第92話 存在意義
まだ陽は落ちてない、時間的には多分七時前くらい?
けど、ここは陽が全然入らなくて薄暗いなんてもんじゃない路地裏。
場所は街から少し外れたところで、おじさん方が行くような飲み屋が立ち並んでるとこ。ちょっと寂れてる、って言えばいいのかな。で、そんな場所の路地を抜けた先にあるぽつんと立ってるアパートに、夢子ちゃんは住んでる。外観はいよいよ壊すかリフォーム寸前ってところなんだけど、夢子ちゃんはここに長いこと住んでるみたいだった。
アパートの一階部分のど真ん中の部屋、それが夢子ちゃんの住む場所。上も横も誰か住んでんのとかうるさくてヤじゃない? って前に訊いたら「気になりませんよ~! 夜中は夢食い食べ放題なんで私的にはお得です!」だって。と言っても最近はどうなんだか。この古さだと住んでる人も少なくなってそう。
──夢子ちゃんの部屋の呼鈴を鳴らした。あの、キンコン、って甲高い音が鳴るタイプのやつ。
「はいはいよくぞいらっしゃいましたぁ!」
全然間も置かずに玄関扉が開いて、満面の笑みの夢子ちゃんが出てきた。あたしの顔を見て、それから隣の天の顔を見て、さらに顔色を明るくさせる。
「わお、これが噂の大天狗様! お初にお目にかかります~わたくし夢喰いの獏こと人間界にて夢鑑定サービスを行っております夢子と申します~。あ、こちら名刺です」
「はいはいそういう自己紹介いらないから、入ってい?」
いきなりポケットから出した名刺を渡そうとしてくる夢子ちゃんをくるりと回転させて、あたしは部屋の中へとずかずか入った。天も後ろから「おじゃましまーす!」って元気よく入ってくる。
「も~美鬼さんうちら木っ端な妖怪からすれば大天狗様なんてお会いする機会ほぼゼロなんですよ~!? これを機に私の事業に目を向けていただければ何かしらお力添えをしていただいて売上アップに繋がる可能性が」
「お金に困ってる獏なんて見たこと無いんだけど」
「困ってませんよ! 人間界でお金は重要なのでいくらでも欲しいってだけです♪」
「夢子ちゃんのそーゆーとこ好きだよ」
「たはー! ありがとうございます~!!」
夢子ちゃんは機嫌よくすると「ささ、どうぞ♪」って可愛いパステルカラーのテーブルが置かれた場所にあたしらを案内した。
「つめた~いお飲み物でも用意しますので、その間にご用件言っていただいても~?」
「こないだセンセーにくれたキーホルダー欲しいんだよね」
「え! あれですか!? もちろんですよ、いやぁ臨時収入臨時収入♪」
バタン、と冷蔵庫の閉まる音がして、それから夢子ちゃんが持ってきたのはガラスコップに入った白いジュース。多分炭酸。それをあたしと天の前に置くと、すぐ傍のケースの中から何か手に取った。
「はい、これが今作ってある分の<外部干渉を阻害するキーホルダー>です」
夢子ちゃんがテーブルに置いたのは、前に見せてもらった時と同じ小さな獏の形をしてるキーホルダー。その目がきらりと光ったように感じたのは多分気のせいじゃないと思う。
「このふたつだけ?」
「はい、二個だけです。作るのに時間がかかりますし、それに一個一万円となると買う人もそうそういませんしね~。桃間さんご入用で大変嬉しいです♪」
「これって確か使える期間ってひとつ一週間くらいだっけ?」
キーホルダーを摘まみ上げて見ると、天も横からまじまじと見てた。
「これで桃間先生ぐっすり寝れんのすごくね?」
「すごいよね~。てかさ、寝てる時だけなの? その外部干渉を阻害するーって」
「いえいえ! 寝てる時に限らず、こう、ぼーっとしてる時とか付け入りやすい隙ってあるじゃないですか。そーゆー無意識な時に効果を発揮するって感じですね」
「へー……じゃ、夢子ちゃんこれできるだけいっぱい作って」
「え、いっぱいですか?」
きょとんとした顔の夢子ちゃんが首を傾げる。
「さっきも言いましたけど作るのに時間がかかりますし、次のが出来上がるのは一週間か二週間後とかそれくらいになると思いますけど」
「なんだちょうどいいじゃん。二週間センセーがこれ使って安眠して~、で次のやつまた夢子ちゃんからもらって使って~ってしてけばいんでしょ?」
「ええ!? 待ってください美鬼さん。それって一体いつまで……??」
夢子ちゃんは目を丸くして身を乗り出してきた。あたしは少しだけ考えるふりして天井を見つめる。
「んー……いつだろう。とりあえず落ち着くまで?」
「どういうことですか!? 美鬼さん~あれほんとに作るの大変なんですよ~いっぱい妖力も込めなきゃいけないし、安定させる為に馴染ませるのも時間がかかるし~」
「いいから作ってよ。センセーの命に関わるんだからさ。じゃないと桃間の刀で切っちゃうよ?」
「そんな呪いの刀を伝家の宝刀みたいに扱わないでくださいよ~!!」
夢子ちゃんはがっくりと項垂れて、コップのジュースを両手で持った。あたしもありがたくジュースを頂いて一気飲みする。暑かったし冷たい炭酸がめっちゃ体に染み渡る~。
「もー最近の美鬼さんは獏使いが荒いです」
「優しくした覚えもないけど」
「それで? 桃間さんに一体何があったって言うんですか?」
ちびちびとジュースを飲む夢子ちゃんに、あたしは一つため息を吐いてから状況を説明した。
センセーの夢に入ってきてたのは桃太郎だったこと、
桃太郎がセンセーの体を乗っ取ってあたしを殺そうとしてること、
あいつに体を使われないように睡眠を取らせてあげたいこと。
話してるうちに、夢子ちゃんは不思議そうな顔をし始めた。
「あの、美鬼さん」
「ん?」
「美鬼さんが殺られる前に桃間さんを殺っちゃったらダメなんですか?」
気づけば夢子ちゃんのコップが、床に落ちてた。
厚めのガラスだったからか割れることはなかったけど、残ってたジュースが床に小さな水たまりを作ってる。
夢子ちゃんの顔は、あたしの目の前にあって。
驚いたような、
ひどく怯えたような顔が、
鬼を見つめてた。
「……センセーを殺す? なんで?」
「──美鬼ちゃん」
「センセーはあたしの大事な人だよ? 殺すなんてあるわけないじゃん」
「──美鬼ちゃんってば」
「あたしはセンセーじゃなきゃダメなの。絶対。センセーじゃないとあたしの存在意義が──」
「────美鬼ちゃん!!」
あたしの肩を掴む天狗の爪が食い込んだ。
痛みであたしは我に返る。
あたしの片手の中には、妖怪の姿に戻った小さな獏。
首を絞められてばたばたと手足を動かしている。
あたしの手は真っ赤。
返り血を浴びたわけじゃない、あたしの鬼の手。
「美鬼ちゃん、この獏になんか作らせるんでしょ? 殺したらいつ戻ってくるかもわかんないし、今はやめといた方がいいって」
「………」
天の言う通り。
あたしはゆっくりと手を下ろして、獏を床の上に置いた。
「けほっ、けほっけほ! う、うう……美鬼さん、冗談きついです……」
「冗談?」
「あっ、う、ちがっ! もう暴力は勘弁してください! 私戦うタイプの妖怪じゃないですよぅ……」
床の上で体をぎゅっと小さくさせて頭を抱えるようにしてる獏、それに対して自分の妖力を抑えもせずに見下ろす鬼のあたし。弱い者いじめとか、趣味じゃない。
「……夢子ちゃん、キーホルダーもらってくね。お金は……今度持ってくる。今日のことも、その時謝るから」
キーホルダーを掴んで、あたしは人間の姿へと戻る。天もあたしと同じように人間の姿になって後ろをついてきた。玄関を閉じるまで──獏の消耗した微かな呼吸が聞こえていた。
***
夢子ちゃんの住んでる場所からの帰り道、向こう側を通って帰れば早いにもかかわらずあたしたちは近くの駅を目指して歩いてた。あたしがだんまりでいるから、しばらくは天もめずらしく静かにしてたんだけど……もう少しで駅、って時に天はあたしに訊いた。
「ねえ、美鬼ちゃんってどうして桃間先生がいいわけ?」
「………」
「さっきの獏が言ってることもさ、わかるし。美鬼ちゃんが桃間の力で鬼を増やすーってのはさ、だって正直桃間先生じゃなくたっていいわけじゃん。桃間なんていくらでもいるんだから」
あたしはそれに答えられないまま、住宅街の狭い道で立ち止まった。天もあたしの数歩先で足を止める。それから振り返ってあたしを見つめた。
「さっき美鬼ちゃんは存在意義、って言ってたよね。相手が桃間先生じゃなきゃいけない理由があるってことでしょ。それってさ。美鬼ちゃんの本質に関わることだよね」
「………」
「なんか言ってよ」
何も言葉が出てこない。別に喋りたくないわけじゃない。けど、何も言葉にできなかった。天はしばらくの間そこに突っ立ってたけど、そのうち強い風があたしたちを囲んだ。次の瞬間天はまた人間の姿を解いて、天狗の姿でそこにいた。ここは住宅街。人通りは少ないけれど、いつ人間に見られてもおかしくない。見ても、すぐに忘れるだろうけど。
「──美鬼ちゃん、オレこの前向こうに帰った時に親父から聞いたんだ。自分がどうして生まれたのか」
天の声がやけに真剣で、あたしはゆっくりと瞬きする。遠くに見える信号が赤になった。
「オレ、どんな災厄を持つかわかんない美鬼ちゃんを監視する為に作られたって」
天からは、動揺の色は見えない。
目はあたしを鋭く見つめてる。
「ずっと忘れてた気がする。最初はちゃんと目的通りに動いてたはずなんだ、でも、美鬼ちゃんは知れば知る程可愛くて強くて楽しくて、百年以上一緒にいれば目的なんか別にしても離れたくなかった。ここ最近は一緒に学校行ったりしてそれも楽しくて……でも、オレの本質は美鬼ちゃんの監視だ。だから──意識しなくても、オレが見てる美鬼ちゃんの行動全部天狗たちに報告してる」
そこまで言って天の手にぎゅっと力が入った。怒ってんのか、悔しいのか、わかんない。
天狗の面越しに天はあたしを睨みつけた。
「それぐらい俺達妖怪の本質ってのは強固なんだよ。存在理由なんだ。だからここにいる。ねえ、美鬼ちゃんは? なんで桃間先生がいいの? なんで先生に執着すんの? 何が美鬼ちゃんをそうさせるの!?」
強風が吹いた。
天の感情の現れ。
それに体を包まれて、あたしは──
あたしは、靡いた横髪を、耳に掛けた。
「……帰ろ、天」
天狗の横を通り過ぎる。振り返った時には、姿は人間へと戻っていた。
「あたしの本質を理解したら、天がここにいる理由はなくなっちゃうかもしれないよ」
──やっと陽が落ち始めた空はオレンジ色と紫色が混ざり合って、これから来る夜に落ちていくようだった。




