第83話 手の届く距離
「それで! 夏休み中桃間先生と進展あった!?」
興奮したみたいに凛菜があたしの顔を覗き込んだ。教室の中は騒がしくて凛菜がうるさくしても誰も気にしてないみたい。
こないだから学校祭の準備が始まって、放課後は教室に人が残るようになったんだけど、漏れなくあたしと凛菜と愛結も準備組。あとは部活に行ってたり、外に買い出しに行ってたり。で、今はクラスの出し物で使う音楽を選んでるところ。
「進展? ちょーありまくりだし。今~あたしとセンセーめっちゃラブラブだから~」
「ラブラブって? なに、桃間もいちゃいちゃとかすんの?」
「想像つかな~い! いっつもこんな顔してんじゃーん」
凛菜は自分の目元を指で引っ張って怒ったような顔を作った。
「そんな顔はしてるけど」
「これでどうやっていちゃいちゃすんの!? ウケる!」
めちゃくちゃ二人は笑ってるけど、あたしは今朝のセンセーを思い出してにんまりした。
センセーはあたしに「くっつくのやめろ!」とか、「いちゃいちゃはしない!」とか言ってくるけど、でもあたしが無理矢理ぎゅってしてもちゅーしても、何も言わないんだ。ただすっごく怒ったみたいな、嫌そ~な顔して……必死ににやつく顔を抑えてるって感じ。
そんなん可愛すぎじゃん?
今朝も玄関先で、あたしが不意打ちキスかましたら顔真っ赤にしちゃって……。
「ふふっ♡」
「あーっ、何一人でにやにやしてんのぉ~」
「内緒~」
大きく膨らんだ凛菜のほっぺを人差し指で押した。ぷすぅと音立てて空気が抜けると、愛結が隣で笑った。
てか、センセーと両想いになれて毎日ハッピーすぎるんだよね。このままいけば夜の相手だってそのうちしてくれそーじゃん? まあ、さすがにそれは今のところ全力で拒否られそうな感じするけど。でも晴れてそうなったらあたしはセンセーとの子どもを作ってそんでー……
──ガラララッ
教室の前側の戸が開いて、顔を覗かせたのはセンセーだった。
「お前らちゃんと準備してんのかー」
「「「してまーす」」」
何人かの重なった声が返事をする。あたしはセンセーが来たのが嬉しくってすぐに駆け寄った。
「センセ、センセっ♡ あたしに会いに来てくれたの?」
「んなわけあるか馬鹿。お前ちゃんとやってんのか?」
「やってま~す。てかてかぁ、このあと衣装とか考えるんだけど~、センセーは可愛い系とセクシー系どっちが良き?」
「高校生がセクシー系とか着るんじゃねぇよ。肌見せない衣装にしろ」
「センセーはしっかり着込んだ服を脱がすのが趣味……と」
「コラ! 誤解を生むようなこと言うな!!」
センセーがあたしと話してるのを見て、離れた席に座ってる凛菜と愛結が「教室でいちゃいちゃしないでくださーい」と囃し立てた。センセーはすごくイラついた様子で、「あまりうるさく騒ぐなよ」って教室全体に声をかけた。もう行っちゃうんだ。つまんない。そう思って化学準備室か職員室かに戻ろうとするセンセーを見送ろうとした時──
──ガシッ
強い力で、
センセーはあたしの手首を掴んだ。
「?」
「……!?」
見開いた目と、目が合う。
「ちょっとー、桃間先生ってばミキのこと連れてこうとしてる~!」
「学校でナニする気ですかー」
キャッキャと嬉しそうに周りの声が色めき立つ。あたしもそれに乗っかりたいところなんだけど、何も言えないでいた。
だってこの手、
──あたしの手首握り潰しそうなくらい力が入ってる。
「……っ!」
「センセ?」
まるでコントロールが効かないことに焦ってるみたいに、センセーは目を白黒させてあたしから離れようとした。何かがおかしい。
それからすぐ、勢いよく先生があたしの手を振り払った。驚いたように自分の手を見つめる先生は、少し……震えてた。
「………」
「ね、センセー。どうかし──」
「や、やること終わったら時間までに帰れよ!」
慌てて言い捨てるようにして、センセーは教室を出ていった。いつもならちゃんと戸も閉めていくのに、今は開けっ放しのまんま。
あたしは廊下に顔を出して、センセーの後ろ姿を見つめた。小走りで、スリッパの擦る音を立てながら、センセーの姿は見えなくなった。
このまま追いかけた方が良いのか、迷ってると後ろから声がかかった。
「ミキ~、どしたん?」
「あー……えーっと、なんでもない、かな」
「桃間も教室で手出してくるとか珍しいことするよね」
「ね~♡ 凛菜ちょっとこれから何始まるのかなってドキドキしちゃったぁ」
「始まったらさすがに問題でしょ」
いなくなった後も廊下を見つめてたけど、あたしはひとまず二人のところに戻ることにした。今のことは……あとでゆっくり話を聞くことにしよ。
***
──いつもより強く、スリッパの擦れる音が廊下に響き渡る。
こめかみに冷や汗が垂れるのを感じながら、俺は震える右手でポケットの中の鍵を握り締めた。
最近、鬼村を目の前にすると動悸がする。
恋心ってのを自覚したからかもしれない、と最初は思っていた。でも、違う。これはどう考えても違う。
手の中の鍵を使って開錠し、化学準備室のドアを開けた。その途端、開けっ放しにしていたらしい窓から風が入ってきてぬるさが頬を掠めていった。
椅子にどすんと腰を下ろして、まだ僅かに震えている右手を凝視した。俺の手だ。間違いなく。なのにさっきは『俺の手じゃなくなったように』感じた。
急に鬼村の手首を掴んで、
ありえないくらい力を込めて、
あのまま
どうするつもりだった?
……わけがわからない。一体何なんだ。
もう一度窓から風が吹いて、次は少し冷えた風が通り抜けた。
「よう、今日はやけに死にそうな顔してるな」
──俺しかいないはずのこの室内で、もう一つ俺の声がした。
窓辺のソファに、『俺』が座っている。
見覚えがある光景だ。
でもそれは
夢だったじゃないか。
「やめておけって言っただろ」
『俺』は笑いながらそう言った。それから俺を見つめ首を振る。呆れたように、馬鹿にするように。
「ああも汚らしいものに触られて平気でいられるお前の気が知れないな」
「汚らしい……? 鬼村のこと言ってんのか?」
固まっていた体が動き出したのは怒りによってだった。ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がる。戦う準備をしようとして、俺は右手に意識を集中させた。三匹を呼ぶのは時間がかかる。今はとにかく刀を出して、隙が出来たところで煙草を……
「…………出て、こない?」
右手の中は、いつまでも空っぽ。
目の前に有り得ない光景が浮かんでいるっていうのに、ここは転外界じゃないってことかよ……!?
「また変なタイミングで向こうに引きずられたのかと思ってたが……くそっ、違うのか!」
相手はこっちと同じ姿に化ける妖怪なのか!? とにかく戦闘に入れるよう慌てて煙草を取り出そうとしたが──それは叶わなかった。
「っ……っ!?」
手が、動かない。
「血の気が多いのは良いことだが、歯を剥く相手を間違ってる。話をよく聞け」
「……っ、くそ、何なんだよお前!!」
「お前が惚れたあの女は、邪に塗れた存在だ。そもそもあの世界の者たちはどいつもこいつも触れて良いものじゃない」
「はあ!?」
急に始まった講釈に俺は頭がついていかない。ただ、焦ったように手に力を入れ、それでも動かない体にさらに焦りが募った。
「お前も何度も見てるだろう? 淀んで、みすぼらしいあの世界を」
「何、言ってんのかわかんねーよ……!」
「おいおいほんのちょっと前のことだろ。脳みそ腐ってんのか? あちら側は赤黒くくすんで見え、空気は薄汚れていたはずだ」
「何を……言って……」
──ハッとする。
初めて転外界に引きずり込まれた時のこと。
空気が違い、辺りは赤紫色がかって見えた。
確かにそうだった。
最近は、あの時ほど重苦しい空気は感じなくなったけど……。
「今はそんな風に感じない! 向こう側だって普通の世界だ!」
「あの鬼の妖力に感化されたんだろうな。汚らわしい身体になったもんだ。だがそれじゃ困る」
はあー……と『俺』が大きなため息を吐いた。それからじっと俺を見た。ソファに座ったまま、でも、すごく至近距離で観察されているような感覚に吐き気がする。
「……前に言ったぞ。お前がそうしないのなら、俺があの鬼を殺してやると」
「くそっ、やっぱお前あの夢に出てきた奴かよ。何が目的で俺の夢に入ってくんだ! なんで俺の姿をしてる!?」
「これは少し借りているだけだ。最近はようやく筋肉もついてきて動ける体になったな、それを望んでいたわけではないが……まあ好都合か」
「はあ!?」
「あとは邪魔なものを片づけておけば、十分になると言える。さて、お前も『先生の仕事』とやらがあるんだろう。俺はここで退散しといてやるよ。何せ俺はお前の味方だからな」
じゃあな、と皮肉っぽい笑みを浮かべて『俺』は瞬きの間に消え去っていた。
制御できなかった体は急に権限を戻され、俺は変に力が入っていたせいで前に倒れた。床に膝を打ち、痛みを感じる。
「くそっ……あいつ、俺の身体を操れんのか……? じゃあさっきの、鬼村の手を掴んだのも……」
ぶるぶると震える手を見つめ、俺は呼吸が荒くなっていくのを感じた。
腕を掴んだ時の鬼村の表情を思い出す。
不思議そうに、でも、まったくもって俺を警戒する様子の無い顔。
この手がもし腕ではなく、
首に手をかけたなら……?
「……どうにか解決するまで、距離、置かねーと……」
ぐっと握り拳を床に押しつけ、ふらつく身体を起き上がらせた──。




