第90話 ぬくもり
日が暮れ始めたにしたって暑いはずの空気が急にひんやりとした。
あたしは桃太郎の手を振り払おうとした、けど、そいつは軽く後ろへ跳んですぐにあたしとの距離を取った。それと同時にあたしを押さえつけてたすももちゃんの手が消えて体が軽くなる。
「鬼に名を呼ばれる日が来るとは思わなかったな。だが、私はその名が好きではない。安直だろう? 私には桃間正義という良き名があってな」
「どの口が正義騙ってるわけ、クズ野郎」
──ドスン、と金棒を床に下ろす。軽く置いたつもりだったけど力を抑えられなかったのかコンクリートの床にはヒビが入ってた。戦うなら、向こう側へこいつを連れてく方が絶対に良い。被害が最小限になるし、それに向こう側の方が正直戦いやすい。こっちと空気が違うのか力が入りやすいから……なんだけど、でも今そんなこと考えてる場合じゃないかも。
──桃太郎は刀を握り直すと突き刺すように間合いを詰めてきた。
あたしは金棒を翻しながら刀の先を弾いていく。防戦一方、ってやつかもしんない。
「センセーの顔してるのに中身がクソジジィとかマジありえないんですけど。ガン萎え」
「この男も大して若くもないだろうが。キジ! 突風だ!」
あんずちゃんはほんの一瞬遅れてあたしに向かって突風を起こした。けどその一瞬があたしに防ぐだけの時間をくれる。気づけばいつの間にかまろんちゃんの咆哮は止んでた。
──キィン!
渾身の力で刀を弾き返すと、吹っ飛んでいった桃太郎は十数メートル先で止まった。それから右手を開いて閉じては何か確認するように見てる。
「もしかして、センセーの夢に出てきてたのってあんた? ってことはセンセーから体力奪ってたのもあんたってことでしょ? なんでセンセーにそんなことするわけ。血繋がってんのに、可愛くないの?」
あたしの質問に、桃太郎は少し眉間に皺を寄せた。それがセンセーがする表情そっくりで、ムカつく。
「体力を奪うなんてのは結果の話だ。それが目的ではない」
「じゃあ目的って何なわけ?」
「鬼ごときに言う必要があるか?」
「は?」
──腹立つ。
腹立つ腹立つ腹立つ。
今すぐあのスカした野郎の横っ面を金棒でぶちのめしてやりたいけど、でもあれがセンセーの身体だってことはわかってる。致命傷になるような怪我はさせらんない。でもそんなんであいつにどうやって勝てばいいっての? このままじゃうっかりあの刀で切られてあたしの方が終わるじゃん。どうやったらセンセーを元に戻せるわけ? てかなんで今センセーはあいつに体乗っ取られてるわけ? そもそもあいつは、
「……ふむ、残念ながら時間切れか」
桃太郎はそう言って落ちてた鞘を拾い上げると、変な物でも見るみたいにそれを見つめてから刀を鞘にしまった。あたしはまだ金棒を握った手に力を込めたままあいつを見つめてる。攻撃態勢は崩してないものの、もう攻撃してこないのかも、と一瞬でも思っちゃったのが悪かった。
桃太郎が軽く手を上げた瞬間、煙が立ち上って三匹が一斉に襲い掛かってきた。
「……!!」
まろんちゃんの咆哮は耳をつんざくみたいで、
あんずちゃんの疾風は肌が切り裂かれるみたい、
一瞬目を閉じちゃった隙に、
すももちゃんの手がグッとあたしを掴んで空へと放り投げた──
かなり遠くまで飛ばされて、
このままだと屋上じゃなくてグラウンドに落ちちゃう。
別に落ちて死ぬことはないけど……
まだ下にはたくさん生徒が──
「──美鬼ちゃん!!」
ガシッ、と抱きかかえられた。見れば天があたしをキャッチしたみたい。
「大丈夫!?」
「あー……うん全然へーき」
「あそこにいんの桃間先生? 美鬼ちゃん吹っ飛ばしたの、先生なの!?」
「うーん、あれセンセーじゃないんだよ」
「はあ!? どこからどう視たって先生じゃん!?」
「………」
天が言うとおり、あれは外側も内側もセンセーに視える。
でもセンセーじゃないことはわかってる。
なんなの、ほんと。
天がバサバサと音立てて屋上に降り立った瞬間、センセーは手から力が抜けたみたいに床に刀を落とした。そのまま膝をついて、息を荒げてる。
「……くそ、なんなんだよ」
そう言ったのが聞こえて、あたしは慌ててセンセーに駆け寄った。
「センセ、だいじょぶ!?」
青ざめた顔であたしを見上げるのは、もう桃太郎じゃない。
センセーは何か言いたそうにして、あたしも話したかったけど……近づいてくる気配に気が付いた。誰かが屋上への階段を上ってきてる。多分さっき落ちた手すりにびっくりして上まで確認しに来たのかもしれない。
「美鬼ちゃん、とりあえずオレらはグラウンドに戻ろ。ここにいてもややこしくなるだけだ」
「センセーも連れてかないと」
「オレは嫌だよ、だって美鬼ちゃんに攻撃してきてたんでしょ!?」
「………」
センセーに戻ったとはいえ、今近づくのは危ないってのはあたしにもわかる。今は天が正しい。
天はあたしの手を掴んで向こう側への空間を切り開いた。あたしは刀をそこに残していくとセンセーが困ると思って、去り際にそれを掴んで天と一緒に向こう側への入り口に体を滑り込ませる。
それと同時に、背後で扉が開いた。
「……桃間先生、大丈夫ですか!?」
複数人向かってきてた内、最初にやってきたのは──河原だった。
***
結局、いろいろ事故とかが起こったってことであたしら生徒は予定より少し早めに帰らされた。先生方はあたしら帰ったあとで校舎の点検とかなんかするみたい。だからあたしが部屋に帰ってきてからセンセーが帰ってくるまでかなり時間差があった。あの後センセーが屋上で他の先生方に何聞かれたとかどうなったとかはまだわかんない。聞いてみないと。でも……話してくれんのかな。
夜の九時を過ぎた時、隣の部屋の鍵を開ける音が聞こえた。
「──センセ!」
あたしが慌ててドアを開けたら、センセーはビクッて肩を震わせてこっちを見た。それから「ああ」だか「うん」だかよくわかんない言葉を小さく口から漏らすと、そのまま部屋に入っていこうとした。
「いや待ってよ、絶対話すことあんじゃん!」
あたしの声なんか無視するみたいにドアが閉まる。センセーの気配はまだそこにある。
──ドンドン!
ドアを叩いて、声を上げた。
「ちょっと開けてよ! ねえ!」
『開けれるわけねーだろ』
ドア越しにくぐもった声が聞こえる。
あたしがまたドアを叩こうとしたのと同時に、震える声が聞こえた。
『──頼む、俺の部屋には、いや、俺には近づかないでくれ』
か細くて、聞き逃しちゃいそうな声。
心細そうな、泣きそうな声。
何それ。
何それ……。
「なんで。あたしらせっかく両想いになってさぁ、いちゃいちゃしたい時期じゃん」
『………』
「一緒にいらんないとか意味わかんなくない?」
『学校では会える』
「そんなんじゃなくってさ」
『今日ので、わかっただろ……なんでかわかんねーけど、急に俺じゃない奴が俺の身体を勝手に使う』
「……こないだあたしの腕掴んだのも?」
『……多分、そうだ』
「あいつマジ何なの? 勝手にセンセー使って好き勝手やって、何がしたいわけ?」
『………』
センセーはしばらくの間黙り込んでた。あともう数秒も黙ってたらあたしが無理矢理ドアを開けようとした時、ようやくセンセーは話し出した。
『お前を殺そうとしてんだよ』
ドン、って音が鳴る。
センセーが何かを叩いたんだと思う。
「桃太郎が、あたしを殺そうとしてる? それってあたしが鬼だから?」
『そうだとは思う、けど、俺には何もわからない』
「けどさ、センセーも心配しすぎだよ。あたしセンセーより全然強いんだよ? 桃太郎ってのもまあ強いのはわかったけどさぁ、でもあたしが本気出したら」
『万が一ってことがあんだろ!!
……俺の持ってる刀は、お前を簡単に殺せる』
鋭い刀の先があたしに向かってきたことを思い出す。
脳裏に浮かんだその刃先は、まるでそうあるべきみたいにあたしに振り下ろされる。
これは今日の記憶?
それとも、こうなってほしくないっていう想像?
『せめて狗谷木や他の奴が俺を止めれる時にしてくれ』
センセーの震える声に、あたしは唇を噛んだ。
『好きな女くらい、ちゃんと守らせてくれよ……』
「………」
ドア越しに、
センセーがそこにうずくまって座ってるのがわかった。
不安そうに震える体を抱えて。
あたしはそれを見下ろすように、ドアノブを見つめた。
「……わかった」
『………』
「じゃあ今だけ、一回だけでいいから顔見せて?」
返事は聞こえなかった。
でも、
少ししてドアが開くと、センセーはいつもよりも目の下のクマの濃い疲れ切った顔であたしと目を合わせた。
「センセ」
「……何」
「キスしたい」
「……はあっ!? んなことして無防備な時になんかあったらどうすんだよ!」
いつもみたいにキレた返事だったから、あたしは少し笑った。
で、
そのままセンセーの腹を殴った。
「──っ!? かはっ……」
苦しそうな声を上げてセンセーはあたしの身体に覆い被さってきた。上手く気絶させられたみたい。しばらくそのままの体勢でいたけど……センセーがあいつに体を乗っ取られる様子はなかった。
「宿主が意識を失えば出てくることはできない、か」
ぎゅうっと抱きしめて、センセーのぬくもりを感じる。
背中を撫でて、それから体を持ち上げた。
センセーを布団まで運んだら額を撫でて、唇にキスを落とした。
唇を合わせて、
感触を確かめるように啄む。
そして舌先でゆっくり唇を割ると
あたしの妖力を少しだけ流した。
「──多分これでセンセーの身体乗っ取ろうとしたら、少しは抵抗できるはずだよ」
聴こえてないはずのセンセーにあたしはそう声を掛けた。
濡れた唇を親指の腹で撫でて、頬へと滑り落ちる。
「桃太郎は、人間にとっちゃ正義なのかもしんないけど。お願い、センセーだけはあたしのこと……信じてて」
それだけ言ってあたしはセンセーの部屋を後にした。
ドアに鍵を掛けて、外の手すりに寄り掛かる。
今日の出来事を思い返して、あたしは悔しさで唇を噛んだ。
あの桃太郎は、きっとどこかにいるはず。
だってもし死んで魂だけの存在になってるとしたら、肉体に干渉してくるなんてこと無理だもん。
「あいつ……どこにいるわけ?」
今日出会ったあの気配を追うように、あたしは意識を研ぎ澄ませた──。




