第80話 大学三年の夏
──これは、今からもう十三年程前の出来事。
手元でじゃらじゃらと音を立てながら麻雀牌をかき混ぜる。こたつになっている雀卓だが今は夏真っ盛りで暑い為その用途は必要ない。良い加減に混ざったかというタイミングで宅に座る四人が各々山を積み始めた。
「なーそういや今日桃間が女の子と三号館の教室で二人でいるとこ見たんだけど」
早々に牌の山を積み終えた金崎が新しい煙草に火を点けながら言った。
「え、何それ! 俺聞いてない! 一樹なんかあったん?」
追い打ちのように牧村も聞いてきて俺は口の端で噛んでいる煙草を更にぎゅっと噛んだ。
「っせぇーなぁ」
「その反応絶対なんかあったやつだろ。話せ話せ」
囃し立てるように俺の下家(右側)に座る相田が俺に向かって一つ牌を弾いて寄こした。足りなかった山に加え、俺も山積みを終える。
「スー……ハァー……今面倒見てる一年ゼミの女の子に告白された。振った。おしまい」
「ああー、桃間って一年ゼミのサポートに入ってんだっけ。あれバイト?」
「バイト。金出る。つっても少しな」
バイトだったのか~俺もやりゃ良かった、と金崎は心にも無さそうに言った。
「ちょ、なんでなんで振ったん!?」
「何でって……別にゼミの時にしか関わりないし、ってかそんなに知らん子だし興味も無い」
「一樹のそういう淡泊なとこが彼女できない原因だろ~!?」
「じゃあがっついてるけど彼女できない牧村は何なんだよ」
「カウンター喰らわすのやめてくんない!?」
牧村は「えーん」と何故かかわい子ぶりながら床に置いていたビールをぐいっと飲んだ。もう空らしい。すぐに次のを冷蔵庫に取りに行った。
「お前、こないだも告白されてなかったっけ。ほら、あのふわふわした服着てる子」
「英文科の子だっけ」
「なんでお前ら覚えてんだよ」
相田と金崎で勝手に盛り上がり、俺はこの部屋に二つあるうちの一つの灰皿で煙草の火を消した。
「可愛かったじゃん?」
「可愛かった可愛かった。授業被った時とかよく近くに座りに来てたよな~」
「その子も振ったんでしょ?」
「振ってたよな~、なんで?」
にたにたと笑う男二人が俺を見つめてくる。俺は軽く舌打ちをした。
「なんでって、別に好きでもなんでもねーやつに告られて付き合うやつどこにいんだよ」
「可愛ければ何でもいいと思いまーす」
「やだ~金崎くんサイテー!」
「……あいつ、人の股間触ってきたやべー女だぞ」
「「何それ!?」」
一気に目に光が宿ったように相田と金崎が身を乗り出して声を大きくする。時刻は現在午前三時二十分。麻雀を初めてからもう七時間程が経ちだいぶダレてきたところだが、どうやら燃料を投下してしまったようだ。
「振っても全然諦める様子ねぇし、めんどくせーし、『俺勃たねぇよ』っつったら握ってきたサイテー女だよ。で、挙句『なんで勃たないの!』ってドン引きしてくるし。いや俺がドン引きだよ。最悪すぎんだろ」
「やば~こわ~い」
「つか桃間じゃなくてもさー、いきなり触られて勃つもん? 無理じゃね?」
「俺はすぐ勃ちます! 金崎と違って女に不自由してるから!!」
「言い方」
「えー、てかさてかさ、桃間はマジで勃たないの? なんで? 病院行った? 真面目にEDなわけ?」
相田の質問攻めに俺は閉口する。が、後ろで立ったままビールを飲んでいた牧村が「相田は知らないんだっけ?」と俺の代わりに話し始めた。
「一樹、一回も勃ったことないらしいよ。すごくない? 高校ん時AV鑑賞会で無理矢理見せられても勃たなかったって!」
「そもそもAVも興味ねえっての」
「AV興味ない男とかいんの?」
相田は珍しい動物でも見るような目で俺を見た。対面に座る金崎はゲラゲラと笑っている。腹が立つ。
「桃間は一生童貞か~」
「うっせぇな、別にいいだろ」
「でも高校の時彼女いたことあるよね、一樹。前に卒アルで見た!」
「牧村、桃間のこと知り尽くしてんじゃん」
「へへーん、俺がこの中で一番付き合い長いから~。一年のオリエンテーションの時から一緒だもんね!」
「勝手にくっついて歩いてただけだろ……」
牧村が上家(左側)にようやく座ったところで俺は小さなサイコロを二つ投げた。出た目は十。相田がサイコロを拾い上げてもう一度投げた。……出た目は七。
「いぇーい俺が親~」
牧村がそう言ってサイコロを振ると、出た目を見た全員が順に山から牌を取り始めた。
「えー、それでそれで? エッチなことに興味がない桃間くんは高校生の時は彼女とナニしてたんだよ?」
「金崎ウザい」
俺が一蹴するも、相田も「ナニ! ナニしてたの!」と茶々を入れた。
「別に大したことしてねーよ。部活の先輩だったから、部活の後一緒に帰ったりとかそれくらいで……大体、そんなに長く付き合ってもいないし」
「なんで別れたん? 桃間がEDだから?」
「そっ……! ……れは、まあ……」
そうなんだぁ、という顔で相田と金崎は可哀想なものを見る目で俺を見た。苛立ちを覚えつつも反論はしない。その通りだから。
「で? その彼女どんな感じだったわけ? 可愛い系? 牧村は見たんだろ?」
「めっちゃ美人だった!」
「美人系が好きか~。最近見た女教師もののAVでめっちゃ美人いたから見る? 今からかけよっか?」
「いらねっつってんだろボケ!」
「やだぁ桃間がキレた~」
この部屋の家主である相田が近くのノートパソコンに手を伸ばしたが俺の喝によって笑いながら手を止めた。
そのうち誰もが静かになり、また各々が煙草の煙にまみれ、「ポン」「チー」という声が飛び交った。その局は誰も上がらずに流れ、次の局が始まる。俺の配牌は悪くない。満貫でサクッと上がろう。
「えー、でさぁ、桃間はなんで高校ん時彼女できたわけ?」
「……別に、周りが彼女できたとか話してるし、それなりに好きだった先輩から告白されたから、付き合ってみた感じ」
「あーよくあるやつー」
金崎はつまらなさそうな反応をしたが、俺もそう思う。よくあるやつだ。
──高校ではバスケ部で楽しくやっていたが、そこでやたらと話しかけてくれたのが一つ上の先輩だった。俺が二年になって先輩も部活やれるのもあと少し、って時に告白された。正直な話、受験もあるわけだし、長い付き合いなんてのは無理だろうなってのは頭の片隅ではわかってた。けどやけにぐいぐい来る上に俺も後輩ってのがあって無下に断るのもできなかった。まあ、ある程度好きだったし。なんならさっき牧村が言ってたように美人だったから悪い気はしなかったんだ。
部活の後は同じバスに乗って帰った。先輩が途中で降りるまで、隣の席に座って話す、みたいな。手を握られたりして多少恋人っぽい感じはあったと思う。でももうすぐ三年生も引退、って時……俺は先輩に手を引かれてバスを降りた。先輩が降りるバス停で。
その日は先輩の両親の帰りが遅いとかで、「家に来ない?」とそこで言われた。そういうことだってのはさすがの俺でもわかった。手を引いて、恥ずかしさを隠すかのように俺の前を歩く先輩。顔が見えなかったけど、俺も見られたくなかった。
だって
これからヤる、ってのはわかったけど
俺、
勃つのか?
今まで女子とそういうことになる機会がなかったから、自分一人でしか触れることのなかったコレ……今までは自分でだったから、勃たなかったんじゃ?
もしかすると、好きな女子に触ってもらえるなら──?
そんな期待と性欲が入り混じったような感情を持ちながら
辿り着いた先輩の家で
やたらといい匂いのするベッドの上で
俺を押し倒す先輩の手で
触られた
ソレ。
「……私のこと、好きじゃないの?」
制服を脱いだ下着姿の先輩が、
怖がりながらも執拗に触っていた先輩が、
全く反応しないソレに眉根を寄せた。
「私、そんな魅力ないわけ?」
「……最悪」
──苦い思い出を煙草の味でかき消した。
「ツモ、六千オール」
「うわ、桃間の独り勝ちじゃん」
「はいはいみんな点棒出して~」
上手いこと一位で終えた俺は冷蔵庫に入れていたジュースを取りに行った。点数計算はあいつらに任せる。缶がプシュ、と音を立てて開くとそれを喉に流し込んだ。
「桃間今日全然飲まなかったんじゃね? ビールいっぱい買ってきたのに」
ふいに金崎に声を掛けられ、缶から口を離した。
「今日はこの後早朝バイト」
「は!? マジ!? 徹夜麻雀のあとにバイトとかだるいだろ」
「別に。どうせバイト終わったら帰って寝るし」
「体力あんな~。俺なんて寝ないと無理すぎだけど」
「最近寝る方が体調悪くすんだよな。寝起きしんどい」
「一講の時の一樹、めっちゃ機嫌悪いよね~。こないだすげー顔で睨まれて笑った!」
「謝っただろ……」
ゲラゲラ笑う男だらけの部屋。
煙にまみれて、下品な言葉が飛び交い、ビールの空き缶をその辺に転がす。
別に悪くない学生生活。
これからも多分、男とだけ付き合いを続けてくんだろう。
別に女と付き合わなくたって生きていけるし。
今の時代独身なんて山ほどいる。俺もその中の一人になるだけだ。
卒業後どうするかとかもまだ朧気で明確な未来図なんてものは浮かばないけど。
それでも
多分俺は一人でやってけるさ。
***
──目を開ける。少し黄ばんだ天井が見えた。
昨日で夏休みが終わり、今日から通常授業だ。校内は騒がしくなるだろう。いや、校内でも、か。
「センセ! おはよ!」
天井だけだった視界に、鬼村が入り込んでくる。
「今日からセンセーと一緒に学校行けんの楽しみすぎて早くに来ちゃった~♪ 朝ご飯作って食べちゃう?」
「寝起きは腹減ってねーっつの」
「てかてか~なんで両想いになったのに一緒に寝ないわけ? 一緒に暮らしてよくない?」
「いいわけねーだろ馬鹿!」
俺が布団から起き上がると、きょとんとした顔の鬼村がそこに座っている。それから緩みきった顔で笑った。
「あはは、センセー朝からめっちゃ元気じゃん」
何が面白いのか、ケラケラと可笑しそうに笑いだす鬼村に苛立つ。苛立つ……けれど。
──俺は緩みそうになった頬を手で覆い隠した。




