第72話 微睡
──もう何曲目かわからない凛菜選曲のカラオケが始まって、あたしはもうほとんど空になったジュースをストローで啜った。今日はうちのクラスの女子数人と隣のクラス男子数人でカラオケに来てる。だから案内された部屋はパーティルーム。初めて入ったけどめっちゃでっか。最高じゃん。なんで隣のクラスの男子とカラオケ来てんのか~ってのは、なんか凛菜が仲良い男子と合コン(笑)しよってことになったらしくって、今に至る的な。合コンって。まー別にただ遊びたかっただけっぽいんだけどね。
で、今あたしの隣には天がいる。
「ねー美鬼ちゃん美鬼ちゃん次これ歌って!? オレ美鬼ちゃんが歌うとこ見たい~」
「あたしその曲知らなーい」
「じゃあなんか食べる!? オレ部活のあとだから腹ペコでぇ~」
「勝手に食べればいーじゃん」
隣のクラスでは天があたしにベタ惚れ、ってことになってるらしいからほとんど強制的に隣に座らされたんだけど~……めんどくさすぎ。カラオケに来てからもう三時間はずっと隣でうるさい。まー別に慣れてるから気にしないっちゃしないんだけど……
「そんでさあー、こないだ部活の時にー……」
喋りっぱなしだった天の声が途中で止まった。手に持ってたメニュー表もいつの間にかテーブルに置かれてて、隣を見たらなんか……眠そうに目を擦ってた。
「……?」
「んー……あ、ごめんごめんそれでね!」
天は何事もなかったみたいに話し出して、またうるさくなった。でも見てると……どうも眠たそうな目をしてて。
「──ふわーああ」
大きなあくびをして、ちょっと困った顔で笑った。
「なーんかここ最近めちゃくちゃ眠くて~。なんでだろ」
そういえばこないだあたしも海の帰り車の中で寝てたっけ。別に寝れないわけじゃないけど……寝るつもりなんて全然なかったのに。なんで寝てたんだろ。寝なくても別に、困らないのに。
「……ん、ふああ……」
気づいたらあたしは、天みたいなあくびをしてた。
「あ、美鬼ちゃん伝染った!」
「え?」
「あくびって伝染るんだって! こっち来てから教えてもらったんだ~」
「………」
にこにこと笑う天に、あたしは茫然とする。
あくびが伝染る?
なんで?
そう思った時、テーブルに置いてたスマホが震えた。画面を見たら、センセーの名前。
『いつまで遊んでんだ早く帰れ』
そんなメッセージが来たもんだから時間を確認する。なんだ、まだ八時半じゃん。高校生はこの時間まだカラオケで遊ぶの許されてるんですけど~……なんて思ったけど、あたしは鞄を持って部屋を出ることにした。
「愛結~、お金ここ置いとくね」
「え、帰んの?」
「なんか疲れた」
「えー! 美鬼ちゃん待ってオレも一緒に帰る!」
──天が何か言ってたけど、あたしは放っといてさっさとカラオケ屋を出ていった。
***
「……お前、うちに来るなり寝てんじゃねーよ」
センセーの声が聞こえた。あれ、あたしどうやって帰ってきたんだっけ。視界がぼんやりする中でごろんと寝返りを打ってみたら、あたしはセンセーの部屋の布団の上で寝転んでた。
「ったく、夏休みだからって毎日遅くまで遊んでんじゃねーぞ」
「毎日じゃないしぃ。ってか、センセーだって夜遅くまでいない時あんじゃん」
「俺とお前じゃ違うだろ」
「何が違うんだか~」
枕に頬を擦り寄せたら、センセーの匂いがした。すんすん、って嗅いで、明るいリビングの方にいるセンセーの背中を見つめる。煙は見えないから、煙草は吸ってないんだと思う。センセー、あたしが来るようになってからいっつも換気扇の下で吸うようになった気がする。あたしの為? 別に気にしなくていーのに。あー、丸まってるあの背中にぎゅって抱き着きたいなぁー、そういえば海行った時にハグしたっきりじゃん? えー急にしたくてたまんなくなってきた。てか頭はこんだけ回るのに体全然動かない。センセー、って呼ぶ元気すら全然ない。瞼も重くて開けてらんないし、もう、何これ。
「……おい、だから寝るなって」
「ん、んんー……なんか今日は、眠いのぉ……」
「はあ?」
「一緒に寝る~?」
せっかく聞いてあげたのに、センセーは全然返事してくれなくって。あんまり静かな時間が流れてくから、あたしはそのまま意識を手放しそうになった。
「……っ?」
ふいに、身体が持ち上がる。うっすらと目を開ければセンセーがあたしを抱き上げてた。
「ええ~、センセーめっちゃ力持ちじゃ~ん」
「黙ってろ。言っとくけどお前重いからな!」
「女の子に体重のこと言うのサイテー」
そうは言ったけど、別にセンセーのことサイテーとか思ってないし。眠たいあたしを抱えて部屋を出ていこうとしてるから、多分、あたしの部屋に連れてこうとしてるんだと思う。あたしはうっかり落とされちゃわないようにセンセーの首に腕を絡めて抱き着いた。
「ッ!」
センセーのちょっと息を呑んだみたいな声が耳元で聞こえた。でも、眠すぎて全然反応とかできない。
「……おい、部屋の鍵は」
「んー、開いてるから入って~」
「不用心すぎるだろ!」
文句を言いながらもセンセーは部屋を出て隣のあたしの部屋の玄関ドアを開けると、真っ暗な中進んでいった。
「お前、起きてんなら歩けよ」
「やだぁ、センセーに抱き着きたかったから今めっちゃ幸せなのー」
「はあ?」
「このままあたしの部屋で一緒に寝ようよー」
「………」
すぐにいつもの拒否反応が聞こえてこなかったから、もしかしてアリだったりする? とか期待したんだけどー……なんかドサッて結構乱暴にベッドに下ろされてあたしは目を開けた。
「ちょっと」
「一人で寝てろ!」
「もー、優しくしてよね~」
「ったく優しくされたかったらそれ相応の態度をしろ!」
「それ相応って?」
どうしたらいいのか聞いただけなのに、センセーは何も考えてなかったのか暗闇の中でしばらくあたしを見つめた後で、「知らん!」って突っぱねた。ひどくない?
「えーじゃあさーあたしが寝るまで一緒にいてよー」
「はあ!?」
「ねーお願いーそれで許すからぁー」
「許すってなんだよ……」
センセーは長~いため息を吐いたかと思うと、ベッドの横に座った。
「……ほら、寝るまでいてやるから。早く寝ろ」
「えー優しい。どったの?」
「お前が優しくしろって言ったんだろ」
うっすら開いた瞼の隙間から、センセーがあたしを見てるのが見える。電気のついてない暗闇でも、あたしはセンセーのこと、ちゃんと見える。もちろん鬼だから、ってのはあるけどー……人間の真似をしたこの目でも、ちゃんと見えてるよ。
「手、繋いで」
「………」
「手」
「お前ちょっとわがまますぎるんじゃねーの……?」
センセーのすっごく嫌そうな声。それなのに、あたしが出した手の上に冷たくて大きな手が重なったから、ちょっとびっくりしながらもぎゅっと握った。センセーは何も言わなくて、ベッドの上に肘を付いたかと思うとあたしとは目を合わせないようにカーテンの引かれてない窓の外を見つめてた。
すっごく眠たいんだけど、すぐには寝れなくて、ぼやけた視界の中でセンセーを見つめてた。ぜーんぜんこっち見てくんないし、喋ってくんないし、ほんとにあたしが寝るまでいるだけ、って感じなんだけど……。
でも、
時折あたしの感触を確かめるみたいに硬い指先が肌を撫でるのがわかった。
──それから一瞬意識を手放した隙にセンセーの手は離れていって、気配は玄関へと向かって行った。あーつまんない。あたしがもうちょっと元気だったらベッドに連れ込んで押し倒すのに、なんて思ったけどそのあとの妄想すら続かない。今日はもういいや。その時。
「これのどこが鬼なんだ」
「……人間と何も変わらないだろ」
先生の呟きが聞こえた。
そのあとすぐバタンってドアが閉じる音がして……鍵のかかる音が聞こえた。あ、テーブルの上に鍵あったの気づいたんだ。玄関ポストの中にカチャンって鍵が落ちてく音が聞こえて──それからセンセーの部屋のドアが開く音がした。
センセーの手の感触がまだ残ってる右手の上に左手を重ねて、身体をぎゅっと縮める。
今のこの状況が多分<微睡>ってやつなんだと思う。
変なの。
昨日だって一日中動いてて寝ないでもフツーに動けたはずなのにな。
あ、もしかしてあたしも夢とか見ちゃう?
そういえば結局センセーがどんな夢見たか教えてもらってないんだよね。
自分が出てきた、なんて言ってたけど。
夢子ちゃんは誰かが入ってきてる、って言ってたから……センセー自身のはずないんだよね。
センセーが勝手に変な方向に考えすぎてなきゃいいけど。
「ん……」
──急に思考が暗闇に包まれて、あたしは眠りへと落ちてった。




