第66話 もたらすもの
太陽光が差し、白く明るい部屋の中で鼻歌が響いた。ほんの少し音程が外れているのは気にしないのか、彼女はクローゼットの中から薄紅色のバルーンスカートを取り出すと上機嫌で足を差し入れる。上に着るTシャツはどれにしようかと随分と悩み、それからフリルの付いたものを手に取った。仕上げにドレッサーの前に来ると、黄色いパステルカラーのメガネをかけて満足いったように笑顔を浮かべる。
「うん! とってもいい感じ~」
鏡に映る自分の姿を見て惚れ惚れするように両手でふくよかな頬を包んだ彼女は──妖怪『獏』、人間の住まう世界では『夢子』と名乗っている。
テレビに映る星座占いの一位が『おとめ座』だとわかると、夢子は妙に嬉しそうにはしゃいだ。彼女は自分の星座をおとめ座と決めている。いつ生まれたか定かではない為星座など妖怪たちには関係ないものなのだが、「おとめ座が一番可愛いですからね~」と彼女はよく独り言を言う。
用意していた小さめのショルダーバッグを斜めに肩にかけると、夢子は部屋を出ていった。今日は彼女にとって休日だ。特に何の用事もなくふらふらと街を散策する。それが彼女の休日の過ごし方。──しかしそう上手くいかないこともあるものだ。
***
「ちっ、おめーさん何の用だよ」
郊外のさらに外れにある少し大きな民家らしき建物のガレージに、夢子は顔を覗かせて立っていた。奥から文句を放ったのは少ししわがれた声の初老の男。肩をぐるりと回すとゴキゴキと関節が鳴る。どうやら酷く凝り固まる程に集中して仕事をしていたようだった。
「妹さんから頼まれたんですよう、立て続けに依頼が入って不機嫌だろうからケーキ差し入れといてって。はーあ、一人で楽しもうと思ったのにタイミング合わせたみたいに連絡が来て……」
「ふん、それを早く言え」
「もーめんどっちいおじさんだなぁ~」
「それを言うならおめえだってとっくにババアだろうが!」
「夢子は可愛い女の子の姿を貫いてるのでババアではありません~。そういや美鬼さんたちこないだ来ましたか?」
「あ?」
初老の男──もとい、妖怪『かまいたち』である『鎌埜由定』は考えるようにぐるりと目玉を動かすと、思い出したように「ああ」と声を上げた。
「あの鬼と人間のことか。面倒な奴ら寄こしやがって」
「それで、どうでした? 桃間の刀は! 鞘を作ったんですよね?」
「んあー……まあ、そうだ。作ってやったよ。俺が作るからには中途半端なもんは作れないからな!」
「自信過剰なおじさんですね~」
夢子は呆れながらも奥へと入っていき、木材で出来たテーブルの上にケーキの入った箱を置く。鎌埜は打って変わって目を輝かせると丁寧に箱を開け始めた。箱の中に同梱されていたプラスチックのフォークを拾い上げると、ケーキを端から切り分け、口に運ぶ。たっぷりとしたホイップクリームに鎌埜はにんまりと笑顔を浮かべた。
「そんなに甘いものが好きなら子どもの姿になれば良かったじゃないですか~。きっと可愛がられてたくさん美味しいもの恵んでもらえますよー」
「けっ! 誰がクソガキなんぞに刀鍛冶を任せるかってんだ! それに俺はこの姿に満足してんだ~よ」
「若い方が断然いいじゃないですか~」
「ふん、うるせえ」
二つ入っていたケーキがぺろりと鎌埜の腹に収まると、彼は満足そうにつまようじをくわえた。それを見ると夢子は「じゃ私は帰りますからね~」とその場を後にしようとした。だが、「あーちょっと待て待て」と背中に声をかけられ立ち止まる。
「なんですかぁ?」
「あの刀ァ……きもちわりーんだよ」
シィー、シィー、と歯の隙間から音を立てる鎌埜に眉をひそめつつも夢子は首を傾げた。
「気持ち悪いですか? それは一体どんなふうに?」
「ありゃ刀の形をしちゃいるが…………息してやがる」
「息??」
夢子は少し考える素振りをすると、肩を竦めた。
「それって付喪神になってるってことですか? それか何か憑りついちゃったとか」
「憑りついたっつーのは合ってるかもしれねぇが……でもそれとはまたちげぇんだよな。生きもんをべたべた触っちまってる感じがしてどうもあの刀は好きになれねぇ」
「へぇー刃物しか好きになれないおじさんにも、苦手な刀ってあるんですねぇ」
夢子は可笑しそうに甲高い声で笑うと、「うるせぇぞ!」と叫ぶ鎌埜を置いてその場を離れた。
暑い真夏の昼下がり、幾分か涼しい風が吹いて夢子は少し小走りで近くのバス停まで向かった。
***
市街地にある小さな雑貨店の扉をそっと開けると、近くのレジカウンターでの会話が夢子の耳に聞こえてきた。
「ほーんと、ここのハンドクリームを買ってから全然やめられないのよ。ちょっとした切り傷ならすぐに治っちゃう気がしてほんと重宝してるの~」
「ありがとうございます」
「よそのお店でも同じもの見かけて買ったんだけど、どうしてもここで買った方が効く気がしてね~」
「ふふ、きっと気のせいですよ」
店に入ってきた夢子に気が付いたのか、店主の女性が「いらっしゃいませ」と声をかけると支払いを終えた客が「またね」と店を出て行った。随分と高価に思える香水が香り、夢子は目を丸くしつつ店主の女性へと近寄って行った。
「由香さーん、ここのハンドクリームは傷まで治るんですかぁ?」
「まあねえ、そうしてるつもりはないんだけど……私が触るものってどうしても薬に近くなっちゃうみたいで。昔兄さんが人間を切りつけて遊んでいた頃、私が後始末に傷を治して回っていたせいね」
彼女は先ほどの鎌埜の妹であり、かまいたちだ。人間姿の見た目の年齢は鎌埜よりもかなり若く思える。彼女は近くの棚に大量に置かれているハンドクリームとボディクリームを眺めた。夢子も同様にそれを視線で追い、にんまりと笑う。
「いっそのこと薬として売ったらぼろ儲けできるじゃないですか~、いいなぁそーゆーの。あたしもお薬作れる力あったらよかったのに~」
「ふふ、だめよ。医薬品を売る為の許可も資格も取っていないもの。彼に迷惑がかかるわ」
彼、と呼んだものの該当の人物が店内にいるわけではない。由香が示しているのはこの場にはいないが、一緒に暮らす男のことだった。
「一緒にいるようになって二十年くらいでしたっけ?」
「そうよ~、私たちからしたら短い時間だけれど……あの人からしたらもう長いこと一緒にいる気持ちなんでしょうね」
「人間と暮らすのって大変じゃないですかぁ? 自分が妖怪だってこと隠してるんですよね?」
「そうよ~」
「あ。人間と一緒に暮らすってことは~、やっぱり夜もあるんですよね♪」
「ふふ、今はそんなに無いわよ。もう彼も歳だもの。それに元々子どもはいらないって話だったから……私も彼も淡泊よ」
「へぇー?」
期待外れだったのか夢子は少しつまらなさそうに唇を尖らせると、首を傾げた。
「私まだ妖怪と人間の間にできた、っていう半妖怪? みたいな存在って見たことないんですけど~本当にいるんですかね?」
「さあ、そもそもできるわけがないと思うんだけれども」
由香のばっさりとした回答に夢子はがっかりした様子で肩を落とした。
「ええーでもでも、人間と子ども作ろうと意気込んでる方もいますよ~。鬼なんですけど~」
「ああ……そうねえ。話には聞いているわ。兄さんのところへ来たそうね」
「あはは、あれは私がオススメしたからで……」
夢子はむすっとした鎌埜由定の顔を思い出し、苦笑いした。面倒事を押し付けてしまったことを反省しているのか、夢子はその後の言葉を言いにくそうにしている。それをわかってか、由香は「いいのよ」と慰めた。
「──妖怪と人間の間に生まれる子供の話は、人間のお伽噺の中でしか聞いたことないのよね。そもそも私たち妖怪の身体に子どもを育てたり作り出したりする機能なんてもの備わってないでしょう。この体だって、ただ真似ただけのものだわ。それなのにその鬼はどうして『人間との子どもができる』──なんて信じてるのかしら」
「ええ~? 私、妖怪と人間でもてっきりどうにかなるものなのかと思ってました。美鬼さんめちゃくちゃあの人間のこと好きだし信じ切ってるし……なんでかは知りませんけど」
夢子は店内を歩くと、棚に置かれている様々な雑貨を手に取っては興味深そうに眺めた。由香はそんな彼女を眺めつつ、「うーん」と小さく唸り声を上げた。
「ねえ、あのひとはどうやって生まれたのかしら? 知ってる?」
「美鬼さんですか? いやぁー、さすがに私の方が生まれたのがあとなので詳しいこと全然知らないですけどー……」
夢子は目を瞑り首を傾げ、それからぱっと表情を明るくさせた。
「でも鬼が生まれる理由はちゃんと知ってますよ! 人間の恐怖心から生まれる、これが鬼ですよね。しかも鬼は普通の妖怪と違って必ず生まれ持った災厄を起こす! これが鬼の……存在、理由……あれ?」
意気揚々に語りだした夢子だったが、ぴたりと動きを止め、空を見つめる。
「……ねぇ『美鬼』って子は、どんな鬼?」
「んー、力があってめちゃくちゃ強い鬼、ではありますけど……」
口元に手を当て黙りこくってしまった夢子を見て、由香は不安そうに目を伏せた。
「あのひと、本当に豪鬼さんと屠鬼さんから生まれた子なのかしら。夢子ちゃんが言ったようにそもそも鬼は災厄の象徴。自然発生ではないとしても、それは新たな災厄を生むってことよ。それならあの鬼は……
一体何の災厄をもたらすのかしらね」
深刻そうに語る由香を見て、夢子も不安を覚えたのかぎゅっと胸の前で手を握った。
「ええー……ちょっと怖い話やめてくださいよう。私結構今の世の中気に入ってるんで~、厄介なことになるのはご遠慮願いたいです~」
「私も同じ気持ちよ。大事な夫はちゃんと寿命が来るその時に看取りたいもの」
由香はそう言ってため息を吐くと、にこりと笑って夢子を見た。
「それで今日は何か買っていってくれるのかしら?」
「えへへ、いろいろ見てから考えまーす♪」
夢子は今話したことなどすっかり忘れたように、小さな店内をきょろきょろしながら歩いた。
災厄といえど、妖怪にはそう関わることではない。
最古の鬼が山を崩しかねないことを懸念していた山神とは違い、
ほとんどの妖怪には
災害も、
飢饉も、
病も、
降りかかるものなどないのだ。
決して。
──来るその日までは。




