第78話 目が合えば
──薄明りの中で目を開ける。時刻は昼の十二時。良く寝た、とは思わない。何故なら寝たのは朝方だ。
「……いっ、痛つ……」
腰を摩りながら布団から体を起こせば気怠いながらも伸びをした。夜中に白い九尾の化け狐に襲われたのは昨夜の話だ。そして今日は当たり前に仕事。もっと俺の日常生活に配慮してほしいもんだが……。
適当に身支度を済ませ、空いていない腹に飯替わりのニコチンを満たす。大きなあくびをしつつも玄関を出れば、鍵をかけてさあ出発。
「………」
──というわけにもいかず。
通り過ぎてしまおうかと思っていた鬼村の部屋の前まで戻ると、俺は一応誰かに見られていないかを確認し、ポケットから取り出した鍵でそのドアを開錠した。
「……鬼村ー?」
ドアを開けて中に声を掛けてみる。だが、返事はない。
昨日はあのあと落ち着いたようにあいつはすぐに眠ってしまった。妖力を戻したのが良かったんだろう。規則正しい呼吸音を聞いて安堵した俺は部屋を出ることにしたが、もし何かあった時の為に……そう思って、鍵を少し借りていたんだ。
「鬼村、まだ寝てんのか?」
なんとなく心配になり玄関口で靴を脱ぐと中へと入っていった。うちと反対の間取りのこの部屋に入るのはこれで三度目か? 鬼村が寝ている部屋まで行くと、戸口から顔を覗き込んで中の様子を窺った。
昨日と同じ鬼の姿で、そこに寝ている。
「………」
そっと近づいて、呼吸音に耳を澄ませた。……息してるか?
音を立てないよう顔に耳を近づけてみる。
「──センセ、寝込み襲いに来たの?」
目が合う。
ほんの三十センチほどの距離で。
「……ばっ、おまっ、起きてんなら言え!!」
「えー今起きたんだって」
俺が慌てて離れると、鬼村は本当に今起きたというようにうんと両手を伸ばした。
「はあー、なんかだいぶラクになったかも~」
「そりゃよかったよ。じゃ、俺は仕事行くから」
「あー待って待って! まだ全然本調子じゃないから!」
「じゃあ寝てろ」
「そーじゃなくってぇ~」
鬼村はベッドに腰かけると、立っている俺を見上げた。すぐに何か話し始めるかと思いきや、何も言わずに俺を見ているだけだ。
「……何だよ?」
「ふふ、昨日のことぜーんぶ覚えてるよ♪」
「………」
鬼村は何やら含み笑いを浮かべると、俺の腕を掴んだ。
「センセーからキスしてくれた♪」
「違う、あれは人工呼吸だ」
「はー?」
「お前の命を助ける為にやったことであって男女の性愛的な何某かではない」
「うわーなんかめんどくさいこと言っちゃって」
鬼村は頬を膨らませ、少し怒ったような顔をする。それを見つめ、俺は唇をきゅっと結んだ。
「でもほんと、センセーのおかげで助かっちゃったなぁ~。あのままだったら元に戻るまですっごく時間かかってたし~、その間に敵に襲われたらヨユーであたし消えちゃってたわけじゃん? だからすっごく感謝してんのー」
ギャル特有の、というべきか。この語尾を伸ばす話し方からは危機感を感じられないが……それでも事実としてこいつが危ない状況だったことはわかっている。
そう思うと、昨日安堵した気持ちがまた蘇ってきた。
何も言わない俺に首を傾げる鬼村の頭へ、右手をぽんとのせる。それからわしわしと撫でてやると「ちょっと髪ぐしゃぐしゃになるんですけど~!」と鬼村は言った。
「……もう、いらないからな」
「えー?」
「その、お前の力はもういらない。……少しは戦えるようになったと思う」
「へぇーそうなん? ただキスするの恥ずかしいからじゃなくて?」
「そういう話じゃない!」
「うわ怒んないでよ」
俺は力任せに鬼村の頭をわしゃわしゃと撫でた。
何やら楽し気に笑い始めた鬼村を見下ろしながら、俺はつい一週間ほど前の……豪鬼さんと屠鬼さんの家でのことを思い返していた。
『──お前は己の娘を守らなくてはならない』
『守るったって……災厄って、災害とかでかい問題を起こすような奴、どうすりゃいいんですか』
『婿になろうという男が弱音か』
豪鬼さんはそう言って俺を睨みつけたが、そこで怯む程軽い問題ではなかった。少し戦えるようになっただけの、ただの人間である俺に<鬼の災厄>なんてものをどうにかできる気はしない。ほとんど自然災害だぞ。それにだ。
『そもそも、俺が婿になるって話は事実じゃなくてですね……!』
ここですっぱりと否定しておこう、そう思ったのだが。
『──でも美鬼のこと好きでいてくれてるんでしょう?』
屠鬼さんの言葉に、俺はぴたりと動きを止めてしまった。目が合うと、にこりと笑う慈母にも思える黒い鬼の姿に言葉が詰まる。
『桃間さん、あのね。私やこの人は、確かに昔多くの災厄を振りまいていたわ。けど、今は違うの。人間の言葉を使うなら、「憑き物が落ちたみたいに」って言うのかしら……。まるでしがらみのない<人間>になったみたいに今は暮らしているわ』
『人間に、なったみたいに……?』
『ええ、だからね桃間さん。あの子が持っているものを誰かが受け止めなきゃいけない時、あなたにお願いしたいのよ。ね、きっとあなたならできるはずだわ。
──他でもない美鬼が選んだのだから』
──そこでハッと意識が現在に引っ張られた。俺が乱暴に撫でた鬼村の髪の毛はぐしゃぐしゃになり、鬼村は呆れたように結ったままだった髪を解いて手で梳いている。
「……悪い」
「センセーがこんなにあたしにかまってくれんの、初めてじゃん?」
「そ……うだっけ?」
「何ー? なんか心境の変化、ってやつー? それとも、あたしが死んじゃったらどうしよーってやっぱ不安になってた感じ?」
「心配くらいは、するだろ」
「あはは。素直なんだか素直じゃないんだか~」
可笑しそうに笑っている。でもどこか、元気はない。さっき自分でも言っていた通り、まだ本調子じゃないんだろう。
「今日は一日寝とけ。あれだ、狗谷木でも呼んで──」
狗谷木でも呼んで少しは面倒見てもらえ、そう言いたかったが俺は迷った。狗谷木に任せて本当にいいのか。あいつが鬼村に懐いているのはもちろん知ってる、が、『監視目的で作られた』なんて話を聞いた以上……弱った鬼村と二人きりにしても、いいものなのか。
「………」
「……センセ?」
不思議そうに俺を覗き込む鬼村に、俺は……
「──今日は休む」
「え?」
きつく締めていたネクタイを緩め、鞄を床に置いた。とりあえず出勤予定だったわけだし学校には連絡しておかないとな。
「ちょ、ちょっとちょっとセンセ! なになに、どしたん?」
「いいからお前は寝てろ」
「はあ?? え、てか何。あたしのことほんとに心配で休む感じ? 全然元気だって! 鬼だよ? センセーと違って、あっいやセンセーも頑丈だよね、じゃなくて、もう力だってちょっとは戻ってるわけだしなんとも──」
背を向けた少しの間に電話をかけ終え、鬼村の方を振り返る。
目を丸くして見上げている姿に、俺は目を細めた。
「──あ、え、センセーもしかして……
……やっとあたしのこと好きになってくれちゃった感じ?」
半分にやけたような顔が、そう言った。
その表情に少し腹が立つ。
「えーうそうそ! ほんと? ねぇねぇあたしのこと好き? ねえ好き!?」
突然ベッドから立ち上がった鬼村が迫ってきた為、刺さりそうになる角を避けようと俺は顔を背けた。興奮気味なこいつの声は寝不足の頭にガンガン響く。
「マジでマジで嬉しいんだけど! え! てかガチめにドキドキする! はっきり両想いってわかったらこんな嬉しいもんなん!? やっば! もーなんでなんで!? 好きってなったのどの時点!? もっと早く言ってよ~!!」
がばっ、と鬼村が俺に抱き着いてきた。そして力任せに前後に揺らされる。ぐらぐらと眩暈がして吐き気がしてくる。やめろ。
「センセ!」
「あ?」
呼ばれて、
仕方なく目を合わせる。
「センセ、好き♡」
「………」
「ね~好きって言ってくんないわけ~? あ、それとも恥ずかしい感じ?」
鬼村は何か思いついたようににやりと笑って、目を瞑った。キスをねだる顔だ。さすがに俺でもわかる、が、その唇を手で塞いでやった。
「むー!」
「しないぞ」
「ん、ぷはっ! なんでなんでー? 好き同士なのになんでイチャつくのダメなわけー?」
「お前が人間としてうちの高校通ってる以上は! 卒業するまで禁止!」
「はあ~? じゃあもう学校通うのやめちゃおっかな」
「一度始めたことを投げ出すんじゃない」
「めんどくさいな~。てかキスくらい良くない? しかも今人間の姿じゃないじゃん?」
「だとしても良くな……うわ!」
ぐるんっ、と急に視界が反転すると、そのまま後ろへ倒れていきベッドの上に体を打ち付けた。スプリングがいくらか衝撃を吸収するとはいえ、思わず「ぐえっ」と潰れたような声を上げてしまう。
「……お前! 本調子じゃないって言ってたろ!」
「だから元気ってさっき言ったじゃん。センセーよりは体力あんの」
「このやろっ……」
「ね、センセ。あたしね、ほんとにセンセーが……一樹が好きなの。信じて」
やけに真剣な表情でそう言うと、鬼村は俺の頭を抱えるようにして抱きしめてきた。でかい胸の圧迫感が苦しい。
「ちゃんと一樹が大事。だからほんとにあたしのこと好きになってくれたんなら、言ってよ」
身体が離れて、俺を見下ろす。
切実そうに、
懇願するように、
俺を見るな。
湧き上がる感情に唇をぎゅっと噛んだ。
今まで何度もそうしてきたように。
「──好きでわりーかよ」
蕾だった花がまるで一斉に咲き出すかの如く、鬼村の表情が綻ぶ。
そして先ほど俺の提示した条件など無視するように、柔らかく厚みのある唇を押し付けてきた──。
こいつは何の鬼かわからない、
いつ災厄を振りまくかわからない、
どんな危険をどの程度の範囲に巻き起こすのかも。
それを改めて知った上で、結局俺はこいつから目を離せないでいる。
今まではあの手この手で迫ってくるこいつに「流されてたまるか」と思っていたけれど……
もう、気持ちに蓋をするのは難しい。
こいつがいくら強くて頑丈でも、命を落とすんじゃないかと不安になるし。
わざわざ俺の為にと料理を作る様子はつい気になって見ていたくなる。
他の奴と話していると妙に気にかかって聞き耳を立ててしまうし。
嬉しそうに笑いかけられれば、思わず顔が緩む。
例え人間の姿でも
この鬼の姿でも
俺の心を搔き乱すことに変わりはない。
もう無理だ。
この先まだ何が起こるかわからない。
俺が命を狙われるだとかっていうことに加え、あの九尾の狐が何か知っている様子を見るにこいつに何か起こることも考えられる。
豪鬼さんや屠鬼さんが言うように、俺が守れるもんなら守りたいとも思う。
俺が、なんとかできるなら。
──唇を離し、俺を見下ろして鬼村は額を撫でてきた。
「一樹」
口づけをしたその唇から俺の名前が発せられる。
うるさく静まらない鼓動を俺自身ではどうにもできなかった。
どうにもできないから
代わりに腕で視界を覆って、
照れ隠しの悪態をつく。
「……昼飯用意してやるから、どけ馬鹿」
真っ暗になった視界に、聴覚だけが鋭く稼働する。
『……美鬼は殺せ』
『俺があの鬼を殺してやる』
──嘲るような俺の声が、部屋中に響き渡った気がした。
来週は幕間のお話2話更新です。
その後は1週間お休みをいただいて6/12(金)~第五章が開始します。
よろしくお願いします。




