ」
鬼村が手を振り、体を翻す。
アパートにはまた静けさが戻った。
***
──あれから一週間程あのキーホルダーをお守りにしているが、確かに良く寝れている。効果は前回同様抜群ってわけだ。体力もかなり回復したのか身体は軽い。
そして学校の中で鬼村とすれ違う際に一瞬、本当に一瞬だが……手に違和感を覚える時があった。その度に『勝手に体使われてたまるかよ』と、頭ん中で叫ぶようにしていたわけだが……果たしてそれに意味があったのかはわからないものの、身体を使われそうになる現象は徐々に減っていった。
──ガラララッ
「いらっしゃいませー!」
仕事帰りに『居酒屋 花川柳』の玄関を開けると、中から花川さんの景気のいい声が聞こえてきた。すでに客席は半分程埋まっていたが、カウンターの方はほとんどいない。俺は真っ直ぐカウンターの席へとついた。
「まずはビールですか?」
「ああいや、今日は飯食いに来ただけなんで……ウーロン茶一つ」
「ここで飲まないなんて初めてですね~」
それから適当に晩飯になりそうなものを注文して、忙しなく料理を作る花川さんを見ていた。飲み物に口を付け、お通しの野菜の煮びたしをつまむ。「どうぞ」と出された白飯と根菜の煮物を受け取ろうとした時だ。
「──桃間先生、最近は僕より来るのが早いですよねぇ」
隣の席についたのは河原先生だった。
「……ども」
「ここに来るんだったら僕に声かけたらいいじゃないですかぁ」
「一人で食べたい気分だったんで」
「ほんとかな~。別に食べたい気分なんて無いんじゃ?」
河原先生の目がじろりと俺を見た。
俺は河原先生を見て、それから居酒屋の玄関の方を見つめた。
──さっき、戸が開く音はしなかった。それに開いていたとしたらいつもは花川さんがすぐに「いらっしゃいませ」と声をかける。それもなかった。トイレに行っていたのかもしれないが……トイレは俺の後ろを通らないと行けない。気配はなかった。
この人はいつここへ来た?
「……最近は河原先生も俺に声をかけなくなりましたね」
「え?」
「よく飲みに誘ってきたじゃないですか」
ぶっきらぼうに俺が言うと、河原先生は「そうだったっけ~」と天井を見つめた。次の料理を出してきた花川さんは、何かを察知したように俺と河原先生を見比べている。──その目の色は不安一色だ。
「俺、おふたりに訊きたいことがたくさんあるんですよ」
「えー全然他人に興味ない桃間先生が珍しい! 何です?」
「花川さんと河原先生は、何年生まれですか?」
俺の問いに花川さんは目を丸くし、河原先生はいつもの笑顔を崩さなかった。
店内は相変わらず騒がしいが、俺達の周りだけが急に音も無くなったかのように静けさに包まれる。温度も数度下がったような気さえした。
「……花川さんは、このお店を始める前はどこで料理の修行を? 何年くらい? 河原先生は教員免許を取ったのはいつです? 大学はどこへ?」
焼き魚に箸を入れながら答えを待たずに次々と質問を重ねる俺に、二人は閉口していた。そう、答える気もないんだろう。
「河原先生、うちの高校に来る前はどこで教えてたんです? そこで何年勤務されてました? 水泳が得意とのことですけれども学生時代に部活など? 大会に出たことは? 記録などありますか?」
「……いやだな桃間先生ってば、今まで僕のこと本当に興味も無かったのに。あれこれ聞いてどうするつもりです?」
「………」
「よっちゃん、一番たか~いお酒入れてよ。ほら、こないだ話してくれたじゃない」
「えっ、ああ……うん、ちょっと待ってね」
「桃間先生、ごちになりま~す」
「は? おい、奢らねえぞ」
「いいじゃないですか、最後くらい」
「………」
最後くらい。
その意味を訊き返すことはできなかった。河原先生の目は冷たく、見ているとその瞳はまるで渦を巻いて引きずり込まれるような気がした。だがきっと俺も似たような目をしているんだろう。疑り深い、嫌な目を。
──ここへ来る前、深山さんから連絡があった。どうやら花川さんのことで何か掴んだらしい。明日にでも機関の職員や陰陽師を連れて接近するという。だからもう居酒屋へは通わなくてもいいとのことだった。
だが、俺はその電話を切ったその足でここへ来た。
だってどう考えてもこの気のいい店主花川さんよりも、
河原の方がおかしいだろ。
「……はい、礼司くん」
花川さんの出したお酒は高さ十センチほどのグラスに注がれている。よく澄んでいて見るからに香りの良さそうな日本酒だ。
「これねぇ、山の奥地にある湧き水で作られてるんですって」
河原先生が語り出し、そのグラスを傾け酒を口に含むとごくりと喉を鳴らした。
「うーん、美味し。湧き水ってのはいろんな条件が重なって地下水が地上に溢れてきたもののことを言うんですよね。まあだから、特別な水ってことですよ。いいですよねぇ、特別!」
「何が言いたいんです?」
「世の中には特別じゃないものの方が多い」
グラスにはまだ半分程酒が残っている。河原先生はそれをくるくると回すように手首をひねった。
「水道をひねれば出てくる大量の水、特別じゃないですよね。生活用水って言えばいいですか。みーんなが当たり前に使うお水。飲んだり料理に使ったり洗濯したりお風呂に入ったり。無いと困りますけど、それが特別って思って普段から使ってる人なんて今や少ないでしょ。この文明が栄えた時代には」
にこり、と口元に笑みを浮かべた河原先生は残った酒をぐいっと飲み干すとグラスをテーブルに置いた。
「僕は多分、特別になってみたかったんですよ」
──バシャン!!
突然どこからか大量の水が落ちたような音がした。
それが一度目に驚いたこと。
二度目は、目の前から河原先生がいなくなっていたこと。
「……河原先生?」
あんぐりと口を開けたまま俺は硬直した。それからすぐにハッとして慌てて財布の中の一万円札をテーブルに叩きつけた。
「すみません、会計これで!」
どこへ行けばいいかはわからないが、とにかく今すぐここを出て探しに行かねばならない気がした。河原先生を。
勢いよく居酒屋の戸を開けて出ていったが、すぐに腕を掴まれて俺は動きを止められた。
「っ、な!?」
俺の腕を掴んだのは花川さんだった。彼のひどく怯えたような、泣きそうな表情。俺は息を呑んだ。
「お願いです、礼司くんを止めてください!」
「!」
「礼司くんは、ま、間違ってる! 間違ってることはおれもわかっていたんです! でも、ずっと、止められなかった……!」
「ずっと、って……」
「もう、何百年も……!!」
「……っ!」
あまりの言葉に、俺は痛くなるほど奥歯を噛み締めた。恐れを抱いたからかもしれない。
爪が食い込むくらいの握り拳を作り、俺は震える口をどうにか開いた。
「一応ちゃんと花川さんの口から聞いておきたい。
あなたも、人間じゃないんだよな?」
──ポケットの中のマナーモードを解除していたスマホが、
けたたましい音を立てながら俺に電話を知らせていた──。




