第63話 背中合わせ
──ザパァン、と水を叩き付ける音が響く。
何度も何度も。
あたしはそれを聞きながらぼうっと水しぶきを眺めてた。
夏休みに入ってから毎日のように天から遊びの誘いの連絡が来るから、あたしは仕方なくいいよって返事をしてあげた。今日はセンセーも仕事だし、友達と遊ぶ約束もないし、だから興味本位で部活をやってる体育館横のプールまで来てあげたわけ。部活見学ってわけでもないのに「好きに見てていいよ」なんて知らない女子に言われて、今はプールサイドのベンチに座ってる。
「プール気持ち良さそ~。座ってるだけとか暑くてやんなっちゃう」
「鬼村ちゃんも泳ぐ?」
あたしが一人でぼやいていたら、隣から声が聞こえてきた。
──河原じゃん。
「女子の水着の予備ってあったかな~」
「河原~、それセクハラだけど」
「え!? セクハラなの!?」
「てかなんでいんの~?」
あたしが訊くと、河原はにっこり笑って「だって僕副顧問だもん」って小さく首を傾げた。何? かわいこぶってんの?
「鬼村ちゃんも水泳部入んなよ~水着姿で桃間先生もイチコロ♪」
「あたし陸上部入ってんだ~。一回も行ったことないけど」
「知ってる知ってる。陸上より水泳の方が楽しいから鞍替えしちゃえ」
「それ顧問に言ってもいい?」
「え~やだ僕怒られちゃう」
河原は子どもみたいに唇を尖らせると首からぶら下げてた笛を勢いよく吹いた。甲高くうるさい音が鳴り響く。部活はもう終わりらしい。水泳部の生徒たちになんかいろいろ言ったら、河原は「じゃあね」とあたしに手を振った。
プールから何人も上がってくる中に天もいた。ようやくあたしに気が付いたのか、びっくりしたみたいに目を丸くしてあたしに駆け寄ってくる。
「あれ!? 美鬼ちゃんいつからいたの!? 泳ぐ!?!?」
「泳がな~い」
「オレの水着貸そっか!?」
「天ぁ、それガチで言ってんなら馬鹿だからね~」
あたしはベンチから立ち上がるとうんと伸びをした。やっと出かけられる。
「このあとミーティングして終わりだから、玄関で待ってて!」
「オッケー」
って返事をしてすぐに──あたしと天は顔を見合わせて足元を見た。何かがベンチ下から這い出てきて、逃げていこうとする。小さい……狐?
「よっ」
そいつのしっぽを踏んづけて持ち上げようとしたけど……うっかり掴み損ねて子狐はするっと手の中を抜けて逃げていく。逃げ足が速くてあっという間に姿は消えちゃった。
「……今のってー、こないだのじゃん?」
あたしがそう言ったら、天は腕を組んで「鬼に化けてたやつ?」って訊いてきた。
「そーそ。なーんでこんなとこいるんだろ。あんたのこと見てたのかな」
「ええ~なんでオレ~?」
「あんたが一番付け入りやすいから?」
「それってオレのこと馬鹿って言ってる~?」
「まあ」
天は「ええ~」と言いながらも小さな化け狐のことはもう気にしてないのか部室へ向かった。あたしも別にあの子が脅威になるとは思ってないけど、なんとなく周りを見回す。もう何の気配も感じない。
でもなんとなく、見られているような気もして居心地が悪い。
「……なんかやだなー」
***
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
辿り着いた先で、営業スマイルが張り付いた顔が俺を見た。
──学校で仕事を終えたあと、俺は自宅へ帰らずに『株式会社 ミヤマ/カスタマーサービス』へやってきた。前回土御門と倉橋くんにほとんど無理矢理連れてこられて以来の、二度目の訪問だ。出迎えてくれたのは対妖情報機関・叉々山支部の総務事務・調査課課長である深山さん。以前と同じように奥の応接室へと通されたが……さっさと話だけ聞いて帰りたい俺はこの人のデスクで立ち話でもいいのに、と少し肩を落とした。
「──オフィスに誰もいないみたいですけど、出払ってるんですか?」
深山さんが淹れてこようとしたお茶を断ってすぐ、俺は訊ねた。
「今随分と忙しくて。私もこのあと出なきゃいけないくらいですよ」
「あの……もしかして、『神社での窃盗事件』と関係ありますか?」
俺は先日たまたまテレビで見たニュースを思い出していた。県内で、いや隣の県でも神社を狙った侵入や窃盗が相次いでいる、と。神社ならばこの人達も関わってくるんじゃないかと思ったんだ。
「ええ……実は二か月ほど前から頻発していまして。調べてみるとどうやら去年の春に起きていた窃盗事件とも関係があるようなんです。これらが現在の頭痛の種ですね」
「神社で何が盗まれるっていうんですか? あー……いや、価値のある法具とかそういうのがある、ってのはまあ、ニュースで見ましたけど……本当にそうなのかなって」
気になっていたこともあり、俺はついいろいろと言ってしまった。本当なら面倒事に首を突っ込むのは性分ではないんだが──。
「……そうですねぇ、桃間さんに隠したところでいつかは知る機会がくるのかもしれませんし、話しておきましょうか」
止む無し、というように深山さんは深く息を吐くと座り直して俺を真っ直ぐに見た。
「──去年盗まれたのは、鬼の頭なんです」
「鬼の頭?」
「最古の鬼……あなた方桃間一族の祖先『桃太郎』が討ったといわれる鬼ですね」
──最古の鬼。
しばらく聞いていなかった名前に思わず緊張感が走った。山神が言っていたのは確か、俺が最古の鬼を復活させるだのなんだのって噂だったか。でも窃盗なんてさすがに身に覚えがない。
俺じゃ、ない。
「……それで、まだ見つかってないんですか?」
「ええ。もっと言えば、以前ここで話したように一番最初に盗まれた鬼の両腕も見つかっていません。そして残るは鬼の胴体と、両足……」
「まだ盗まれてない、んですよね?」
俺が訊くと、深山さんはしばらく難しい顔をしたかと思うとぱっと顔色を明るくさせ「ええ、まだ」と言った。
「ただ、最近の窃盗事件はどうもやはりこの鬼の封印物を探してるように思えます。盗まれたものはそう価値のあるものではないのですが、探しているものを悟られないようにしている気もしますね」
「……その封印物ってのはどこにあるか、ってのはー……」
「さすがの桃間さんにも言えないですよ」
はっはっは! と口を大きく開けて笑う深山さんに、俺もつられて小さく笑った。
「そりゃそうですよね」
「それにあなたが盗んだ可能性っていうのもやはりこちらとしては捨てきれないですから」
「! いや、俺は違いますよ!」
「もちろん、違うとは思ってますけどね。でも犯人が見つかっていない以上は誰も彼もが容疑者ですよ」
「………」
去年の春に、鬼の頭が盗まれた。
春なんて……新学期の準備で忙しくしていた記憶しかない。それにその頃は妖怪だのなんだの現実にいる存在とも思ってなかったし、神社にお参りなんてのも……初詣すら行ってなかった俺だ。関わりがまるでない。
「──とまあ、そんな感じで現在うちの機関は忙しく人手不足でしてね。申し訳ないんですがまた桃間さんに頼みたいんですよ、少しばかりの調査を」
「まあ……そういう話なら……」
急に空気がガラリと変わり、俺は少しほっとした。椅子に座り直して咳払いをする。
「頼まれていただけますか? これはできれば桃間さんお一人にお願いしたいんですが……」
「一人? 鬼村が一緒じゃ困るってことですか?」
「まあ、そういうことになりますね」
参ったな、俺一人か。どうにか断れないもんかと考えながら頭を掻く。
「俺一人じゃさすがに不安ですけど……」
「調査には時間がかかると思うんです。何度も通っていただいて少しずつ調査していただくのが良いかと。それに、さすがにここへ彼女を連れていくのは……桃間先生はあまり気が進まないんじゃないでしょうか」
深山さんが資料をテーブルに置いた。A4サイズの紙が数枚ホチキスで留められている。俺は資料を手に取って読んだ。
一枚目は、料理店の口コミサイトのページだった。
名前を見て、小さく載っている写真を見る。
「………」
「どうでしょう、行っていただけませんかね」
「……いつでもいいんですか」
「ええ、桃間さんのお時間のある時でかまいませんよ。急ぎでは無いですから──今のところ」
「………」
ページを捲る。
書いてある文章に、俺は目を細めた。
「盤上界での、人物模様…………あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「……その、『盤上界』ってのはなんでそんな名前つけられたんですか? 『転外界』ってのもよくわからないし」
俺の問いに、深山さんは少し苦笑いして椅子に深く腰掛けた。
「ちょっと馴染みがない呼び方ですよねぇ。あっちとこっちとか、あの世とこの世の方が馴染み深いでしょうし」
「まあ、そうですね。鬼なんて地獄とかにいそうですから」
俺が肩を竦めると深山さんはくすくすと笑った。そして「そうですねぇ……」と呟いて、話し始めた。
「……昔々に、とあるえらいお坊さんが夢を見たらしいんです」
「夢?」
思いもしなかった切り出し方に俺は思わず半笑いで聞き返してしまう。けどすぐに黙ってまた話に耳を澄ました。
「──夢の中でその方は、ぽつんと一人何もない場所に立っていた。
かと思うと次の瞬間、
大きな大きな手に掬い上げられて、
高いところから見下ろしてみると……
自分が立っていた場所というのは平たい大きな皿の上。
そしてその端からは水が滝のように流れ落ち、
外側には一面びっしりと綺麗な花々が咲いていた。
皿から零れ落ちる水によって育つ花々がね。
そしてその皿の外側というのはとても広い球体状の世界だった。
花々は天にまで咲き、
それらは皿の上の世界を見下ろしていた。
そこでそのお坊さんは悟ったそうですよ。
『我々人間が住まう世界というものはとても小さく、
そして自分たちの場所しか見えていないが、
その外側には全く異なる世界があり、
その世界の中に我々の世界は内包されているのだ』……と」
「──内包、ですか」
「私たちが住む皿の上の世界、これを『盤上界』とし。そこから転じて外へと通じる世界、『転外界』と呼ぶようになった……と、聞いています」
「でもそれ、ただの夢なんですよね?」
「あはは。まあ、ただの夢だったかもしれないですけど、徳の高いお坊さんだったそうですから『お告げ』ということになったんでしょうね」
「………」
盤上。
転外。
鬼村の認識とは違うのか?
鬼村が言ってたのは、なんだったか……。
「あの『反転世界』とか……そういうのわかります?」
「反転?」
「表と裏、みたいな……こっちとあっちの世界のことをそういうふうに言ってた奴がいて」
「なるほど……私は聞いたことありませんが、そう言っても差し支えはないのかもしれませんね。だってそうでしょう?
表と裏、こちらとは永遠に交わらない世界。
一生背合わせの、理解しえない世界──なんて」
深山さんが冗談を言うみたいに肩を竦める。
俺は自分でもわからないまま、数秒ほど息を止めていた。
「……では、先ほどの件どうぞよろしくお願いしますね」
──深山さんに会釈をすると応接室を後にし、オフィスを出た。
その時ポケットの中でスマホが一瞬震えた。
画面には『あたしこれから帰るね』の文字。
「一生背中合わせ、か……」
俺は手に持ったままだった調査依頼の資料を鞄にしまい込んで帰路につくことにした──。




