第79話 すももと桃と
わたし、すもも。
このお名前をもらったのはつい最近のことで、くれたのはわたしが大好きな桃君!
桃君はわたしのご主人様で、とっても長い間一緒にいるの。
って言っても、ほとんどはぼんやりしててあまり覚えてないんだけど。
覚えてるのは、桃君が私に美味しいものをくれてそれから一緒に怖い鬼をやっつけた時のこと。
そして、不思議な煙の身体になって今の桃君と一緒にいるようになってからのこと。
最初の桃君は、元気で、強くて、あと何だか不思議なお話をするひとだった。
今の桃君はー……なんだかすっごく疲れてて、ちょっと怒りっぽくて、でも……優しいひと。
どっちの桃君も、桃君だから、わたしは大好き!
別人……らしいんだけど、ちょっとよくわからない。違うのはわかるけど、でもやっぱりおんなじ。
だから今日も、桃君の腕にぎゅっと抱き着いてるの!
「……すもも、ちょっと離れてくれないか」
!!!!!
わたしは開いた口が塞がらなかった。大好きな桃君と、離れなきゃいけないなんて!
「あのな、体温は全く感じないけど、さすがにこうもべったりくっつかれると暑い気がしてくるんだよ」
桃君はそう言った。
こないだから桃君がお仕事する学校は『夏休み』っていうのに入って、桃君にくっつく時間が増えた。わたしは気温っていうのを感じないからいいんだけど、桃君や人間はこの気温に体調が左右されるみたい。
桃君が具合悪くなっちゃうなら、私は諦めて離れるわ。
でも
でも……!
『わ、わたしには桃君だけなのに~!!』
「なっ……すもも!?」
走り出すわたしの背に(たぶん)慌てる桃君の声が届く。
でもわたしはそれを振り切っておうちの玄関からお外へと出ていった。
今は、今はお互い離れる時間が必要なの! きっと!
少し冷静になれたらちゃんと帰ってくるから
待っててね、桃君……!
『……桃様、すももはどうせすぐに帰ってきますわ』
「ああー……あんずがそう言うなら、いいか」
『ご主人! まろんもお散歩行きたい!』
***
走って走って走って、大変ちょっと煙が薄くなりかかってるかもって思った時──わたしは全然知らない場所にいた。
もう夜だっていうのにそこかしこが何だか明かりでピカピカしてて、
たくさんの人間が忙しそうに、それかお喋りしながら歩いてて、
わたしはすっごくドキドキした。
『桃君とあの鬼について時々行く街っていうのみたい。お店がいっぱい並んでる……』
煙の姿のわたしに人間たちは全然気づいてる様子はなかった。でもわたしは邪魔にならないように道の端っこを歩いた。
なんだかよくわからないけれど、透明な壁の向こうに見える可愛くてキラキラしたものがわたしの目を奪った。
その時わたしの後ろをカツカツって音を立てて歩く人間が通り過ぎたの。
はっとして振り向いたら、前につんのめっちゃうような靴を履いてる人間が通り過ぎてった。いつも桃君にべったりなあの鬼も、あんな靴履いてるわ。でも、着てる服はちょっと違うかも。なんだか白くて、いっぱいふわふわしてて、すっごく可愛い。
わたしも、あんなの着てみたい。
それからすぐ近くのお店に、今の人間が着ていたみたいな服が置かれてたの。
真っ白な布、
ふわふわのスカート、
肩まわりはフリルっていうのが可愛くて、
頭にはお姫様みたいなレースの飾り。
可愛い。すっごく可愛い。
これは人間サイズだけど、私にぴったりのサイズがもしもあったならこれを着たら桃君はなんて言ってくれるかしら!
──すももは何着ても可愛いなぁ。
──こっちのピンクのも着てみるか?
──え? ははは、遠慮しないで着ればいいだろ。
──ほら、どれが好きなんだ?
…………ぷしゅうううう、と全身が音立てるみたいに煙が揺らめいた。も、桃君ならきっと褒めてくれるわ。そうよ、とっても優しいわたしの大好きな桃君だもの。
そう、
とっても
優しい。
『………』
透明な壁の向こうを見つめながら、わたしはぼんやりと<桃君>を思い出してた。
なんだかとっても遠い記憶になってしまった桃君。
今の桃君に会うまでは、ほんとについ最近のことのように覚えていたのに。
今じゃお顔もおぼろげ。
わたし、桃君が本当に好きだったのよ。だって、王子様みたいだったんだもの。
すごく強くて、かっこよくて、向かってくる敵全てをなぎ倒すの。
ぼろぼろになったわたしをひと撫でするだけで傷が癒えていって、温かい気持ちになったわ。
ああわたし、
このひとの為に産まれてきたんだって、思うくらい。
思うくらい……
『桃君はどうしてその鬼を倒そうと思うの?』
『そりゃ悪い奴だからに決まってるだろう? あの鬼がまき散らしている瘴気は人間には毒で、このままだと作物も良く育たない。人間が死ぬか、鬼を倒して平和を取り戻すかの二択だ!』
『そ、そうなんだ……わたしたちの群れがみんな倒れてったのも、鬼が原因?』
『そりゃそうさ。でもお前は、私に出会えたから良かったな』
『もちろん!』
頭をくしゃくしゃに撫でてくれる桃君にわたしは嬉しくなって、でも恥ずかしくって、お顔の前で手を組んだ。
桃君は向かってくる他の妖怪や鬼を簡単に薙ぎ払った。
刀も持ってたけど、それを使うよりも前に敵はあっという間に消えてったの。
わたしや他の二匹はなるべく桃君に敵が近づかないように戦った。
そしてあの
あの
とっても大きくて
とっても恐ろしい声を上げる鬼の前にやってきた。
桃君は刀で鬼を切りつけたわ。
鬼はとっても強くてなかなか刀の攻撃を受けなかったけど、
ほんの爪先が桃君の刀によって切られた時──
落ちてきた何かを見つめて桃君は、
………………血走るような目で笑ってた。
『……!』
ぶるぶるっと体が震えて、わたしはまたガラスの向こうの可愛らしい服に目を奪われた。
いつかこんな服着てみたいなって桃君に言ってみよう。
い、言えたらの話だけど……桃君の前でだと恥ずかしくってもじもじしちゃうから。
えへへ、っと小さく笑ってわたしはもうおうちに帰ろうとした時──
「かっ……かわいい……もふもふ……お、お猿さん、迷子かい……?」
わたしに声をかけられているような気がして、見上げてみたの。
そうしたら
わたしよりもとてもとても大きくて
すごくすごく怖い顔をしていて
何故だかぽっと顔を赤らめた──
「キィイイイイイイ!!!!! 鬼ぃいいいいいいい!!!!!!!」
人間の姿の奥に、真っ赤な鬼の姿が視えた。
ううん、視るより先に気配でわかったわ。ものすごく強大な妖力だったから。
戦おうかどうしようかと思ったけれど、わたしはそこから逃げ出した。
わたし一匹で戦うよりも他の二匹や桃君がいた方が絶対良いもの。
鬼はやっぱり怖いわ。
桃君があの鬼女に食べられないように気をつけなくっちゃ……!
***
「はあ? フリルのドレスをすももに? 何でまた」
わたしが桃君のおうちに帰ると、桃君は誰かとあの小さな箱でお話してるようだった。スマホって言うんだったかしら。
「いやダメじゃないですけど……そもそも煙の身体で服って着れないんじゃ……お、すもも、おかえり」
桃君はわたしに気が付くと口の端をちょびっとだけ上げて笑いかけてくれた。それからまたお話を始めると、「今度会った時に話を聞きますから、豪鬼さんに言っといてください」って言ってスマホを置いたの。
「あー、すもも、さっきはごめんな」
「えっ?」
桃君は左腕を少し上げて、「ん」と言った。
「ほら、しがみついてもいいぞ。……まあ、夏場はやっぱ暑い気もするからちょっと頻度減らしてくれるとありがたいけどな」
「! い、いいの?」
「まあこれも飼い主の仕事なら」
肩をすくめる桃君に、わたしはすぐに飛びついた。
だいすき、だいすき、だいすき!
優しくてあったかい桃君がわたし、だいすき!
「……わたし、これからも桃君の役に立つようがんばるから!」
「おお、そりゃ頼もしいよ。俺は弱いからよろしく頼むな」
「もちろん!」
自分のことを弱いっていう桃君、<桃君>とは違うけれど……それでもわたし、桃君が大好き。
絶対絶対、守りきって見せるわ。
「──あれー、なんか今日すももちゃんいつもよりセンセーにしがみついてない? あたしもセンセにぎゅってしちゃおーっと!」
「するな! 離れろ!!」
怒った桃君の代わりに、わたしは甲高い声で鬼に威嚇をした。
「わたしの桃君に触らないでーっ!!」
……でもわたし
今の日常っていうのが楽しくて好き!




