第71話 短期集中講座
──盆休みが明けて、また仕事の日々が始まった。
真夏の校内はエアコンがある程度稼働していると言えど、焼石に水だ。今日に至ってはあまりの高気温に外での部活動が禁止されている。俺の業務も禁止してくれねぇか。いや、その場合あとでツケが回ってくるのは目に見えている。戯言は頭の中だけにしとくよそれが社会人ってもんだ。
時々扇風機が送ってくれる風を受けながら、椅子の背もたれに体を預けた。職員室で仕事をしている先生は数名、部活動に顔を出しに行っている先生は何人か。俺は少し早いながらも、荷物をまとめ始めた。
「あらら? 桃間先生もう帰っちゃうんですか?」
「ええ……って、河原先生焼けましたね」
「ふふふ、休みの間に海に行ったんですよ♪」
見てください! と腰に手を当て上機嫌な河原先生。海か。ばったり出くわすなんてことにならなくて良かったな。
「桃間先生は~、鬼村ちゃんと海行きました~?」
「………」
「だんまりってことは行ったってことじゃないですか! ずるいですよ女子高生のあられもない水着姿を見たなんて!」
「おい最低教師場所弁えろ」
はあ、と一息吐いてリュックを背負う。その時少し離れた席の浅見先生が河原先生を呼んだ。俺はこれ幸いと横をすり抜けて職員室を出る。退勤時間には早いが、今日は予定があるんだ。
職員玄関へ向かいさっさと靴を履き替えて外に出ると、ふと、足元に影がちらついた。黒い、少し大きめの猫だ。
「──桃間さま、お時間ぴったりですにゃあ」
「学校の敷地内で話しかけてくんのやめてくれねーか」
二つ足で立ち上がろうとした黒猫は少し考えるようにして、また四つ足を地面につけた。そして一瞬こちらを振り返ると俺の前を歩き出す。
こいつは『山猫』という妖怪だ。見た目こそただの猫にしか見えないのだが、少しばかり体は大きく、尻尾は逆立ったように太く、暗闇に溶け込んでしまいそうな程な黒色をしている。名前はくろすけ。
くろすけの後ろをついて歩いて行くと、校門を出て、学校裏手の草地まで連れていかれた。
「ここでならお喋りも良いでしょう! 桃間さまは本当に警戒心のお強い方ですにゃあ~」
くろすけは前足を地面から離すと、うーんと伸びをした。俺は誰かに見られてはいないかと辺りを見回す。どうやら人間はいないようだった。
「ではでは参りましょう!」
そう言うと、くろすけは地面についている方の右脚でちょいちょいと地面を叩いた。それと同時に目の前の景色に亀裂が入ったようになる。くろすけはそこへと入っていき──俺もその後を歩いた。
「いやあまさか人間をガイドする日が来るにゃんて、思いもしませんでしたにゃあ。山猫調査会も大々的にガイドのお仕事を作ったら大儲けできますかにゃ?」
「儲けた金は何に使うんだよ」
「そりゃあもちろん美味しいものをたくさん買いますにゃ! それに良い寝床も選り好みし放題ですにゃあ。山猫は食べるのと眠るのが一番大事にゃので」
くろすけは聞いてもいないのに今食べたいものを順番に上げ始めた。その中にコンビニのホットスナックの商品名が聞こえた気もするが……まあ、妖怪だからいいのかと俺は放っておく。
──今から三週間近く前から、この山猫には世話になっている。
以前アマビコの尼野先生の元へ行った時、俺の「自分の身は自分で守る」という呟きに彼は『短期集中講座』を準備してくれることになった。橋渡し役と講師役を知り合い経由で探しておくという先生の言葉通り、こっちの世界へ来る為の<橋渡し役>がこのくろすけとなったわけである。そして<講師役>は──
「……着きましたにゃ!」
くろすけがそう言うと急に視界が開けたように明瞭になり、俺は林の中にぽつんと建つ茅葺屋根の民家が目に入った。ここへは今日で三度目の訪問だ。くろすけは前足を地面へと戻し四つ足で駆けていくと、玄関の戸の前で再度二本足で立ち、右の前足で器用にコンコンとノックした。家人が出てくるタイミングに合うように、俺も少し早歩きで向かう。
「──はいはい、いらっしゃい」
出てきたのは、肌の色が墨のように黒く、そして一本の角を生やした女の鬼。
「本日も桃間様をお連れしましたにゃー!」
「どうも、よろしくお願いします」
ぺこり、と俺が頭を下げると「いいのよ~」と屠鬼さんはにこやかに笑った。そしてその後ろから──
「……ようやく来たか、待ちくたびれたぞ婿よ」
大きな赤鬼が、ぬっと出てきて俺を見下ろした。
「……どうも、待たせてすみません」
俺はこの鬼村の両親にぎこちない笑みを向けた。
***
──バキィィン……!
「何をよそ見している、婿よ」
豪鬼さんのでかい拳が、鞘に収まった俺の刀にぶつかってくる。どうにか受け止めたものの、急に豪鬼さんの力が緩み俺は前のめりに倒れそうになる──と同時に、俺はそのままつまみあげられて地面へと放り投げられた。
──ズササササッ……!!
「い゛っ……てぇ!」
つい声を荒げてしまうが、次の攻撃に備えてすぐに起き上がるとまた刀を握り直した。
「桃間さまは今日も衣服がボロボロですにゃあ」
「そうねぇ、でも前回から着替えをちゃんと持ってきてるからえらいわ」
くろすけと屠鬼さんは横倒しになった大きな丸太の上で茶を啜りながらこっちを見ている。俺はそれを視界から外すと豪鬼さんに向かって走っていった。
「っであああ!!」
上から勢いよく刀を振り下ろす。豪鬼さんはそれを右腕で受け止めた──が、ズン、という音と共に半径2メートル程の円状に少しばかり地面が沈んだ。
「──ふむ、きちんと妖力を乗せられるようになったではないか。良いぞ。だがまだだ」
そう言うと豪鬼さんの右腕が急に大きく膨らみ上がり、俺の刀を弾き返した。それと同時に俺も後ろへと弾き飛ばされる。またもや背中を地面に叩きつけ、呻き声が口から漏れた。
「最初はどうしようもないと思ったが、使い方を覚えれば少しは様になったではないか。さて婿よ、次の手を見せろ」
どすん、どすんと音を立て俺の近くに歩いてくると豪鬼さんは俺を見下ろした。……が、俺はすでに息が上がっている。ここに来てからもうかれこれ一時間は戦いっぱなしだ。いや、体感はそれぐらいというだけで実際は三十分程度かもしれない。
俺はこの真っ赤な赤鬼を見上げながら、どうしても鬼村の姿を思い出してしまう。それと同時に──あの、嫌な夢を思い出すんだ。
夢を見た日からずっと頭が混乱している。
なんで俺と同じ姿の奴が出てきたのか。
あれはもしかすると二重人格のもう一人の俺……なんてことあるのか? いやまさか。そんな中二病みたいなことあってたまるかよ。でも、もしもだ。もしも本当に<もう一人の俺>なのだとしたら。少し気にかかっていることがある。
『──去年盗まれたのは、鬼の頭なんです』
『あなたが盗んだ可能性っていうのもやはりこちらとしては捨てきれないですから』
『犯人が見つかっていない以上は誰も彼もが容疑者ですよ』
二度目に会った時に深山さんから言われたことだ。
去年、鬼の頭が盗まれている。犯人は見つかっていない。そして山神が言っていた……最古の鬼が、俺のせいで復活する、って話。
全部が繋がっていくような気さえする。
もしも俺が、
俺の知らないところで何か行動を起こしているとしたら?
そして、
俺が知らないうちに
鬼村を殺してしまったら?
──ぶらん、と身体が宙吊りになった。
「おい屠鬼、これはもうだめだ。飯を食わせてやれ」
豪鬼さんの声が聞こえたと同時に、意識は暗闇へと沈んでいった。
***
良い匂いが鼻をくすぐり、俺は目を覚ました。反射的に起き上がろうとしたが、全身が痛み、そのまま後ろへ倒れ込んでしまった。少しだけ顔を動かすと……くろすけが俺を覗き込んでいた。
「屠鬼さまー! 桃間さまが目を覚まされましたにゃ!」
「ちょうどよかったわ。今出来上がったところよ」
屠鬼さんの声が聞こえて俺はどうにか身体を起こした。背中が痛くて呼吸がしづらい。俺はあの茅葺屋根の古びた民家の中にいるのだ。が、室内はどう見ても昭和感の漂う現代住宅。何度見ても慣れやしない。
「さ、食べるのが一番手っ取り早く回復できるわ。こっちにいらっしゃい」
そう促され、俺はすぐそばの食卓へと這うようにして向かった。くろすけも俺の横をついてきて、ちゃっかり隣に座っている。
「はい、くろすけくん用のお箸よ」
「ありがとうございますにゃあ~」
子ども用箸を手に取ると、くろすけはうきうきした様子で食卓の上を眺めている。俺もそこに並び始める料理をぼんやりと見て、どうにか正座をした。
すでに食卓の向こう側には豪鬼さんが座っていて、何かを飲んでいた。多分、酒だろう。その隣へ屠鬼さんが座ると「さ、食べましょ」と両手を合わせた。
「……いただきます」
俺も手を合わせると一番近くに置いてあったつくねを箸で摘まみ、食べた。
「美味い」
「あら~、美鬼の手料理とどっちが美味しいかしら?」
「………」
初めてここに来た時から、豪鬼さんとの戦いの後は屠鬼さんが手料理を振る舞ってくれる。彼らは食べなくても支障ないらしいが、屠鬼さんは料理が趣味で、豪鬼さんは晩酌するのが日課だという。この一般家庭のような食卓を、今囲んでいるのが人間と、鬼二人と、猫なのだから可笑しいもんだ。
──二週間ちょっと前から始まった『短期集中講座』の<講師役>は豪鬼さんだ。今日でもう三度目になる。一度目はただただぶん投げられるだけだったが、二度目からは妖力の使い方を教えられ、今日は今までよりは……まあ、まともに戦えるようになった気がしなくもない。
ここへは大体一週間に一度くらいのペースで来ている。しかも鬼村がバイトに行っていていない間、だ。別に隠れてやりたいわけではないんだが……どうにも言い出せずにいる。だってそうだろ、お前の親御さんに見てもらってる、なんて少し格好がつかないというか。何というか。
それにこれは俺の問題だ。俺が、強くならなくちゃいけない。そんでもってこの体ん中にあるあいつの妖力を……早く返してやらないと。もしもあいつを狙う何かが現れた時、戦えなかったら困るだろ。
「………」
ふと、手が止まった。さっきの訓練中に頭を埋め尽くしていたことがまた襲い掛かってくる。ため息を吐きかけた時、目の前にお猪口がずいっと出てきた。
「?」
「酒は、飲まんのか」
「え……あー」
豪鬼さんが、俺にお猪口を差し出している。無下にするのも悪いと思い、俺はそれを受け取った。
「そんなに強くはないので、少しでお願いします」
「軟弱者め」
そう言いつつも、豪鬼さんが硝子の徳利から注いだ冷酒は少量だった。俺は「どうも」と言って少し口を付ける。全身を駆け抜ける熱に少し目が覚めた。
「あの──」
口を開いたが、次の言葉を言うのは躊躇った。もしかしたら、自分がいつか鬼村を殺そうとするかもしれない、なんて──そんなこと言った日にはここから元の世界へ帰ることは叶わないだろう。
「……なんだ、婿よ」
「あ、いや」
言い淀み、目を逸らす。
「……この間少し変な夢を見まして」
「夢か。己たちは夢を見ることがないからな、どんなものかはわからないが。それがどうした」
「ええと、俺と、同じ見た目の奴が出てきたんです。そいつが言ってることが、よく、わからなくて……」
豪鬼さんと屠鬼さんが、俺をじっと見ている。
どうする、何を、どこまで言う。
俺のことをある程度信用してくれているだろうとは思うが、俺自身はどうだ。本当にこの鬼たちを信じていいのか。隣の山猫はどうだ。あとで化けて俺を食ってしまいやしないか。疑心暗鬼だ。思考がブレる。眩暈がするような気がして、額に手を当てた。頭に浮かぶのは──あいつの顔。
「あの、鬼村は……
美鬼は、何の災厄を起こす鬼なんですか」
しん、と部屋が静まりかえる。
やはり言葉を間違えたのかもしれない。
目の前の鬼夫妻は、口を一文字にして俺を見つめていた。




