第87話 光の名
「それで、調査の方はどうでしょうか?」
深山さんの物腰柔らかい声が応接室に響いた。
ここは『株式会社 ミヤマ/カスタマーサービス』──もとい、対妖情報機関・叉々山支部の総務事務・調査課オフィス。俺は二か月ぶりくらいにここへやってきた。頼まれていた調査について俺からの報告と、その他あちらさんから連絡事項があるとかで呼ばれたわけだ。
深山さんからは以前、『居酒屋 花川柳』の調査を頼まれていた。店の、というよりは店主のだが。店主の花川丸吉は八年前からそこに店を構えている。立地が良かったのか当初から店は賑わい、週末はほとんどの席が埋まるのが常だ。ネット上でのクチコミもよく、それを当てにして遠くから食べに来る客もいるんだとか。実際居合わせた常連に話を聞いたところ、開店当初から通っていて店主の人の良さについてもまるで旧友かのごとく話していた。
「どう、と言ってもですね。評判のいい居酒屋、としか言えません」
「ちゃんと確認しましたか? その目で」
「もちろん」
その目で、というのは向こう側を視て本性を確認したかということだ。俺の左目は鬼村のおかげで集中すれば向こう側──転外界を見通せるようになった。調査という名目であの居酒屋に行くようになってからは店全体も見渡したし、もちろん店主の花川さんもまじまじと視た。けど──
「確認はしましたけど、妖怪かどうかはわからなかったです」
「ふむ……そうですか」
深山さんは少し困ったように椅子に背を預けると、肩を竦めた。
「これがはっきりすれば動きようもあるかと思ったんですが。見張り担当からも特に目ぼしい報告はないですし」
「見張りなんて付けてるんですか……それ、俺が行く意味ないんじゃ?」
「いえいえ。毎日ぴったりと張り付くわけにもいかないですから」
にこりと笑ったものの、深山さんの顔色からは疲れが見て取れた。忙しいんだろう。今日もオフィスに人は少なく、外へ出ているようだった。
「花川が去年の<鬼の頭窃盗事件>に関わっているのは把握済みなんです。近辺で姿を捉えた監視カメラもいくつかありましたし。でも腑に落ちないことも多くあるんですよねぇ。今の段階では犯人と断定もできません」
「そう、なんですね」
できれば犯人などとは俺も思いたくない。あんなに気のいい人がそんなもの盗んで一体どうするつもりなのか。花川さんの人の良い笑顔が頭にチラついた。
「それに私としては花川が首謀者とは思えないんですよ。誰か他の者のサポートをしているようにも見えましたし」
「他の……」
「どちらにせよ、人間を捕まえるのと同様に花川を捕まえても、妖怪だった場合あっさり逃げられてしまいますし。対妖怪の捕まえ方というのも人手や時間が必要なのでそう簡単には動けません。引き続き桃間さんにはあの店に通ってもらって動向を探っていただきたい」
「あ……はい。行ける時でよければ、行きますけど……」
だが、どうにも騙しているようで胸が痛い。いや、騙されているのは俺の方なのかもしれないが。
「それで桃間さんへお伝えしたいことというのがですね」
深山さんは椅子から体を起こして前のめりになると、膝の上で手を組んで俺を見た。俺も合わせるように少し居住まいを正す。
「実はあなた方が九尾の妖狐と戦闘のあった数日前に、結界を何重にも張った神社から鬼の両足が盗まれていまして」
「それってもしかして、あの狐が使ってた妖力の結晶体ってのは鬼の……」
俺はそう言いながら、馬鹿でかい狐が指に嵌めていた指輪を思い出した。
「ええ、実際そのように妖狐が証言していました。戦闘時の状況は土御門さんの報告でしか聞いていませんが、かなり強い妖力だったことは確かですしね。それにどうやら以前の天狗の暴走時に使用されていた妖力の結晶体も、最古の鬼のものだったようなんです」
妖力の結晶体──あの時は土御門が攻撃して、指輪を上手く弾いてくれた。それで俺が刀をぶん投げて壊した──けど、あんなに上手くいくとは思わなかったな。コントロールが良かったのか。
「神社の結界を破壊したのは、この妖狐でした。これは間違いありません、妖力の残痕が残っていましたから。しかし鬼の両足を盗んだ当の犯人は──」
「あの狐じゃないんですか?」
「はい、どうやら違うようです。妖狐はあくまで結界の破壊のみ、鬼の両足を盗んだのは別の者らしく……未だ特定はできていません。また、これまでに起きている神社襲撃、窃盗事件とも、妖狐は関わりがないようでした。まあ嘘をついている可能性はもちろんあるのですが、他のことについては知らないの一点張りでほとんど何も話さないもので。鬼の妖力を一体どうやって結晶体にしたかもわかりませんし……誰からそれを受け取ったのかも話すつもりはないようでした」
「……あの、妖怪に尋問とかって効くんです? さっきも言ってましたけど、妖怪なら転外界へあっさり逃げたりするんですよね?」
「低級の妖であれば逃げないよう呪符や妖力で縛り付けて尋問することもできるんですが、あそこまで神に近い妖となればそう簡単ではありません。日本に数か所しかない<牢獄>と呼ばれる『転外界へ通じることのできない場所』に押し込んで尋問しますが、大抵の妖怪は死など怖がりませんからどうなろうと意に介さない感じですね。とはいえ、今回は少し卑怯な手を使わせていただきましたが」
「卑怯な手?」
「ああでも、今回の妖狐は最初こそ手こずりましたが最終的にはとても協力的な態度へと変わってくれました。桃間さんの勤務する高校へ出入りできるように要求された時は何を企んでいるのかと思いましたが……。そこはまあ、何かあっても妖狐と戦えるだけの駒が桃間さんの周りにはいるようですから然程心配はしていません。とにかく、土御門さんがいなければもっと難航していたでしょう。彼女には助けられました」
「はあ……」
よくはわからないが、深山さん的には丸く収まったようで良かったと思う。それにしても土御門にはあの狐が協力的、ってのは……玉萌杏狐のファンだからか? ファンは大事にしてる、ってことでいいんだろうか。
「ただ、あの妖狐に仲間意識のようなものがあるとは言えないので、他に手を組んだ者がいるにもかかわらず、何故そいつについての情報を少しも教えないのかわかりませんね。自分が不利な状況下に置かれた時点であっさりと言ってもおかしくないと思ったんですが」
「何か理由があるんでしょうか」
「考えられる理由としては、一つは『話すことができないよう何らかの力で口を封じている可能性』──ですが、あの妖狐よりも強い妖はそうたくさんいるわけでもないので、そんなに強い奴が出てくるのならもっと目立つような気もしますし……もう一つ考えられる理由は、『この状況を楽しんでいる』でしょうか」
「……楽しんでいる?」
俺はあの狐──いや、人間の見た目をした方の白井を思い出した。のらりくらりとしたような、どこか掴みどころのない雰囲気を感じたあいつならば『楽しんでいる』というのも理解できるような気がした。
「そういえば桃間先生は、明日から学校祭なんですよね? お忙しい中わざわざすみませんでした」
「ええまあ……忙しいのは俺よりも生徒たちなんで。今日もちょっと抜けてきたくらいですよ」
「ということはこのあとまた学校に?」
「はい」
と、返事をしたところでうっかり大きな欠伸をしてしまった。すぐさま「すみません」と謝る。
「随分お疲れみたいですねぇ……学校の先生は大変でしょう」
「大変ですけど、対妖情報機関、なんて仰々しいものに属してるあなたにそう言うのはちょっと気が引けます」
「はっはっは! いやいや、うちの大変さと学校の先生の大変さはまた別ですよ。いつもご苦労様です」
「どうも。まあ忙しいのは別として、最近は全然寝れてないのでそのせいですね」
「不眠症ですか?」
「いやー……どうも夢見が悪いようで」
「それはそれは」
「まあ、夢自体はすぐ忘れるんですけど」
俺が立ち上がると、深山さんはオフィスの外まで送ってくれた。エレベーター前でお辞儀されると俺もお辞儀を返し、乗り込んだエレベーターの扉が閉まった。小さく古いエレベーター特有のゴウンゴウンというような音が足を伝って全身に響く。もう一度、欠伸が出た。眠い。
俺は一階に着くまでの間しばし目を瞑った。
***
──その夜は最悪な気分で夢を見た。
俺はまた化学準備室の自分の席に座っていて、窓の方を向いている。
窓辺に置かれたソファの上には、『俺』。
「お前は俺の願いを叶える為にいる」
「願い?」
「尊いこの世界の為の願いだ」
「はあ?」
唐突に話し始めた『俺』に、俺は心底馬鹿にするような声で返した。だが『俺』は全く気にも留めず話を続けた。
「全ての悪を成敗する、それが俺の願いだ」
「悪? ……いや、お前もしかして」
頭に思い浮かんだことを言葉にできずに俺は『俺』を黙って見ていた。『俺』も、しばらくは口を閉ざして俺を見ている。野郎と見つめ合う趣味なんてものはないが、俺は椅子に座ったまま動けないでいた。
「悪とは鬼や妖だ。わかるだろう?」
「………」
「昔も様々な鬼や妖どもがそこらにいたが、今の世は比べ物にならないな。しかもどれもが『ぐちゃぐちゃ』と見た」
「ぐちゃぐちゃ……?」
言っている意味がわからずに、俺は言葉を復唱した。『俺』は肩をすくめるとおどけるように自分の目を指差した。
「俺はお前の目を通して世界を見ている。そしてお前も──俺の目を通して世界を見ている」
「どういうことだよ」
「前にも話したが、向こう側の世界に色がついて見えたはず。あれは俺の力だ」
『俺』の両目が、うっすら緋色を帯びて光が渦巻く。その渦に引き込まれるようで、俺は冷や汗が垂れるような気がした。
「──俺たちが住む場所とは違う悪しきものはああ見えるんだ。わかりやすいだろう? 悪が判別できるんだよ」
「……だから、その悪って言い方やめろ。別に鬼や妖怪にもそんなに悪気がない奴だって、いるだろ」
「はははは、悪気がない。お前はその悪気がない奴らに何度も殺されかけているんじゃなかったか?」
ぎゅ、と拳を握る。
何も、間違ったことは言われていない。
『俺』はゆっくりと俺の方へ近づいてくると、目の前で立ち止まった。
俺を見下ろし、顔を近づけてくる。
「今は鬼でさえも混沌としているな。あれでは他の妖と大差ない。……だが、あの鬼だけは唯一美しくも醜悪だ」
「はっ?」
とっさに訊き返したが、
頭に思い浮かんだのは
鬼村だ。
「何度も言っているがあれは早く殺せ。でなければどうにもならなくなるぞ」
「どういう意味だよ……!」
苛立ちが態度に出たが、『俺』はニタニタと愉快そうに笑って踵を返した。
「何、今は俺のおかげでお前は守られている。この世界もだ。まあただの偶然ではあるが……礼ならばいくらでも聞こう」
そう言って振り返ると、視界の端から光が迫り、『俺』の姿を覆い隠した。もうそこに俺に似た姿は影も形も無い。
光の中でそいつの声が全身に響き渡った。
「もう一度だけ、名を教えてやろう」
「私は桃間正義──桃太郎などという安直な名はこの正義には似合うまい」




